米国社会の混沌・混乱を眺め、日本社会も内包する問題の本質は、ほぼ同じ!
米国社会の混沌・混乱を眺め、日本社会も内包する問題の本質は、ほぼ同じ!
無能な無責任な「怒鳴る怒」が去った。
この間、大変「分かりやすくアメリカ社会」を見せてくれた。
75年間、世界に喧伝された「民主主義国家USA」を構成する大半は、民主主義の本質と遠く離れ「煽り方次第」で、いずれにも靡くという事実だった。
それは、容易に「全体主義」「独裁讃美」へ共感する勢力となり得る事を世界に見せた。
米国が口を極めて非難する「中国」も「ロシア」も「イラン」も、あるいはかつての「ヒトラーのドイツ」が、米国社会を一皮剥けば直ぐ隣にある事実だった。
そのエネルギーは、何処にあるのか?
まず「喰えるか」「喰えぬか」であり。
次に「安住できるか」「彷徨うか」であると観た。
その原点は「生業」を持ち「定収」を持つか、あるいは「生業」にも就けず「定収」を喪い、明日の生命を繋ぐ事への「不安」が産み出す「社会的不満」が噴出し、それに対し「過去の栄光」を上げ、心情に火を点け実態のない「愛国」を鼓舞する事で虚偽にも関わらず堂々と装飾するのだった。
これに影響され、日本の国内でもパラノイアが火を点け、集団ヒステリーの組織化に向けた動きを強めていた。
いずれも「日本の社会」から、何らかの阻害を受け、排除された側が「体内に保持」する「社会的不満」が底軸になている。
それらは、本来が「夢遊病」ゆえに、他者の同質同様の煽りに意味も考えず、ただただ「賛同」し「追随」する。
あるSNSで、口先ヲトコの煽りに5000人の500人が日々「賛意」を示し、崇めるが90%は、同様な思考でも距離を置いているようだ。
「カタリツジギリ」と命名したが、意外にSNSの社会も冷静なようだ。
「怒鳴る怒」の退任・退陣が決定的になり、煽りネタを喪うと反応は10人前後になるというお笑い状況だ。
この3~4年、何度も「投稿停止」を受けていた。
それに煽られる側のプロフィールを観ると、大凡、基本的に社会の底辺軸の業に就く事が分かる。
そこで「日本の労働と社会安定」を考えてみる:
今日の日本社会を支える「労働とその(生産評価)価値」の構造は、WWⅡの敗戦を受け1990年までの主流は、「手に汗し、額に汗して働く」を美徳としていた。
しかしながら、1980年代の半ばには「手に汗し、額に汗して働く(生産する)」は終わり、新しい「価値(創造)」が必要になった。
実務の政策・経済の面で学びの師匠でもあった「堺屋太一(先生)」が、1980年代に「知価革命」を著し、産業構造の転換が必須で最重要だと説いた。
ある都市で公開シンポジウムを催行した際の「まとめ」で、
その都市の記録者が纏めた記録文書には、堺屋太一先生の著書紹介で「地下革命」とされていた。
確かに、日本は「1985年以降1992年まで」大都市を中心に「地価革命」は生じたけれど。当時は、その程度の認識だったのは大笑い開眼だった。
日本は、WWⅡ後、一生懸命にチカラを合わせ「最低限度の文化的な生活(環境)」を、形成するために取り組んできた。
その基本は「製造業の第一線で汗を流し対価を得る」が基本で、
得た対価で、消耗品を含め耐久消費財を手に入れ「生活環境を整える」が基本だった。
やがて、耐久消費財のレベルを上げ、それに伴い消耗品消費財のレベル要求も高め、それらの製造生産と流通消費で社会経済を大きく発展形成させた。
次に、目指したのは「住宅供給」を重視し、郊外の住宅地域開発にチカラを注ぎ、戸建てショートケーキハウスや郊外集合住宅が林立し、都心と結ぶ鉄道も整備された。
この流れを一気に引き寄せたのが「首都圏(1都3県)」であった。
ほぼ、完成領域に達し始めた頃、日本もグローバリゼーションの流れを受け、大規模製造業の一部は海外直接投資(FDI)を強め、併せて裾野を形成する部品供給者の中小零細事業者も、共に移転するか国内に残り、新たな取引先を見出すかが問われる事になった。
生産拠点の移転は、資本と工場と技術であって、現場の労働力は不要であり、国内的には様々な分野で「失業」を生んだ。
あるいは、国内に生産拠点を残したものの、単位当りの製造価格が国際的な競争価格に太刀打ちできず行き詰まる事業者が続出した。
この時点で、明らかに「知恵」の生産また「知恵」の拡大再生産、あるいは高い付加価値を保つ全く異なる分野の「生産」が必要とされるが、米国社会も日本社会も、まだまだ追いつく環境にはない。
人口構成の変化による「生産適正年齢人口の変化」も重なり、先進工業国の多くが、適正な着地点を見出せずに悩み苦しんでいる。
そこには1980年代半ばから、約30年を超え、有効な知恵も技術も政策も見出せず、沈んだまま苦しみ藻搔く姿が現れているのだが。
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