大都市域はデラシネ(根無し草)が漂着した雑多な居留民の仮寓を集積肥大化した掴み処のないエゴが充満する空間だ
東京は1400万人を抱える「大都市」で、首都圏全体では3900万人が生活する中心だ。
基本的に「大都市圏」は、各地から居留民を目指し蝟集してくる人の仮寓集積ともいえ、歳月の経過と共に職仕舞いし、いわゆる出身地へ戻る前提があった。
大都市は、経済の有効性もさることながら「社会文化」は深い重層性があり刺激も多い、生活が維持できるなら、それを享受しようと棲み着く。
” 「江戸っ子」は3代目から、と言われるように ” 都市の定住民として定着すると言えます。
移民は、仮寓民ではなく正式な「市民権」を得て「定着定住」を目指すワケで。
米国での移民定住なら志願して「兵役」にも就き「永住権」や「市民権」の獲得を目指す。
日本の大都市では仮寓の民と定着定住の民を集積を、1960年代後半から繰り返させる間に「東京と首都圏」は形成された。
元来、地元はあっても「故郷」を持たない(喪った)人達が「東京と首都圏(一都三県)」ともいえる。
かつて、寺山修司は「書を捨て町へ」と口にしたが、
それは、「故郷を捨て都市へ」と読み替えるべきかとも。
大都市は、故郷を持たぬ「根無し草(デラシネ)」の集積し、突っ張り合わさせ、激烈な競争を強いる社会ともいえる。
漠然と「大都市」へ辿り着けば「職・食」にありつけると考えるのか!?
知る人物は、15歳にして西海の島から佐世保へ出て、19の春に神戸へ辿り着き、大阪で嫁を得て流れ流れ日吉に到り、本当に汲々とした救急生活に耐え、小振りな小部屋を賃借し猫を抱え棲み着き、退屈な西海の島(故郷)を捨てた。
常に夢想の日々で支離滅裂な小理屈を述べ立て、雑然と下らん寝言をダラダラァ~と自己主張し棲息しているワケで。
心情がミギウヨウロの者は「夕刊フジ」を買い求め、心情がヒダリドンベやリベ珍ドモは「ニッカンゲンダイ」を買い求め、息抜きし愚痴りながら、大都市の下層や底辺を支えるワーカーとして、あるいはルンプロとして収奪される事を嘆き、その日を生きるのだ。
この手の者を積み上げたのが日本の「大都市」に、市民と称しつつ蝟集している。
その意味からも、田園社会の紐帯を重視し人間関係や利益享受関係を基盤にした「政策」その集積とした「政党」とは、大都市に起因する社会経済の政策要求とは相容れないとも云える。
「根無し草(デラシネ)」は、明確な「損得」を主張し、煽られると靡き寄せられるのは致し方がない。
この環境や状況で、
政党が勝ち抜くには「国家観」と「理想の社会」を明確に打ち出す必要があり、力強い明確な言葉でリーダーシップが欠かせない。
その基本的を欠き、それに基づく重要政策を訴求できない間は、まず心に響かず勝ち抜けない!
既存の与野党ともに抱える避けられないテーマだ。
| 固定リンク