引用開始→【平成30年史】
元銀行マンと新聞記者が振り返る「イトマン事件」…全容は解明されず、今も残る「バブル恐怖症」
(産経新聞2017.2.12 15:00)
「平成」はバブル経済の崩壊から始まった。株、土地、ゴルフ会員権などが実態をはるかに上回る高値で取引された狂乱の時代が終焉(しゅうえん)を迎える中、都市銀行のトップを巻き込んだ戦後最大の経済事件が平成2年発覚する。数千億円が闇社会に消えた「イトマン事件」だ。元住友銀行(現三井住友銀行)マンの国重惇史氏、イトマン事件を最初に報じた元日本経済新聞記者の大塚将司氏、当時日経新聞のデスクだった田村秀男・産経新聞特別記者に、事件の背景や当時の金融政策などを聞いた。
《イトマン事件は、中堅商社イトマンを舞台に主力取引銀行の住銀も絡んだ特別背任事件だが、バブルに狂奔し、裏社会につけ込まれた銀行の“暗部”があぶり出された点でも過去の経済事件とは一線を画した。事件では6人が逮捕され、大阪地検は平成3年の初公判で「戦後最大の経済事件」と位置付けた》
--なぜ、バブル景気が起こったのか
大塚 米国に言われるまま、金利引き下げや財政出動を実施したからだ。平成元年に三菱地所がニューヨークのロックフェラー・センターを買収したのが象徴的で、当時の日本経済は最強だった。でも(巨額の対日貿易赤字を抱えていた)米国は「貿易不均衡は内需が少ないからだ」と騒ぎ、日本は要求を受け入れざるを得なかった。金利引き下げも財政出動も両方やってしまった。金融緩和と内需拡大策が円高不況の克服に役立ったのは確かだが、バブル景気をもたらし世の中全体を株や土地の投機に走らせてしまった。
田村 ワシントン特派員だった昭和60年に、(日米欧がドル高是正で一致した)プラザ合意があった。また当時、ドルの暴落を恐れた米政府は、(日米金利差の拡大につながる)日銀の利上げを牽制(けんせい)した。日銀は5.0%だった公定歩合(金融機関への融資金利)を段階的に引き下げ、62年2月に2.5%とし、平成元年5月までこの低水準に据え置いた。当時を思い返せば、大蔵省(現財務省)と米連邦準備制度理事会(FRB)が結託して、日銀を押し込めていた印象だ。
--こうした中でイトマン事件は発生した。当時のイトマンの融資体制は
国重 200億円規模を一気に融資できる信じられない体制だった。ぽいっと(お金を)出す印象を受けた。銀行はそこまで出せない。
大塚 時代背景もある。当時、地価(土地の価格)が下がると思っている人はいなかった。
--一般にはイトマン事件だが、「イトマン・住銀事件」とも呼ばれた
田村 (十数年も頭取、会長として君臨し「住銀の天皇」と呼ばれた)磯田一郎さんは「向こう傷を恐れるな」と大号令を発し、拡大路線を突き進んでいた印象だ。ものづくり(メーカー)中心の融資では銀行の収益は伸びないというのが持論だった。そこにイトマン事件が起こる隙間ができたと思う。イトマンは住銀の別動隊として、不動産を中心とした融資を拡大させていた。
--イトマンが経営不振に陥った原因は
大塚 資金繰りに窮していた経営コンサルタントの伊藤寿永光氏(後のイトマン常務)に目をつけられ、住銀の融資がイトマンを経由して彼に流れた。イトマンはその後、伊藤氏を通じて(政治家や暴力団組長と付き合いのあった在日韓国人フィクサー)許永中氏とも関係を深め、食い物にされた。
国重 住銀の元常務で、イトマンの再建を命じられた河村良彦さん(当時イトマン社長)が伊藤氏を呼び込んだ。当時は、銀行が反社会的勢力と関係を持つ時代だったが、河村さんは直につながっていたんだろう。磯田さんには問題意識があったはずだ。私は河村さんの暴走をとめられるのは磯田さんのみと思い、内部告発文書を(磯田会長に「苦言」を呈す立場にある)大蔵省の土田正顕銀行局長宛に郵送し、大塚さんにもリークして記事にするよう頼んだ。
--イトマン事件に揺れる住銀内の雰囲気はどんな感じだったのか
国重 磯田さんは腹心である河村さんを擁護し、イトマン事件が表沙汰にならないように画策していた。その一方、行内には改革派を中心に「膿」を出そうという動きがあり、派閥闘争と絡んで事態をより複雑にした。
--磯田さんと事件発覚前に頭取だった小松康さんとの間で軋轢(あつれき)があったと聞く
国重 軋轢はあった。2カ月後に小松頭取2期目の任期が満了する昭和62年10月、磯田さんは突然小松さんを解任し、巽外夫副頭取(当時)を頭取にした。内部対立があった。
大塚 小松さんはそれなりに磯田会長(の拡大路線)に対抗しようとしていたのではないか。解任されたので結局、みんな磯田さんしか見なくなった。
--磯田さんは、イトマンが問題化することは分かっていた
大塚 私は平成2年2月から本格的に取材を始めた。夏前の経団連の暑気払いのパーティーだったと思うが、磯田さんは既に憔悴(しょうすい)し始めており、「あまりいじめないで」と言われた。
《磯田会長はイトマンの不穏な動きを懸念しながらも対処できず、むしろイトマンを経由して伊藤寿永光氏への不正融資に手を染めた》
--なぜ、磯田会長ほどの名バンカーが裏社会につけ込まれたのか
国重 磯田さんの娘が(イトマンとの)不明朗な絵画取引に加わっていたことが明らかになったからだ。
《イトマンは美術品を市価の2~3倍以上の高値で購入。磯田会長の長女も利権を得ていた》
--イトマンは結局、住金物産(現日鉄住金物産)に吸収合併された
国重 住銀は、イトマンの会社更生法申請の段取りをつけていたが、土壇場で申請をやめてしまった。もし更生法を申請していたら、日本経済のバブル処理はもっと早まったかもしれない。今でもあのとき更生法を申請していればと思っているが、大蔵省に反対された。
--最近、バブルを題材にした映画作品やテレビCM、女性芸人が人気だ。バブル時代をどう評価するか
大塚 バブルは経済が強ければ発生してしまうものだ。バブルが起きるようでないと、国富は拡大しない。当時を振り返ると、バブルが起きたのは昭和時代の日本経済が頂点にあったときで、平成に入ってからは転落し続けている。ただ、当時の日本ではバブルはほとんど認識されていなかった。新聞記事のデータベースで「バブル」と検索すると、昭和63年ごろからバブルに関する記事が出始めるけれども、平成2年にかけては少ししか引っかからない。3年に入るとワッと増えてくる。
田村 米国ではよくバブルの定義について議論されていた。FRBのグリーンスパン議長(当時)は講演で「根拠なき熱狂」と表現した。聞いた話では、グリーンスパン議長が優秀なスタッフにバブルの定義を決めるように指示した結果、「バブルが起きているときにバブルと定義できない。潰れて初めてバブルと呼べる」という結論が出たそうだ。
資本主義社会では、金融資産の取引によってどんどん価値が膨れていく。これが米国経済の原動力になった。米国では、たとえば住宅バブルが潰れそうになるときに、いかにその影響を最小限に抑えるかを考える。一方、日本では、地価の上昇が問題視された。橋本龍太郎蔵相(当時)をはじめ多くの政治家は、中間層がマイホームを買えなくなることを不平等だと考えた。
大塚 大蔵省が2年に不動産融資の総量規制をしなかったらバブルは崩壊せず、イトマンも生き残ったかもしれない。商社は総量規制の対象外だったため、普通の銀行にはできない借り入れの申し込みがイトマンに集中した。でも、結局は「平成の鬼平」と呼ばれた日銀の三重野康総裁(当時)による猛烈な金融引き締めとの相乗効果で追い詰められた。
国重 バブルのころの三重野さんの精神性はすごくよかった。でも、崩壊後にある飲み会で、金融は緩めるべきだと申し上げたが、意に介さなかった。今の日本人はあまりに慎重になっているが、もっと気楽にやったほうがいいと思う。今は銀行を含めて挑戦することを怖がっている。
イトマン事件後の日本橋支店長時代、あるベンチャー企業に無担保・無保証で4億円を支店長権限で融資した。恐らく現在の日本橋支店長では5千万円ぐらいまでしか許容されないのではないか。すべての案件は本部に審査を申請しないといけない。金融庁の締め付けが厳しくなった。
田村 今は金融庁の森信親長官がどんどんお金を貸すようにいっているのに矛盾している。無担保・無保証の融資は厳しくチェックしている。
--いまだにバブル恐怖症があるということか
国重 国民性の問題ではないか。
田村 金融庁としても、融資先の企業が経営破綻した場合に、当局のチェックが緩いからとメディアでたたかれるのが怖いのだろう。
--今の邦銀を見て、イトマン事件の教訓は生かされていると思うか
国重 マイナスの方が大きいと思う。日銀がこれだけ金融緩和しても、お金が世の中に流れていかない。銀行は借り入れを申し込んできた企業に担保があるかを聞いて、主力取引銀行がどこかはっきりすれば融資を引き受けるような状況だ。森長官は成長性のあるベンチャー企業にもっと融資するよう言っている。でも、日本国内のITベンチャーへの融資実績は、米国の千分の1程度しかない。銀行は本来、担保がなくても将来性があると思ったらお金を出さないといけないが、それができていない。これはバブルの反動だろう。
田村 バブル崩壊後の8~9年ごろになると、企業の財務や経営状況に関係なく、銀行が新規融資や継続融資に消極的になる「貸し渋り」、銀行が既に貸し出したお金を回収しようとする「貸しはがし」が出てくる。
大塚 バブルは壊した後にどうするかが最大の問題だが、日本はそれに失敗した。なぜかというと、国民に「またすぐ資産価値が上がる」との認識が強く、金融引き締め後の緩和はゆっくりやらないといけないという意識が当局にあったからタイミングを逃した。
《バブル崩壊後、富士銀行(現みずほ銀行)と東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)で架空預金証書を使った不正融資事件が発覚。「天才相場師」ともてはやされた尾上縫氏の巨額詐欺事件も起きた》
大塚 イトマン事件やそれ以外の事件も顕在化させる必要はあったが、米国のように適当なところで済ませればよかった。米国で完全に破綻させたのはリーマン・ブラザーズぐらいで、残りの金融機関は救済した。日本の場合は、金融庁が2000年代に入っても追い込み続け、旧三和銀行中心のUFJ銀行(現三菱東京UFJ銀行)も事実上潰すのに等しい形を取った。主導した竹中平蔵金融担当相(当時)は米国の言いなりだった。「日本を徹底的にたたき潰したい」という米国の陰謀という側面もあったかもしれない。
--トランプ米大統領の下、米国は金融規制を緩和する方向だ。米国の金融業界は今後、どのように変わっていくか
田村 トランプ政権は金融規制をどう改革していくかを課題にしている。リーマン・ショック後、米国の大手金融機関は財務体質が強くなって自信が出てきた。「もう一度やってやろうじゃないか」ということになっている。日米でバブル崩壊には違いがある。米国ではリーマン・ショックのように金融市場がクラッシュを起こして、証券が紙くずになることをいう。FRBがドル札を刷って(紙くずになった証券を)買い上げたことで金融システムは安定を取り戻し、徐々に実体経済もよくなった。米国はリーマン・ショックの後、5~6年で回復してきた。
日本はバブル崩壊後に「失われた20年」を経験した。磯田さんが住銀のトップだった時代は、銀行はイケイケで積極経営をやっていたが、バブル崩壊後、いつまでたっても新しいビジネスモデルが見当たらない。
《トランプ米大統領は保護主義的な発言を繰り返し、日本の自動車メーカーも標的にされた。日銀の金融緩和を「通貨安誘導」とも批判した》
大塚 トランプ政権が、金融規制の改革で日本の金融機関をいじめる気はないような気がする。
国重 一時は「日本いじめ」があった。1988(昭和63)年に国際業務を行う銀行に一定の自己資本比率を求めるバーゼル規制が導入された背景には、邦銀の資産が膨張し、日本が世界の金融を支配するという危機感があった。
大塚 トランプ大統領はウォール街の利益を考えて政権運営していくのだろうけど、今は米銀にとって邦銀は目じゃないのが現実だ。
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イトマン事件 不動産事業で巨額損失を抱えた中堅商社のイトマン(大阪市)が、絵画取引やゴルフ場開発などの名目で巨額の資金を闇の勢力に吸い上げられたとされる事件。資金の流れの全容は分からないままで、主力取引銀行だった住友銀行も巨額の損失を出し、当時の磯田一郎会長が辞任に追い込まれた。平成3年7月に大阪地検特捜部が、住銀出身の河村良彦・前イトマン社長、経営コンサルタントの伊藤寿永光・元イトマン常務、フィクサーとして知られた許永中氏らを特別背任などの疑いで逮捕した。←引用終わり
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国重惇史氏(くにしげ・あつし) シーアンドイー会長。東大卒業後、住友銀行入行。大蔵省担当(MOF担)や取締役を歴任。楽天副会長などを経て現職。イトマン事件の内幕を明かした著書『住友銀行秘史』が平成28年10月に発売され話題に。71歳。
大塚将司氏(おおつか・しょうじ) 作家・経済評論家。早大院修了後、日本経済新聞社入社。平成2年9月にイトマンの乱脈経営を暴き、戦後最大の経済事件の端緒を開いた。「三菱銀行・東京銀行の合併」の特報で7年度新聞協会賞を受賞。66歳。
田村秀男(たむら・ひでお) 産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員。早大卒業後、日本経済新聞社入社。ワシントン特派員、経済部次長・編集委員などを経て、平成18年12月から現職。著書に『財務省「オオカミ少年」論』など。70歳。