「AI」は万能でも「AI」に人の「情緒」を予測できても、現段階では人の心に内包する「機微」や「琴線」を捉える事はできない! 「AI」に支配されるな
人は多くが同じで、多くが異なる。
人は多くが人と同じを求め、
多くが人と異なるキラリと光り輝く個性を創ろうとする。
人は個性を発揮し、日々を生きる。
アパレル製品、特にファッション表現は「自由」な思想が根源にあり、多様で様々な「選択」と「組合せ」で、価値観やセンスを表す事が基本だ。
個性と我が儘は、根本的に異なる。
人は大きな流れに身を任せ置きながら、
人は個性を発揮する事で際立たせる。
「AI」は、ある意味で有能、優秀だが、
「AI」は、個性を判定できるとする人と、できないとする人があり、
少しばかり賑やかだけれど、実際に「AI」は、個々の心理を読め適正な判断ができるのか、その場合の「適正」とは何か?
例えば、アパレル製品(販売)もビッグデータから予測できると、主張する実態を識らぬ無知で無恥な呆怪者が現れ、自らの呆気も考えず「AI」は万能と吹聴している。
「AI」が個人の嗜好をまで左右し、一定の方向へ引っ張るなら、それは「全体主義」そのものだろう。
40年前の「中国」は全員が平等の原則から「人民服」が標準だった。
基本は、供給が制限され統一されており、選択の幅が少なければ「ビッグデータ」を「AI」が分析する事はできるだろうが、そこには「強制」が優先され「個性」は画一化され否定される。
理論的に不可能ではないが、
「AI」は「個人」の個性を踏みにじり、主導に従えと強制するのだ。
そこには、ジョージ・オーウェルが指摘した危険な社会「1984年」が出現する。
更に「動物農場」へ囲い込まれるのではないのか?
全てのアパレルの市場も変えると主張するのを否定はしないが、
それは個人の嗜好を否定であり、社会環境を「AI」が変えるのであれば、それは極めて、危険性を秘めているとは考えないのか?
例えば、アパレル製品の短期派遣販売に就く「マネキン(業)」があり、労働大臣許可の民間職業紹介事業として存在し、今も大型店の催事などでは活躍中ですが、絶滅危惧業種だとか、「AI」では得られないニッチな能力を示す限り存続できますよ。
ナンでも「AI」が万能ではないよ。
| 固定リンク

