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2020年5月

2020/05/10

日本は「言論 表現」の自由があるが,実は SNS も自由に見えて,ネタはコントロールされ,監視され誘導され評価されている(と見ている)

「コロナ」対応で,世界各国首脳の指導力(リーダーシップ)評価調査!
中国で,習近平の「コロナ対応」への指導力評価が高いのは,
この手の「評価調査(アンケート)」に応え(アクセス)る層が,限定されるためで,驚くには値しない。
(寧ろ,逆転の数値が正しい評価だろう)
それはまた,ベトナムも同様同質と考える方がよい。

それはさておき,
日本の評価が著しく低いのは,当然と言えば「当然」だろう。
無能を曝け出した。無知を曝け出した。無原則を存分に表した。口先(口裂け)政治だったと。
右往左往し,右顧左眄し,オツム空っぽでポンポンが悪く,肚の座らぬボンボンは,政権に執着する事だけが目的に堕しているのは,実に「ミットも危ない」だけで,支えるのが政治家ではなく,官邸に潜む権力志向を隠さない二人の官僚が,相争う構図は危なっかしくやってられず,見てられない。

国民は「コロナ疲れ」だけれど,官邸は記者会も含め「アホ疲れ」と言うほかナシだろうナ!
国民は,愛想を尽かし,ホトホト嘲笑しているワ。
未だ,熱狂冷めやらぬのは,ネジが擦り切れた役立たずでドリーミーファンタジーのヒステリーだけか!?


引用開始→ 日本の指導者、国民評価で最下位 コロナ対策の国際比較
 【ロンドン時事】23カ国・地域の人々を対象にそれぞれの指導者の新型コロナウイルス対応の評価を尋ねた国際比較調査で、日本が最下位となった。日本の感染者数、死者数は世界との比較では決して多いわけではないが、安倍晋三首相らの指導力に対する日本国民の厳しい評価が浮き彫りになった。

 調査はシンガポールのブラックボックス・リサーチとフランスのトルーナが共同で実施。政治、経済、地域社会、メディアの4分野でそれぞれの指導者の評価を指数化した。日本は全4分野のいずれも最下位で、総合指数も最低だった。
 政治分野では、日本で安倍政権の対応を高く評価した人の割合は全体の5%にとどまり、中国(86%)、ベトナム(82%)、ニュージーランド(67%)などに大きく劣った。日本に次いで低かったのは香港(11%)で、フランス(14%)が続いた。世界平均は40%で、感染者・死者ともに世界最多の米国は32%、韓国は21%だった。

 ブラックボックスのデービッド・ブラック最高経営責任者(CEO)は「日本の低評価は、緊急事態宣言の遅れなどで安倍政権の対応に批判が続いていることと合致している。間違いなくコロナウイルスの指導力のストレステスト(特別検査)で落第した」と分析した。

 総合指数でも日本は16と最低で、次いでフランス(26)が低かった。最高は中国(85)。全体的にはNZを除く先進国の指導者が低い評価にあえいだ。
 調査は23カ国・地域の1万2592人を対象に、4月3~19日にオンラインで実施した。←引用終わり


序でに指摘しておきたいが,日本は自由な言論をさせながら,実は自由ではなく,
特にネット空間に飛び交う,センシティブな言論表現はシッカリ監視している。
(と考えている)

コロナ禍を眺め観ると,如何に日本が無防備で,如何に煽られりゃぁ,冷静さを喪いナンでもするかを,みせたと思います。

まず,何よりも電波メディアは,自由に発言しているように見えても,そのネタの出処を押さえ検証しているわけじゃない事が,この度の一連の報道で明らかになりました。
以前から,都合の良い切り取り貼り合わせを指摘されていましたが,ここまで明らかになった事はないのでは。

阿Q は,2月14日に,当時冷静な報道に徹した「讀賣新聞が報じた記事をリンクし,,
「WHO の持つデータ,約1万7千人の内訳,
① 軽傷 82%
② 重症 15%
③ 重篤 3%
武漢での致死率 2.29%
他地域の致死率 0.49% を示し。
長崎大学の筧先生の「インフルエンザ」と変わらない程度だが,
心肺機能や基礎疾患を抱える人が感染した場合は重篤に陥る可能性がある」を
紹介しています。

WHO は,信頼を取り戻すなら,中国の代弁をするのではなく,公平公正に国際社会の期待に応えるべきだ。

攻撃,防御,善意,悪意,様々な思惑が入り混じり,それぞれが牽制し合う世界で,
警戒心を欠く日本の世論など,いくらでも操作できるように思います。
それは,多くの電波メディアの正体が,実に無批判で「アナーキー」な煽りの競い合いでしかない事に因ります。加えて,それで得た底の浅いネタをSNSで,如何にも無知の知ったバカぶりが,適度に盛り上げ拡散しますから。

国が意図的に,世論操作をすれば,アクセル側と,ブレーキ側の煽りをコントロールしながら,密かに上手くネタをバランスよく流せばよいわけで,適度に盛り上がり,勝負の奈辺と見れば,いずれか一方のネタを自然な方法で優位に導き締めればよいのです。

電波メディアのアナーキー性も明らかになりましたし。
根源というか,水源のコントロールの巧みさも伺えました。
(殆ど,中国と変わらないような,まぁ,国家というのは同じかと)
いやぁ,実に興味深い展開でした。

実に巧妙に仕組まれていますね。
❶ 学校の一斉休校(文科大臣も内閣官房長官も知らず)
*K氏の主導で,脅かされ承認し,K氏は以前から温めていた実験ができた。
❷ 選挙で再選を圧倒的な再選を狙う,タヌキは,オリンピックの勲章が消えた事で,次の再選戦略を「リーダーシップ」の発揮に求め,意味不明語を連発し,空虚を追い込む。
❸ 自らに批判的な面従腹背を除こうと,自らの不出来や不都合を跳ね除けるため,大番頭のSを除け,お友達を事実上の場に公然と据える。
(また,始まったか?)
❹ 元より横柄な人物 I 氏は,ここぞとばかりに簒奪に出て,やりたい放題を競い,ラスプーチンぶりを発揮する。
(いまは,K氏と I 氏は,静かな双頭を保つが,やがて何れかが掃討を仕掛けるだろう)
意見する人物がいなくなり,短気,短慮な,無知と無能と馬鹿さが誰の目にも明らかになり。一人去り,二人去り,やがては誰もいなくなり,残るは I 氏かK氏か!?
予断を許さず,情報を統括し,組織を形成構築する能力にかかるかと。

国民は,制限された情報と画策された意図を隠し持つ報道に惑わされずと,言うのは虚しい限りですが。

湯呑み茶碗に,一升の酒は入らないよ!

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2020/05/03

パンデミック後の世界(NHK Eテレ)放映を見て記憶を残すための印象記述!

「自律自立」これは,人が生きる大切な原則です。

民主主義社会で伸びやかに生きるには,自らがプレーヤーである事の自覚が必要で,当然ながら,全体主義や独裁主義を志向する煽りに確然と一線を引く,自身の判断や行動の責任が問われるのです。

しかし,一方では責任回避を図ろうと考え,直接ではなく社会的に愚痴る事で同調圧力に委ね,都合よく身を隠したがる弱体な存在も,また自然であり,一概に否定はしません。ですが,自身の考えを求められ発言が避けられない時に,曖昧な愚痴の吐露では嘲笑され,プレーヤーとしての責任は果たせません。

責任を全うし果たすためには,判断しうる情報が必要で,統制し画策があってはならないのです。
当然ながら,社会や市場の「自由と責任」について,その基本を公平に学ぶ必要があります。

例えば,社会悪でも便宜上の必要性を持つなら,その容認の限界や限度を示し,その範囲においての許容に過ぎないと明確に示す事です。
民主主義社会を健全に維持するには,責任回避ではなく,例えば「規制」が必要なら,それを採用する時に目指す目標を示し,協力を呼びかけ必要な手立てを講じ,誰にも理解できる分かりやすい言葉で,手短に諄々と力強く説明し,同意を得ることです。
自由な空気の下,SNSで好き勝手に独裁を求める思考で,無責任な発言を繰り広げている人も,その発言には責任を持つべきかと。

市場も含め,現代の民主主義が育てた制限のない自由な社会を,維持し発展させるには,制限された権力行使,透明性を保つ社会である事が必要です。そのためには,自らを律し「権力から自立した責任ある個人(プレーヤー)」である事が必要です。
常に,協力と協働そして連帯,必要な支援を忘れ,如何に一国で完結できるとしても一国主義では,自ずと限界があり,その存立は難しい。
推薦された素晴らしいNHKの「パンデミック後の世界」放映を見て,改め感謝を記述しつつ。


社会や市場が,活気に溢れ健全で民主的な自由を維持するには,参加する人が責任を果たす必要があります。

思想家で経済学者でもある,ジャック アタリ氏は,
コロナ禍のパンデミックに襲われた世界を再生する上で重視すべきテーマは,かねてより主張の「利他主義」の必要性を指摘し。

以下は,「とらえもん」が,予てから指摘の「市場倫理観」です。
市場が独占でない以上,自由な競争は避けられないですが,
「経済合理主義」を過度に追求する事で「利益の最大化」や「利益の独占または寡占」が優先されると「利他主義」は無視される。


「社会や経済また商道」に対する
「人のとしての哲学,社会の哲学」が問われ「大局観」の有無が次代の存立を問い分けるのでは。
日本では「利他主義」の良い見本と,

例えば,利他を重視する考えとして,よく紹介される
“ 「近江商人の商売哲学」
三方よし「売り手よし,買い手よし,世間よし」
始末(倹約)し気張る
利真於勤
陰徳善事 ” が,問われているような!?

(社是に掲げる著名大規模会社が遵守しているとは考えませんが)

自らの繁栄は不可欠ながら,相手や,協働する側,またその市場や包含する社会の繁栄がなければ,次がないのですから,S D G s で問われるまでもなく,誰にも分かる事です。

上手く応援し,見えずとも,長期的な目で,地道に発展形成を支える事です。
「不要不急」の自粛要請を受け,不要不急とされるモノやコトは,呆気なく奈落へ追い込まれました。様々な言い分があると思います。

しかし,世界は手を携え合い支え合いながら,互いの「足りずを補い合い」その対価により,,国を,社会を,家族を,自身を,維持してきていたのです。
一つの歯車が噛み合わず,狂い始めると,全体(それは地球規模)を覆い,破滅的な状況を生み出しています。
国家という大きな社会から,日常の小さな地域社会,また最小単位としての家族をも,容赦なく襲いかかり死滅させようとしています。

既に投稿しましたが「不要不急」の全ての対象は,最小の「要と急」まで容赦なく縮小させられます。
表面に立つのは「公共の福祉」を守る「政治」ですが,政治が何も機能せず責任を放棄すれば,忽ち知性を欠く阿鼻叫喚の弱肉強食が始まります。
それが良いと望む人はいないと信じます。

今は,大きく傷付いた社会と市場ですが,参加する多くの人が,それぞれの方法で知恵を出し,再生に取組むと共に,次に備え振り返り手立ても考え講じる事が重要です。
そして,何よりも大切な事は「蓄積」です。蓄積には「経験も,知識も,資金も,技術も」必要です。

日本は,幸いにしてと言いますか,国民の弛まぬ努力で一定の蓄積がありました。持続支援金や生活給付金を給付できるのは何故か,ナベやカマを喧しく叩くだけでなく,外出自粛の延長に対し,然したる知識も持たない側が,一途機の激情にかられ醜く騒ぐのではなく,蓄積の大切さ協働協力の重要性について改めて考えましょう。

この度の「コロナ禍」で,今後,追い込まれるであろう事業の多くは「経済合理性」の重視を掲げ,始末倹約よりも目先の刹那的充実を追い続け,備えを怠った事業者もあり,それだけとは言えず,それぞれの困窮の度合は違うのではと受け止めていますが。


これを機(コロナ禍という「見えざる神の手」)に,
適度で適切な「競争」による「強奪収奪から分配共存」の利他主義重視への転換が不可避になる事を希望します。

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