「演劇の街は要らない」 世界に名を馳せ、世界でポジションを得ようとする必要などはない! 嗚呼、文化不毛の阿呆利屋が煽り勝ちしたとか
4月28日投開票の豊岡市長選挙で、突然手を上げた元市議会議長が800票余り上回り当選したという。
「但馬の平凡な街でよい」と主張し、
豊岡は、地場産業の「カバン」と「城崎温泉」に「コウノトリ」と「玄武洞」に縋り、平凡に衰退すりゃヨイじゃないかと、
引用開始→ 新豊岡市長に関貫氏「演劇のまちなんかいらない」 現職を批判 (2021/4/25 23:53神戸新聞NEXT)当選確実の一報が入った関貫氏の選挙事務所(兵庫県豊岡市大手町)は、大きな喜びに包まれた。
当初、3回連続の無投票が予想された同市長選。市議会で保守系会派の代表を務めた関貫氏が立候補の意向を明かしたのは、3月議会の最終日。告示のわずか20日ほど前だった。
「演劇のまちなんかいらない」。現市政に真っ向から異議を唱え、「市民の感情に合っていない」と繰り返し有権者に訴えた。
市議に3回当選し、自民系会派に所属。2019年から2年間議長も務めた。それでも同じ自民系の現職中貝氏に「次第に共感できなくなり、今は演劇に肩入れしすぎている」とした。自民系市議の半数7人が支援に名を連ねたが、ぎりぎりまで後援会長が決まらず、体制固めから苦労した。直前の表明で知名度アップにも必死だった。
「主人公は市民」と訴え、公約は、子育て支援に重点を置いて0~3歳児の子ども医療費の無料化を掲げた。「但馬の他の自治体並みにすべき」と訴えた。
「今のままでいいのだろうか。市民の共感はあるのだろうか」。同じ思いを持つ市民の票を取り込み当選を果たした。(石川 翠)←引用終わり
但馬の地域で、但馬の他地域と同じでヨイじゃないかと。
地域に眠る資源を用い、知恵を吹き込み、息吹を与え、世界を目指そうとしたが。
そんな必要はない! 知恵や創造力で豊岡が生きる必要はないと主張し。
「知恵と創造力で街や地域を」活性化しと、考える側とすれば、呆れてモノが言えない!
あまりにも「偏狭なモノ言いと低思考力」それこそが、但馬の豊岡の低迷を招いているのじゃないのか?
世界を目指す「演劇の街」を形成するのに、豊岡市はどれ程の「資金」が要るというのか?
余りにも「田舎じみた "偏狭" な煽り」に、豊岡の民が選んだ結果だからナンとも言えない。
「但馬の平凡な街でよい」との主張で、
豊岡は、地場産業の「カバン」と「城崎温泉」に「コウノトリ」と「玄武洞」に縋り、平凡に衰退するばかりで、地域の活力は奪われ衰退一途だったじゃないか? ナニを考えているのか?
国から、県から、カネを引っ張れば、地域は活性化できると考えていること自体が恐ろしい。
親子で国会議員を弄ぶだけの「谷公一」、オマィはナンだ。
唖然、呆然、アホくさ! ドサクサ! ワケ分からん!
但馬のヒト、豊岡のヒトは、地域衰退の原因を自らの問題として考え、例えば、他地域や世界から「人を呼び込む方法」を真剣に考えよ!
基本的に、争点らしい争点のない、ボスの座争いの選挙だった。
広域拡大し編入された側に何らかの不満があり、多選批判というより、広域合併しても味気なさが先立つ雰囲気であったと観ています。
それは、衆議院で「谷」と「梶原」が席を分け合う選挙区独特の閉塞感があり、地域の振興政策が「土木」と「農水」に「小規模商工振興」でしかなく、いわば「受け身の政策」展開以外に何も目立った事ができない地域の事情があります。
観光は、JR西日本依存で、軸の生産業としての鞄製造は「東京」からの指示待ち下請け業でしかなく、ほかに雇用を生む産業は全て出先でしかない状況で、それに引きずられるサービス業では閉塞感を打破できずです。
「山陰海岸ジオラマパーク」も、保存と整備が必要で、観光客の導入手段やアプローチを一体的に考えなければなりません。
しかし、注目され資金を投じさせ得る「ウリ」を整えなければ、地域全体を高める事はできません。
そこで「知恵」を捻り考え出したのが「豊岡国際演劇祭」であり、共鳴してくれた「平田オリザ」氏を軸に、世界へ打って出ようとしているワケで。
新しく合併した地域を含めた起爆剤になり得ると考えた極めて積極的な取り組みです。
しかし、今すぐ「直接的な利益」を象徴的にも得る事はできません。それは不満になります。
当選者の支持者からは、そんな事は言っていない。
準備もないまま然したる政策もなく、目新しい看板もないまま選挙の政策を取材され、ウッカリ「医療福祉」の充実を口にし、比較対象として例えば「演劇の街」も良いけれどと、触れた事が争点のない選挙では、記事の上で争点になるのです。それは選挙参謀の無能で、ご本人の傲慢失態です。
いま、ローカル地域の活性化に「文化政策」は、最も有効で文化振興による地域の創造性を高め、魅力を発信していく政策は、開発型の土木優先政策より遙かに評価されます。
出石町や城崎町とも合併した豊岡市にとり、最も有効な最良の創造都市政策と、積極的に評価してきました。直ぐには効果は出ないけれど、創造性の高い輝くローカル都市「豊岡」として、世界に名を馳せると考え見守ってきました。
それだけに、この度の事は残念無念でなりません。
それで、応援を止める事はありませんが、もっともっと大きな視点で捉える必要があります。
例えば、長野県に「小布施町」があります。
「小布施町」は世界に名を轟かせる小さな小さな町です。
それは「北斎美術館」の存在です。
世界から、人が「小布施」を訪ね北斎美術館を訪問します。
その結果、北信で最高の町になりました。
外国人は、長野や軽井沢を知らなくても、小布施町の方が著名なのです。
市村酒造へ日本酒に興味を持ち学びに来た米国人女性が、遺された北斎の版画に興味を持ち、発展させた事で世界に名を馳せたのです。
日本の文化的価値を「小布施」の住民は知らず、気づかず馬鹿にしていたのです。
都市や地域は、単なる工業や農水だけではなく、文化的創造性の発揮こそが地域や都市の魅力を高め、増すのです。豊岡市は一時的な事で、それを否定し止めてはなりません。
都市や地域の形成と「経済活動」は一体です。
基本は都市計画があり、適正な人口配置があり、それに伴う産業配置があれば適正な形成ができます。
人が生きる上で最も必要で原始的な事は、衣食住です。
次に「喜び」の提供が求められます。
故に、例えば日本では、祭礼を地域の鎮守社を中心に、参加させる方法を重視し「地域の紐帯」を重視してきました。そのため多くは、厳しい冬を乗り越える事ができた時に「春の祭り」を、収穫を願う「御田植え祭り」を、夏の疫病に負けないため「夏祭り(祇園祭など)」を、秋には収穫に感謝する「秋祭り」を催し、地域全体の生活軸にし、そのために「祭り唄」や「祝い唄」が生活の中での芸能を形成し、地域毎に卓越した人がいました。
人の生活にとり「芸能」や「一芸表現」は生きる歓びなのです。これは形式や形態こそ異なりますが、世界共通の人としてとても自然な姿です。
それぞれの国や地域あるいは民族により表現の方法や示唆は大きく異なりますが、それ故に交流し競い合い感心し互いを讃え友人の輪が広がっていく。
それは「知性」であり「文化」であり、何よりも真似のできない「オリジナル」であり、豊かな創造性なのです。
その交流を通し化学反応が生まれ、互いに理解し、互いに扶け合う密接な関係性が生まれます。
演劇は、芸能表現の集大成であり、限りない創造性の発揮であり、一回きりの一期一会であり、それを観るためには、それが表現されている場へ足を運ぶ以外にはありません。
NYは、金融都市で、国連を軸にした国際都市と多くの日本人は考え捉えていると思いますが、NYを支えるのは世界各国から訪れる観光客です。
観光客は、何を観光しに来るかと言えば「ブロードウェイ」で演じられる「ミュージカル」や「演劇」です。
しかも、ブロードウェイを支える「オフブロードウェイ」と呼ばれる「インキュベーター性を保つ小劇場」です。
併せて「メトロポリタン美術館」などを時間をかけて見学していきます。
豊岡が直ぐにそれと肩を並べる事ができるかと言えば、時間はかかります。
イタリアのボローニャは、世界最古の大学都市ですが、ボローニャはオペラ都市でもあり、小劇場も含め訪れる観光客は絶対数が多いのです。
都市や地域の基本は「文化」があって「経済」があるのです。日本の多くは経済があって文化だと、真逆の主張をしますが、世界と競争できるのが経済だとする思考は間違っています。
文化不毛の地で経済が隆盛であるというのは知りません。
観光客も「文化表現」に費用を使う誇り高い秩序を評価する観光客を求めたいと願っています。
ガサツな、ウルサイだけ、ゴミだけ落として平気なのは要らないのです。
そのような「文化経済都市=豊岡」の形成、文字通り「心の豊かな岡の街(市)」を願って応援しています。
豊岡に広域統合した出石は、幕政の頃に、それを達成していたのじゃないですか?
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