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2021/02/06

30年前の「イトマン事件」に触れる連続ですが、実際の事件の当事者は「住友銀行」で、事件後にイトマン解体を指揮した巽外夫が老衰で逝去したと!

2/04 に、お友達がSNSにシェア投稿された「日鉄物産が三井物産と提携する」があり、
それを拝見した際に様々な思いが走馬灯のように巡り錯綜し、2/05に投稿しましたが。


日鉄物産は、伊藤萬(イトマン)が事件後に、住金物産へ統合され、新日本製鐵と住友金属の経営統合で「日鉄住金物産」となり、社名変更で「日鉄物産」への道程があり、その過程には感慨があります。


そして今日、偶然とは言え!
「イトマン」の解体処理を指揮した「住友銀行」の巽外夫(元)頭取が老衰で逝去、との記事が朝刊の一面に、追悼提灯記事が5面に報じられ。
更に、これは偶然ながら、最終面下の広告欄には小学館の「堕ちたバンカー」が・・・・・


イトマンが傘下に収めた事業会社に関わりを持った側として、イトマン生え抜きの出向者の思考や取組み、支配下に置かれた現場の社員の熱情、さらに何よりも「住友銀行」の特命(解体支援)チームを率いたM氏の意向、これらの綱引きと「名を残す」「損切りするが回収はする」「(住銀が)世間から弓を引かれない」「従業者の体面を守り再就職先を適正に確保する」が最大のテーマでミッションだった。


しかし、一切それを表に出すワケではなく、普通に事業展開を助言した。
同時に、住友銀行のイトマン派遣陣は、大阪船場の老舗「イトマン」の体面を守り、来たるべく回収と解体に向け利用する目的で、住友銀行がイトマンを占領支配した際に磯田天皇の子飼い河村良彦(事件の最大責任犯)が、他社へ石を投げ追い払った、創業家の伊藤直三氏を呼び戻し、権限のない会長に就け、住銀が派遣した秘書団が周囲を固め「座敷牢」幽閉状態におき、名だけを徹底利用した。


それを指揮した、当時の住友銀行の頭取巽外夫が逝去したと。
まぁ、畳の上でか・・・・・!?
なお、住銀から送り込まれた河村良彦が常務に就けた伊藤寿永光(冠婚葬祭屋)は、創業家の伊藤家とはナンの関係もなく、何処の馬の骨かも知れぬ(半島塵との指摘もある)反社の表構成員だった。
在日半島塵のタコ坊主「許永中」の草履取りであった。
イトマン事件は、ナンの事はない「住友銀行事件」そのものだった。


「伊藤萬(イトマン)」を喰ったのは、
神戸に君臨する闇の世界、その番頭「伊藤寿永光」と在日某社会を支配するタコ坊主「許永中」だった。


住友銀行(磯田一郎)がイトマンへ送り込んだ高卒の突撃隊長「河村良彦」は、
自身の無能を隠すため、闇の勢力に肩を揉まれる度に資金を流出させ続けた。


一部引用開始→ イトマン事件から30年、スクープ記者語る悔恨
裏社会に多額の金が流れた巨大経済事件の顛末
大塚 将司 : 作家・経済評論家
(東洋経済新報社2021/01/20 6:30)

無謀な地上げ、法外な絵画取引、乱脈なゴルフ場開発など、バブル経済のまっただ中で創業100年余の中堅商社を通じ、闇社会がメインバンクの住友銀行から巨額の金をむしり取ったイトマン事件。それが発覚したのは内部告発状、そして住友銀行のバンカーだった國重惇史氏と日本経済新聞記者の大塚将司氏のタッグによる巧妙な作戦によるものだった。1990年の日経新聞のスクープから30年あまり経ち、大塚氏は何を感じているのか。告発の軌跡をインタビュー形式(聞き手は五十嵐京治POWER?NEWS編集長)でまとめた大塚氏の新著『回想 イトマン事件』を一部抜粋・再構成してお届けします。

<イトマン事件発覚の経緯>
日本経済新聞1990年9月16日の「伊藤萬グループ不動産業などへの貸付金、1兆円を超す 住銀、資産内容の調査急ぐ」という3段の記事が、戦後最大の経済事件と言われたイトマン事件勃発の狼煙となり、イトマンの膿が次々と世の中にさらけ出された。
10月7日に「住友銀行の天皇」と言われた磯田一郎会長が辞任し、翌1991年1月25日には、イトマン取締役会で河村良彦社長を電撃解任。4月24日には大阪地検特捜部と大阪府警がイトマンに強制捜査に入り、7月23日に、河村氏、伊藤寿永光(いとう・すえみつ)氏、許永中氏ら6人が商法違反の特別背任容疑で逮捕された。それから14年後の2005年10月7日、最高裁は上告棄却を決定し、河村氏に懲役7年、伊藤氏に懲役10年、許氏に懲役7年6月の刑が確定した。
舞台となった東証1部上場の老舗商社イトマンは、事実上多額の債務超過に陥り、1993年4月1日、住友金属工業(現:日本製鉄)系の鉄鋼商社「住金物産(現・日鉄物産)」に吸収合併され、110年の歴史を閉じた。合併にあたり、5000億円を超すイトマンの不良資産は別会社に分離し、住友銀行が時間をかけて処理することになった。が、3000億円ともいわれるこの事件で闇社会に流れた金については、裁判で全容が解明されることはなかった。←一部引用終わり

30年を経た今日に至るも、
一方のカネを吸い上げ続けた側の「反社(組織)」は、いまも存在し続け。
喰われた側は、事業統合と解体を繰り返し、人材はバラバラになり、既に商権は消え失せ、遂に住友銀行が救済統合を主導した住金物産も、親会社である鉄鋼の事業統合で、名も消え、商権も消え、組織も消えるか。


住友は一にも二にも自らの体面を気にする思考体質だ。
そのくせ、他者に対しては平然と切り捨てを断行する。


「安宅産業」への措置、そして「伊藤萬」への措置、
この二つの処理に、住友銀行というか住友グループの思想が凝縮されている。


とりわけ、住友銀行を信用せず信頼しないのには、このような体験も含めた様々な理由があるのです。

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