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2021/03/10

政権交代という政変の過程では多くが人命を喪い資産は灰燼に帰し! 織田信長やその一派は英雄でもナンでもなく単なる乱暴狼藉者に過ぎずだ!

「麒麟がくる」は、終わったが!
明智光秀は悲劇の平和的で穏やかで平和を希求する人物だったと!?
そして、織田信長を打倒した事に一定の支持を集めているが。
さて、その「天下統一」したとされる織田信長は正しいか?


信長の天下とは「京都」の事で、
公家の政治体制の「京都」に「天下武布」を執ると叫んだものの、日本の権力構造を根源から変える事はできなかった。
統一国家ではないから「天下」が「政治の中心=京都」は普通の事だ。
何よりも、信長が「京都」へ上洛する度に、寺院や町屋(民家)を接収し、その際に乱暴狼藉を加え民を追い出し占有を繰り返し・・・・・


歴史は勝者の記録に過ぎないため、敗者の歴史記録は無いに等しい。
ましてや、武力を背景に「政権」を争奪する際に踏み付けてきた民の側の記録などは皆無なのだが、幾つかの記録文書が発見され解読され解説されるようになった。


京都へ上洛した際は、宿舎として「寺院」「町屋」を接収し、追い出し占領した。
婦女子を構わず連れ去り、取り返すには「金の支払いが必要」で、金が無ければ売り飛ばしていたとか。
気にくわなければ、民間を相手に「上京」全体を焼き討ちし、焼き払うなど、武力行使し乱暴狼藉を繰り返した。


織田信長も、京都守護職を任じられた子分に過ぎない明智光秀も、その輪に加わり積極的に加担していたのだ。決して、平和亡者などではない。
信長の組織する「織田軍」は正規兵で、他の多くの武将が支配地の各村から若い衆を調達し組織編成する「軍勢」とは異なるため、武力行使の合戦の場では、破壊力も抜群で強力だったと。
敵対した三次三人衆は固より、朝倉配下の密偵なども、所詮は、寄せ集めを組織した暴力団なのだ!


ミャンマー軍が中国(の意向を受け)と組んだ「クーデター」も、織田信長の頃と何ら変わらない。


政治権力奪取攻防の過程で、
例えば、東京の半分が焼き討ちされ「焼き払われ」ると考えればどうか?
現代社会で通用するか?
おそらく、赦さないだろう。


中獄なら、やりかねないだろうが。
要は、そのような事なのだ!
麒麟が去った後は、秩序を形成し戊辰戦争で幕政を倒した後の「経済社会」を建設するために奔走した「論語と算盤」の渋沢栄一翁だと。

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