「蕎麦」 挽きたて、打ちたて、そば切り、湯がきたて、無駄のない手技、「つゆ」の拵え、提供される「そば湯」までの一連は「哲学」だ
「蕎麦」をとりあげたいと思います。
”蕎麦が好きですか”と、訊ねられますが、然ほど好物でもなく、然りとて嫌でもなく、古くから稲作不適の地でも蕎麦は収穫でき日本の大切な食としてです。
どのような食材でも、人は加工する事で「息吹」を与え、食す際に「素朴でも、大きな喜び」を得てきました。
いわゆる、多くの「蕎麦屋」は、打ちやすく、崩れの少ない「二八蕎麦」が主流です。
一概に「二八蕎麦」と言っても、「内八割、外二割」の「80:20」もあれば、「内十割、外二割」の「84:16」もあり多様です。
”とらえもん” は、打ちにくい「十割」を好みますが、「二八」を否定するわけではありません。そして何より「駄蕎麦」と称し区分けする「駅そば」などの「立ち食いソバ屋」を否定する事などはありません。
蕎麦は、決して「贅沢な食べ物」ではなく、
寧ろ、食材に窮する地では「生命」の源を支える素朴な「主食」でもあります。
例えば、フランスは、ノルマンディーで食される「クレープ」は「蕎麦粉」です。
日本では、蕎麦粉を伸ばし巧く「そば切り」しますが、ノルマンディでは、平たく伸ばし、クレープし中に具材を包み込み食すのです。
蕎麦は、作付けから収穫を経て、蕎麦屋へ届けられ、ここで、挽き、打ち、湯がき、により「食」としても「息吹」を与えられ供されます。
蕎麦粉だけでは、纏め整えるのが大変で、ボロボロ零れ、そのため繋ぎに「小麦粉」や「薯蕷」を加え整えるのですが。
その配合具合で程良いのが「二八蕎麦」としての歴史を刻んできたといえます。
「十割蕎麦」を目指し、挽き、打ち、湯がき、を、無駄なく熟す事は、実は「蕎麦は貯め置きが必要(前提)な大型店舗」では難しいのです。
従って、大型店舗や駅そばの多くは、良心的なら「5:5」で、一般的には「3:7」の「そば擬き」の「駄そば」になるのは致し方ありません。
近頃は、大型店舗では、蕎麦挽き、蕎麦打ち、蕎麦切りもIT化による機会化が進み「十割蕎麦」の提供を掲げる店も出現しましたが、イマイチ馴染めませんね。
「十割蕎麦」を「素朴な香り」も逃さず打つのは、手際と根気が必要なのです。その上、殆ど儲からないワケで「趣味の領域」に属しますね。
ひたすら、挑戦し続けるのはストイックな作業の繰り返しで、精神的な修行との相克が必要なのです。
事実、蕎麦屋の店頭で、挽き、打ち、そば切り、湯がき、を一瞬の無駄もなく、流麗に熟すのは熟練の技と云えます。
「蕎麦」を手繰りに行って、食すまで「天麩羅」を肴に「酒」を手にするのは、貯め置きできない蕎麦は、入店し注文してから、挽き、打ち、切り、湯がき、を食すには一連の時間を必要とするためです。
これは「茶道」の「一期一会」に類すると考えています。
挽きから、湯がき、までの一連の作業というか所作というか、拵えの過程の動き、そのものが「茶の湯」で主客をもてなす作法と同じく、洗練された「心」があります。
そこに「哲学」を観るワケです。
また、蕎麦を食す「つゆ」の拵えに、客に対するその店の「もてなし」の真剣さが現れます。
蕎麦は、素朴な「食」ですから、浸ける「つゆ」が「蕎麦」の風味や味覚を、容易に引き出したり殺したりします。
最後に「そば湯」を提供し「つゆ」と混交し、その旨味やコクを味わう事で、素朴な味覚の贅沢を味わえると、素晴らしいと言えますね。
季節の、温湿度を考えながら、「蕎麦」を提供し、その「蕎麦」の風味や味覚を引き出す「つゆ」の拵えに気を遣う店こそ、蕎麦屋として本物なのです。
訪日外国人が増え、各地へ足を運び、日本の文化としての「ファストフード」ともいえる、素朴な「蕎麦屋」で食す「蕎麦」の「哲学」的な魅力を発信し、更にそれに惹き付けられる訪日者も増えてきました。
日本全国の各地に、蕎麦屋はあります。
そこで、丁寧な拵えで整える「蕎麦屋」に出会えると、真に望外の幸せという他ありません。
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