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2019/04/30

社会的な承認要求が強い人は共通して外的に屈折させられ内的に屈折を蓄積している!

本当に、分からない事の連続だったが、
基本というか「原点」は、僻み、妬み、歪み、が・・・・・・・
自らを取り巻く環境が強いる条件を自らの努力だけでは払拭できない(のかも知れない)。


<あるケース>
人は、真っ直ぐに生きようと・・・・・
しかしながら、そのためには社会が形成する様々な壁を乗り越える事が必要だ。
自力で乗り越えられる壁もあるが、どう取り組んでも越えられない厚く高い壁は存立する。
(誰もに平等なワケでは無い)


誰もが、逃れるための「ロンダリング」を考え、それを手に入れようとする。
最初に考えるのは、身を置く場所を「平地」から「人の森」へ逃げ移し身を潜める事だ。


しかし「人の森」には、様々な「罠」が仕掛けられており、容易には入れず、また容易に出る事ができない。
何処に身を潜めようとも「緩やかな監視」から身を隠す事はできず、そう簡単に「ロンダリング」を許さない。
身を置く場が必要だが、置き場が無い。
環境や背景また条件を問わない組織に身を置く以外に途は無い事を識らされる。


この段階までの間に「屈折」してしまう。
生き抜くためには、あらゆる手段で自らを「強く鍛え」ポジションを得て確立する以外に途は無い。


<別のケース>
家族から過剰な期待を集め、また寄せられ、褒められ続け「甘やかされ」る。
そのため、狭い社会で多少の「我が儘」は許される。
しかし成長と共に、客観的には「限界」も現れるのだが、家族や本人には受け容れがたい事で、葛藤が生じる。


生活環境が生産手段の面で比較的整っており金銭的にも多少の無理や見栄も張れる状況なら、身を立て名を成す手立てを考える。
親や家族の系譜とは異なる途を選ぶ事もできるが、やはり地域的な名誉は「憧れ」であり手に入れたいとの「欲」は抑えがたい。
勢い狭い地域で「蝶よ花よ」となり、夢見も作用しプライドだけは肥大化する。
その過程で、薄々ながら期待には応えられないと感じるようになるが、それは内に秘め決して見せず、努力している姿を見せる。
家族は、感動し益々「期待」を高め強め、現実を知る側との間に大きな齟齬が生じる。


結果は、ある年の秋から冬に「現実」として襲いかかり「屈折」を避ける事はできない事実を突きつける。
春先に「人の森」へ身を潜める事を選択し送り出される。
しかしながら、身を寄せる「人の森」は原種とも云うべく「種」が跋扈し、それへの「対抗」には尋常ではなく、より大きな「見栄」や「背伸び」を不断に必要とする世界だった。
この対象や分野でも、新たな「屈折」を強いられ、経験させられる事になる。
しかし「克服」への手段や「見返す」方法は残されており、持ち前の性格や努力で見返しに成功し、肩を並べる程度までにはなった。
つまり一面的ながら「ロンダリング」が適い、特定の分野では認められるポジションを得た。


だが、時空間は最初に得た「人の森」からの退去を要請され、別の「人の森」を得るには「生活樹」を確保する必要があり、それではと大胆に巨大な平原へ打って出る事を考え、自信満々に進撃したものの、その平原には様々な「罠」が準備されている事に気付かず「地雷」を踏み続け、満身創痍を余儀なくされた。
その拒絶は合理的で合法的な選別であり「巨大な壁」だった。
この恥辱は巨大な「屈折」を課し、且つ巨大な「怨念」を形成する要因になったが、尾羽を打ち据えられた姿に周囲は目も当てられなかったのではないか。


「人の森」に安寧に居続けるためには、別の「生活樹」を探し求めなければならない。
方向転換を図り、近しく自身が口も技も発揮できそうな分野を見出し潜む事にし、そこで身を磨く途を選び「人の森」を維持する事の途を得た。
二重三重に「屈折」を強いられ、家族の期待に応えられず、自身の目標にも応えられず、不屈の精神だけは維持し自身を支えながらも「僻み」「妬み」「歪み」は肥大化する一方だ。


しかし「人の森」を維持する際に夢見描いた分野で明確なポジションを得るため、更なる「ロンダリング」を企図し大勝負に出る。
その僅かな経験は「ロンダリング」を維持する上で不可欠の要素になり、自身を際立たせる大きな財産になった。
その財産は「人の森」ではなく、追い立てられ戻り着いた「荒野」に得た「穴」の中で築いたポジションで有用なのだが・・・・・


しかしながら、ネット社会の発達やSNSでの発信では、これまでの「僻み」「妬み」「歪み」が層集積された「鬱憤」を晴らすためか、極めて辛辣になり攻撃的で「歪み」の程を爆発を企図し投擲し続けている。
とりわけ、自身の夢想を徹底的に拒絶し排除した「対象」と「関連分野」への攻撃的批判の歪みは容赦が無い。

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