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2021/06/24

「知の巨人」立花 隆 氏が、4月30日に逝去されていたと・・・・・

知の巨人」立花 隆 氏は、此方の「恥の虚塵」を切ったと、
1974年の「田中角栄研究~その金脈と人脈」は至極のレポートだと高く評価したい!
それらの意味で卓越した人材を喪ったと言える。


何よりも、「田中角栄」の「金脈構造」を忠実に受け継ぎ、ポピュリズムの煽りと共に政治手法を更に発展させ、より強固な「黄金」を私的基盤として巧妙に築き上げたのは何を隠そう「小澤一郎」その人である。
それを発展させようと画策し続けて止まないのは「二階俊博」そのモノだ。


「猫ビル」をお訪ねする事は叶わなかったが、ゴールデン街の「ガルガンチュア」へお邪魔する事はできた。


一般的に、
創造力もなく仕事もできない人は、組織名に拘泥し、その肩書きに拘りたがる。
例えば、対象の案件に①「着眼」し、それを②「企案」し、それをまとめ③「企画」し、それを④「作業」する。これらにはそれぞれの過程があり基本的に構造があり階層性があり、外観上同じに見えても同じではないわけです。


知を切り拓くためには、知を遡る事は実に重要で、大変な量の「先行研究」に当たり続け、体系的に論点を整理する作業の積み上げを欠かす事はできません。


基本的に、その整理ができないと、何を議論しているのか、それそのものが分からなくなるとも言えました。


「猫ビル」は、立花 隆 氏が、知を蓄積する経過で触れ通過した「資料」や「書籍」が収納された「個人図書館」そのものとされています。
遅まきながら、「心よりの、ご冥福」をお祈り申しあげます。 合掌


引用開始→ ジャーナリスト立花隆さん死去 「知の巨人」、80歳―「田中角栄研究」
(時事通信 2021年06月23日10時04分)

 さまざまな分野で著作を残し、「知の巨人」とも評されたジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし、本名橘隆志)さんが4月30日午後11時38分、急性冠症候群のため、入院先の病院で死去した。80歳だった。長崎市出身。葬儀は家族葬で済ませた。

 1940年生まれ。北京に渡り、終戦後引き揚げ、水戸市で育つ。64年東京大文学部仏文学科卒。文芸春秋で週刊誌記者として働いたが、約2年半で退社。同学部の哲学科に学士入学し、在学中に「立花隆」の名でルポライターを始めた。

 74年、調査報道に基づく「田中角栄研究―その金脈と人脈」を発表。時の首相の金権政治の実態を暴いた特集は、同年12月の内閣総辞職の引き金となり、一躍名をはせた。
 執筆分野は幅広く、政治、社会、人文、生命科学分野など多岐にわたった。日本人科学者がノーベル物理学賞を受賞した素粒子ニュートリノ研究など、最先端科学技術の取材に力を入れ、サイエンスライターとしても知られた。

 東大大学院や立教大で特任教授となり、学生を指導。放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員、日本文学振興会評議員なども務めた。

 2007年にぼうこうがんが発覚。翌年には冠状動脈の機能不全が見つかり、心臓の手術も受けた。その後も取材意欲は衰えず、月刊誌の巻頭随筆の連載を続ける一方、晩年を意識したような著書も出版。20年に刊行された「知の旅は終わらない」では、「死んだ後については、葬式にも墓にもまったく関心がありません」とつづっていた。「生命の大いなる環の中に入っていく感じがいいじゃないですか」とも記し、葬儀は5月4日に樹木葬で営まれた。

 1983年菊池寛賞、98年司馬遼太郎賞。主な著書に「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「脳死」「死はこわくない」など。←引用終わり

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