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2021/12/13

嗚呼! 北朝鮮 友好国の外交官も近代物資も手当てできず電力も自家発電だと

中程度の文明国が「北朝鮮の平壌」へ派遣駐在させる外交官は、
存在存立そのものが危機的な状況にあるといわれ、基本的には友好国であるはずの「ロシアの外交官」が、大使館を閉鎖し一家を挙げて北朝鮮を離れ帰国した。
最後は鉄路上をトロッコを使い自力で推す様子が写されたその動画映像(この静止画写真)が流された時の感想は、
「ホォ~」というオドロキと、ロシアの外交官に対しても意外に冷たいのだなぁと・・・


以前、誰かに指摘した事がある。
それは「北朝鮮」のような近代文明が一部に集約され、絶対的な基本が農業国家なら、経済制裁を高めようが強めようが、
「音を上げないし、希望どおり潰れる事には程遠い」と言った。


それを聞いた側の質問は、文字どおり近代文明国の人らしい内容だった。
基本的に「文明の利器」を利用しない、自然任せの生産活動や消費活動なら、縄文の頃の狩猟生活と殆ど同じなので発展もなければ衰退もない。
一握りの「朝鮮労働党の大幹部など」は、秘匿物資や極秘の特別配給を得つつ、それらを少量ずつ費消するため、多少は困難を強いられても、元が貧乏を共有する社会主義(共産主義)ゆえ、然程のオドロキもないのだ。


どうしても、困窮物資を手に入れる時は、弱体な層に様々な理由付けをして徴発するだけで痛痒を感じる事すらない。
その種の価値観を否定する側には容認しがたい事ではあろうが、絶大な権力を構築し君臨する者には日常茶飯事に過ぎないのだ。
西欧的価値観などに毒された側には理解できない事だろうが。
ゆえに、ロシアの外交官も一家を挙げて平壌を離れたワケだ。


引用開始→ 公用車も買えず、出国はトロッコで...北朝鮮で暮らす各国外交官のリアルな日常
The Life of Diplomats in North Korea
(Newsweak 日本版 2021年12月10日(金)13時16分)
コラム・リンチ(フォーリン・ポリシー誌外交問題担当)

<大使館は自家発電で必要な備品の購入すら困難。制裁のあおりを受けた、あまりに不自由な日常が国連の内部文書に記されていた>

ロシア人外交官は饒舌だった。彼の口調は軽かったから、その場にいた人々には冗談めいて聞こえたかもしれない。だが彼の話は、制裁下の北朝鮮で働く外交官が直面する難題を子細に伝えていた。

2011年9月12日のことだ。語っていたのは、駐北朝鮮ロシア大使(当時)のワレリー・スヒーニン。国連安全保障理事会の各国代表が集まる席上だった。スヒーニンは例えばこんな話をした──。
 ★注:2011年9月12日は2021年9月12日の間違いではないか?

ロシア大使館は経費や職員給与の支払いのため、モスクワと北京から現金を袋に詰めて運んだ。欧米諸国の銀行が首都・平壌への送金手続きに応じないからだ。

トヨタや三菱自動車など日本の自動車メーカーは制裁違反を恐れて、大使館に車を売ることも部品を供給することもしない。独フォルクスワーゲンは、道路が舗装されていない地方のロシア領事館がジープの購入を申し込んでも、制裁で禁止されている高級品だからという理由で応じなかった──。

公用車が平壌に届いたのは2年後
「ロシア大使館が歴代の(駐北朝鮮)ドイツ大使2人に掛け合ったが、メルセデス・ベンツには大使用の公用車を売ってもらえなかった」と、スヒーニンは語った。「そこで北京のロシア大使館がベンツを購入し、国境を越えて平壌まで車を走らせた」。あれこれ算段を立ててベンツが平壌に到着するまで、かれこれ2年かかったという。

スヒーニンの発言は、北朝鮮問題に関する国連の専門家委員会による機密扱いの内部文書に記されている。そこには、他国の外交・援助関係者などの証言も含まれている。

スヒーニンに言わせれば、こうした不合理で屈辱的な事態は、北朝鮮に対する制裁の副作用だ。制裁は、その影響を受けなくていいはずの人々に大きな影響をもたらしているというのだ。不要な影響を受けているのは北朝鮮の一般市民であり、各国の外交官だという。

スヒーニンが話をした国連の会合から数カ月後、イギリスのカレン・ウォルステンホーム駐北朝鮮大使(当時)が国連本部を訪れた。彼女は国連の制裁担当者を前に、スヒーニンの発言に反論した。新車2台を中国と日本を通じて輸入することはできなかったが、「タイから運ばせるのは簡単だった。数回の電話で済んだ」と、ウォルステンホームは言った。

ただし彼女も、平壌では水道や電気の供給が不安定なので、イギリス、ドイツ、スウェーデンの大使館がある建物では自家発電機を使わざるを得ないと証言した。

自力でトロッコを動かして出国
この国連の機密文書を読み込むと、一方にロシアと中国、もう一方に欧米諸国という対立の構図が見える。それぞれが北朝鮮制裁の長所と短所に関し、世界に向けてどのように説明するかという点で争っている。さらには、北朝鮮に駐在する約300人の外交官の暮らしぶりがうかがえる貴重な文書でもある。

外交官は北朝鮮の動きや核開発の実態について、ごく基本的な情報を集めるだけでも大変な障害にぶつかる。北朝鮮の大半の外交関係者や政府職員との交流は事実上禁止されており、平壌市外への移動は厳しく制限されている。当然ながら、核関連施設を訪れることは不可能だ。

人道援助の対象施設に出向くようなときも、北朝鮮の当局者が同行する。外交官は監視抜きで、援助活動家や一般市民に接することができない。

国連による制裁が始まったのは2006年、北朝鮮が初の核実験を行った直後のことだ。当初は北朝鮮が核・弾道ミサイル技術を取引することを未然に防ぐ目的だった。だがやがて北朝鮮が軍事力を増大させたため、制裁内容は燃料と木炭の取引制限、高級品の輸入禁止などへ拡大された。

今も国連本部では制裁が北朝鮮市民の生活に与える影響をめぐり、大国間で議論が繰り広げられている。新型コロナウイルスのパンデミックによって、平壌駐在の外交官の生活は一変した。大使館から出ることさえできなくなったため、多くの大使館職員が北朝鮮を去ることを決めた。

しかし国境封鎖と渡航制限のせいで、出国の手続きも面倒なものになった。今年2月に出国を目指したロシアの外交官一家は、鉄道とバスを乗り継いだ末に34時間かけて国境にたどり着いた。最後は自分たちの手でトロッコを動かして出国したという。

スヒーニンらロシアの外交官が10年前に平壌で味わった苦労は、ブラジルやエジプト、パキスタンといった国の関係者も経験していた。

北朝鮮のブラジル大使館が国連の専門家に宛てた書簡によると「朝鮮民主主義人民共和国のブラジル大使館は、ブラジル銀行(マイアミ支店)の口座から北朝鮮国内の銀行の口座に直接送金することができなかった」という。「送金は、北京にある中国の銀行を通じて行う必要がある。しかも送金元の銀行は、平壌の銀行から送金の承認を得るために、各送金の大まかな目的を伝えなくてはならない」

シリア政府は、平壌の大使館がコンピューターやコピー機など基本的な事務機器の購入に苦労していると訴えた。「現地では自動車やその部品を購入することも、外国で購入した車の部品やメンテナンス用品を見つけるのも難しい」と、駐北朝鮮シリア大使館は国連宛ての書簡に記している。「地元民以外の外国人が好むような食品は、現地の市場にはない」

さらにシリア大使館は「制裁によって、外交官の活動が困難になっている」と訴えた。「ここには国際航空会社のオフィスはなく、運航便もない。旅行会社もない。......贅沢品、特に消費財、必要不可欠な家財道具、電気・電子機器などは見当たらない。入手できたとしても、非常に高価だ」

情報も展望もない毎日
これらの証言が浮き彫りにするのは、日常のあらゆる面を縛る政府の統制と、制裁による広範な経済活動の制限という二重苦に陥った国で外交活動を行う難しさだ。

ただし、それが全ての国に当てはまるわけではない。イギリスやドイツ、イタリアなど平壌に駐在する欧州の外交官は、制裁が外交に及ぼす影響はそれほど重くみず、北朝鮮当局による官僚的な制約の行きすぎを強調していた。

当時の駐北朝鮮ドイツ大使ゲルハルト・ティーデマンは、11年12月9日に国連の制裁専門家の集まりを主催。高級品の購入を禁止する法律があっても、エリート層が18年物のウイスキーを購入するのを妨げない国で、欧州の外交官がどう暮らしているかを語った。

北朝鮮当局者は外国人との交流が禁止されており、欧州の外交官と接触する機会はほとんどない。ティーデマンが会った北朝鮮の当局者も、外務省の欧州担当部長くらいだ。

ドイツの外交官が人道支援プロジェクトの視察のため地方に行こうとすると、許可証と政府当局者の同行が必要だと言われた。寧辺の核施設を視察したいという要請は常に退けられた。さまざまな手続きなしには「中国国境まで近づくことも許されなかった」と、この内部文書にはある。

平壌にいると、北朝鮮に核技術を提供した疑いがあるイランを含む他の制裁対象国との密な関係を目にする機会がある。ティーデマンによれば、イラン大使は平壌で実に積極的に動いており、空港では相当数のイラン人を目撃できた。

ティーデマンがイラン大使と会ったとき、大使は聞かれてもいないのに「北朝鮮とは経済的、文化的問題に関して協力関係にある」と話し始め、「だが核問題での協力は絶対にない」と断言した。

モノもなければ、情報もない。そして将来への展望もない。北朝鮮駐在の外交官の毎日は、こうして過ぎていく。←引用終わり

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