国家社会主義のような就職協定を破棄 とにかく社名で就社を切望する学生は痛手になるかと!?
就職協定の全廃を大いに評価する!
(遅すぎたと受け止める)
自由な市場や社会を謳う国が、学生の就職(就社)活動を縛り上げ、採用については、一斉解禁だとか一斉面接だとか一斉入社だとか、摩訶不思議な規則が国と大学と経済団体で談合的に形成され、ナンでも一斉にというのは社会主義や共産主義の国と然して変わらない。
いや、日本は新卒学生の採用については、未だに「国家社会主義」なのか!?
もっと多様な思考で、もっと多様な方法で、もっと多様な個性が光る人材を育成し、それを時間をかけて辛抱強く見出す努力が求められるのは当然だ。
大学の側も、画一的な人材としての形を型に嵌め整え、トコロテンを押し出すように排出し「高度人材形成に寄与」しているなどと、ウソ八百を並べても通用しなくなるだろう。
企業は、兵隊も必要だし、下士官も必要だ。
何よりも、尉官、佐官、将官を、得られなければ続かない。
それらの人材を通年で適正に採用する方が理に適っていると常々考えているたので、この決断と決定は大歓迎だ。
それを否定的に批判する「文科省」と「大学」は、人材教育の目標や研究テーマに建前で「グローバル」を掲げるが、それは口先だけで時に口裂けにも見えるから不思議だった。
短期間の就職活動は、就社活動で、条件に依れば「社畜」への途でもあり、冷静さを欠いてしまう事が多い。通年で時間をかけ臨む事だ。
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