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2021/05/03

憲法記念日に、身近な「思想・信条の自由」に基づく「言論・表現の自由」を主張するには「批判・反批判」の自由からも責任からも逃げられずを指摘する!

現在、自動車工業はCo2削減の環境規制を前に、EVが脚光を浴び、唯一無二の正解の如く持ち上げられ、FCVは見向きもされず逆風だが、内燃機関と水素燃料の効率性を考え、安定性や発展性を含む戦略に基づき、
長期的な視点で捉える代替性(オルタナティブ)思考が重要ですよ。


電気をどう造るのか、この基本問題が根源で解決されていません。


次に、EVは一時的な課題を解消できましょうが、輸送トラックなどが大量のパワーを得ることは難しいと懸念されています。


また必ず生まれる「バッテリー」の廃棄で生じる「環境汚染」は、現況の「Co2」排出による不都合を超える危険性が既に指摘されています。


基本は、水素を燃料に低速ロータリーで発電し、それをエネルギー源に置き換えるFCVが最有力と考えています。
トヨタとマツダが協力し合う事で、世界に冠たる最高の技術を確立できます。
それが、日本の製造業に好循環の影響を与えます。


何れにしても、現在の部品メーカーは裾野のポジションを問わず、淘汰を余儀なくされます。


EV信奉者の人物が、この指摘に対し、議論として「反論」せず、捻くれた「反応」をしていましたが、自らの限定された世界で及川眠子の投稿ツイッターを引用し、拗ねた批判(反応)を加え、今後は「絶交」だと言いたいようで、実に阿呆くさい話です。


*及川眠子「猫から目線」以下のツィートを用い禺にもつかぬ "拗ね愚痴批判" を加えてきた。

引用開始→ 情の深い人ほど「こいつはあかん」と思ったときに一切の隙も与えず見限る。完全に背中を向ける。情が深いのは、あかんと思うまでの辛抱が長いことでもあり、あかんと思ったときにはすべての情を使い果たしてるから。でも情をかけられてた人間にはそれが理解できない。裏切られたと思ってしまうんだな。←引用終わり


研究者と実務者の違いは、対象を特定抽出する際、汎い相対性と狭い特定性が違うのか?
正解を求める方法や至り方が異なるのも致し方がないですが、答は無数に存在するワケで、より正しい方向や、合理性のある方向が求められるとも言えます、
秀逸な実務者が進める提起の決め付けを眺め、狭い蛸壺の研究発表で提起の主題に不思議な違和感があり。正しくても相対的な比較による評価が不可欠と考えますが、自論に拘り比較が欠落しており残念なとしか言えずですね。


他者の言を借り、迂遠な表現に自身の心情を包み、対象を小馬鹿にする事で溜飲を下げるのも自由ながら、悲しく寂しい話です。
途上にある現象は、何れの主張も正しく、何れの主張も間違いを否定できません。


そこには、相手をやり込める事が正しいとする勘違いがあります。
「哲学カフェ」や「交流の場」は、意見交換や雑談の場は、会議じゃないので結論は不要です。
夫々の参加者が自ら考え結論を得る事が大切なのです。
決して、強い主張者が正しいワケじゃありません。書籍を紹介し合う「ビブリオバトル」で紹介者の優劣を競う等は、実に下らぬ行為だと見ています!


賢人頓は「唯臭独損」ゆえに骨折れで、また「賢者の貧考」も味わい深く「絶対」を拘泥するのも「自由」だが、足下を掬われる警戒すら持たずは幼児の思考か。基本は「来る者を吟味し、去る者は追わず、備えも怠らず」なので。
攻撃的で過剰な批判もヨイが常に複線思考と対案を求める。


社会を支える経済は、重層的に無限に連鎖し連関し合いながら形成されているワケですから、弱体な点は補強し置き換えながら積極的に関与する人の手で護られ維持されます。
それは弁証法的に「批判」と「反批判」の応酬を重ね一定の止揚を得るといえます。


当然ながら、
言論・表現は勿論、それを支える思想・信条は自由です。
同時、同様に「批判」を加え(受け)る自由(責任)も甘受するのは自然な事です。

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