無能が自慢し吹聴する詐欺と変わらぬ吹聴自慢話の数々は滑稽話でも、「根猿」と名刺に書き表す「サル芝居」に騙される汚馬鹿が絶えなぬようで
仕事がデキル人は、アイデアフラッシュでも思い付きは騙らず、少なくても実現可能なスキームを考え詰める。
それもなくアイデアを吹聴し自慢し戦線拡大するのは呆気の所業に過ぎず。
騙りに与するが如く箔付けに名を使われる側は本当に迷惑な事だろう。
呆気のサル芝居は究極に走る!
ダメオはダメオを喚び徒党を組み、互いに傷を舐め合い慰め合う無限連鎖の底なし沼か、全てを吸い込むブラックホールだ。
言葉は同じでも文法が異なり言葉の意味や理解も通じず、思考も論理も根源で異なると共有など成立せず、思考レベルの保持は重要で中高生レベルにはその対応が必要か!
成立する事業は十分な「コアコンピタンス(事業の中核能力)」を固め形成する。
従い成長普及の過程で生じる「ノイズ(批判や妬み)」にも十二分に競争に耐え戦い抜ける。
その確立もなく「自慢吹聴」するのは哀れ愚の骨頂だろう。
小児は小児の器に過ぎず、一合枡に一合も入らぬような滑稽が日常的に散見される。
根本的に考えるチカラを持たず、体裁を気にして整え大きく見せたがるヒトを相手にするのは骨折れだ。
何処かで仕入れたテーマを貼り付け、問題意識を提起し「中身空っぽ」を覆い隠しても、汚ツムを振るも空では音もせんのだ。
その時間に自分の「生産性」を高める取組みをしろよナと言っておく。
「付加価値生産」は、モノマネでは産まれず、他を圧倒する必要もなく、オリジナリティの保全また時宜に応じた発展で、普遍的な価値を追い「創造性」を高めることで小さくても強く大きく形成される。
真似るは学ぶ事とされ、必ずコピーされ同質の価格競争に陥るも形成確立した創造力は先ず強い。
様々な種類の人が集い来る場には、堂々と「コンサル業」を主張するも、口裂けの「根猿」から実際に高い知見や技能を備え指導力や突破力を保つ人まで様々で。
対象の分野も多岐で、名刺に「根猿」と記す者を含め嘘八百が百花繚乱だ。
経産省は外郭組織を統合し認定した事もあったが、中小企業診断士だけが認定対象だが、それで現実の社会に漂う様々な事案に対処できるワケではない。
規制を緩和するというより無規制で責任を任せ自由に活躍させると「騙りが跋扈」する。
凡そ「公益事業」に従事、参与、また関与する人には、厳しく「透明、公正、公平」が求められる。公私の峻別がない人は悲しく哀れだ。
何よりも「教育事業」は「非営利公益事業」の典型で、それを「学校法人」として保護し保全し、独善防止には「私立学校法」で縛りをかけるのだが、社会的公正を自覚しない馬鹿跋扈には打つ手がない事を無能で無責任な図体だけを肥大化させた日本大学は、半世紀後にも示しているのが滑稽だ。
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