世界は何処も同じく、ミギもヒダリも " 知ったバカぶり " が「SNS」で口汚く罵詈雑言を応酬させ「集団ヒステリー」を組織させようと勇ましく!
自らの「思考方法、価値観、刷り込まれ」に合わないから、口を極めSNSで「メディア」や「通信社」を非難し悦に浸るも、元ネタの出何処は殆どが「通信社」だ。
稚戯や児戯に理解できずか、罵詈雑言は満ち溢れ、愉快、痛快、深いか、不快か、浅いか、呆潰か、空間の呆持を!
日本の政治は、政治権力を持つ側の基本原則が、「知らしむべからず、寄らしむべからず」だ。
これは、徳川幕藩体制で確実に強化された。
幕府は「朱子学」の泰斗とした「林羅山」を軸に、統治思想の教育普及を学問所「昌平黌」などで徹底した。
その根幹は、
「人民とは、政策に従わせればよいのであって、その理由まで知らせてはならない」を徹底させ定着させた。
「明治維新」でも払拭されるどころか、薩長土肥の田舎侍も弱体な新政権を維持するために、思想思考の改善を図る事なく都合よく守り抜き、WWⅡの敗戦を招くに至ったが、今も猶、日本社会に根を張り地下深くにまで染みついている。
この「朱子学」に依る統治思想は、現代の「中国」を眺めれば、一つひとつ如実に納得できる。
これが、現代の西欧社会の思考論理と全く噛み合わないとされるのは、根源に立つ「統治思想」が異なるのだから、批判と非難の応酬に期すのは普通の事と言えるかと。
日本社会は、この15年程の間に「SNS」が発達し普及するに伴い、自らを取り巻く社会的環境を気にせず遠慮せず発言・発信できるため、社会的な重石がなくなったとも言え、突然に得る事ができた「舞い上がっている状態」かも。
一般的には、便所の落書きの「2チャンネル」に狂喜し、各社が提供する「ブログ」や「ミクシー」を経ながら「ツイッター」「フェイスブック」「インスタグラム」「ユーチューブ」などを、大いに利用する社会環境になっているが、投稿者は千差万別であり、受信者のリテラシーは全く不明なまま、発信側が保持する「情報」と受信側が保持する「情報」の解読力や理解力には、「情報の非対称」という差異があり、それが様々な「誤解」を生むようで、醜い感情的で口汚い「論争(言い争い)」に発展しているのを見せられると、真に残念な事と言う他ない。
日本は、国際社会で多くの国に慕われ「尊敬される国」であって欲しいと願う。
勿論、強い意志と実力を備える国である事も必要ですが、米国を眺め改めて考える。
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