国の財政を支えるのは、その国の「生産性」で「生産力」だ! その低下を見ず考えず「机上の空論」で財務省事務次官の問題提起を否定してもダメだろ
なぜ、国の財政を警告した財務省矢野事務次官の問題提起に議論が起きないのか?
政治家は、殆ど社会経済が分かっていない。
しかも、財政政策と国債の関係を全く理解していない。
基本的に経済政策を甲高く述べる側は、実体経済を全く理解していないと断罪しておく。
何よりも、国としての「投資」よりも「消費」のウェイトが高く、文字どおり消えてしまうカネの遣い方に重点があるから批判するのだ。
引用開始→「矢野論文」が響かない理由 金融市場はなぜ無視するのか 40年前の経済白書が…【解説委員室から】文芸春秋(11月号)に掲載された財務省の矢野康治事務次官の財政危機を訴える寄稿は「矢野論文」と称され、世の中に波紋を広げた。読者の中には「日本は破綻するのか」と心配した方もおられるだろう。ただ、意外に思うかもしれないが、金融市場で「矢野論文」は完全に無視された。国民の間で広がる財政不安を横目に「まったく材料にならなかった」(大手邦銀)という。金融市場に響かない背景を解説したい。(時事通信解説委員 窪園博俊)
「深刻」な国家財政
わが国財政は、矢野次官が訴えるまでもなく「深刻」な状態にある。本来、国家財政に責任を持つ公的部門トップが危機を訴えるのは異常事態で、「金融市場が動揺してしかるべき」(日銀OB)だが、肝心の国債相場はびくともしなかった。これは財務次官の発言を決して軽視しているわけではない。財政赤字が空前の規模でも金融市場は危機の予兆を感じ取りにくい状況に置かれているのだ。まず、財務省ホームページの「日本の財政関係資料」から抜き出したチャート(図表1)をご覧いただきたい。注目は「金利」である。これは国債利回りの推移だが、国債残高の積み上がりとは対照的に低下傾向をたどった。利回りは国債価格と逆に動く。利回り上昇は国債の値下がり、低下は値上がりだ(以下、『利回り』は『金利』に統一)。このチャートが意味するのは、国債発行が増加するほど値段が上がった、ということだ。モノの供給を増やすと、普通は需給が悪化して値下がりする。ところが、国債の場合は逆で、たくさん出すほど、値段が高くなった。
国債は借金に例えられる。家計や企業が借金をたくさん抱えると、信用は悪化するものだ。借金過多の人や企業が借り換えをすると、貸し手は貸し倒れリスクを考慮して金利を高くする。借金が増えるほど金利は高くなり、返済が苦しくなりやすい。しかし、日本政府の場合は借金をたくさん抱えるほど、信用力が増して金利が下がった。そして、その恩恵を受ける形で、利払い費は1990年代末から下がり始めた。
これは、金利低下に伴う必然的な効果だ。具体的には、金利低下が進む中、過去に発行された金利の高い国債が償還される。そして、金利の低い国債が発行される。これによって金利負担が軽減する、というものだ。国債発行が累増しても、この金利低下の恩恵が強力なため、利払い費は2005年前後まで減少。その後、国債発行が累増を続けても利払い費は8兆~9兆円程度で横ばいだ。05年前後を起点にすると、借金がほぼ倍増しても返済負担はほぼ変わらない、という驚異的な効果だ
個人や会社では考えられない現象がなぜ起きたのか。これは「経済要因」と「需給要因」に分解できる。まず、経済要因だが、端的には日本が低成長・低インフレに陥ったことだ。1980年代後半のバブル崩壊後、経済は長期低迷。もともと低いインフレ率は若干のマイナスとなり、いわゆる「デフレ」となった。成長率の失速とデフレの長期化に歩調を合わせ、金利は淡々と低下した。
供給増でも国債の値崩れが起きないワケ
そうは言っても、国債がどんどん供給されたら値崩れが起きる(金利は上昇)のではないか、と思うだろう。ここで登場するのが「需給要因」である。銀行や生損保など金融機関から旺盛な需要が発生したのだ。長期低迷の下では、民間からの資金需要が乏しく、金融機関は運用難となる。国債ぐらいしか有力な運用先はなく、累増する国債は金融機関の格好の運用資産になった。国債を買う源泉は銀行の預金だ(帳簿的な動きとして国債と預金は同時発生的に増加する)。日本は世界有数の預金大国で、金利が低下しても国民は貯蓄性向を高めた。皮肉にも、経済の長期低迷で将来不安が高まった結果、国民は預金増強に動いた。これまた皮肉にも、預金を多く持つ高齢層は、年金制度が揺らぐことへの不安から余計に預金を積み上げたとみられる。こうした国民の預金膨張は「日銀資金循環統計」の「家計の金融資産」(図表2)で確認できる。
家計が抱える現預金は年々膨張を続け、直近残高(今年6月末)は1000兆円強である。お気付きであろうが、おおむね国債発行残高と見合う。何のことはない、累増する国債は、金融機関を介して膨張する預金でほぼ消化されるのだ。政府は国債で調達した資金を各種の公共事業や補助金などで民間に支払う。使われた資金は最終的に銀行預金として着地。あたかもお金が政府と銀行預金の間で増殖しながら循環するようなものだ。
こうした自己完結的な資金循環が形成されるのは、前述したように経済の長期低迷で将来不安が根強く、国民が預金に励むからだ。通常の金融理論では、金利がゼロになると高い金利を求めて資金は動く。国内に有望な運用先がなければ、金利の高い外貨に流れやすい。ただ、日本人は総じて「リスク回避」の性向が強いため、積極的に外貨リスクを取らない。預金は国内滞留を続けるしかないのだ。
【図表3】非金融法人企業の金融資産(日本銀行ウェブサイトより)実は、企業部門もお金を使うのに慎重であり、現預金を抱えやすい。これも日銀資金循環統計の「民間非金融法人企業の金融資産」(図表3)で確認できる。成長期待が乏しく、設備投資してリスクを取るより、将来不安に備えて内部留保を厚くしたいためだ。実際、潤沢な内部留保のおかげで企業部門は大手を中心に「コロナショック」を乗り越えることができた。いずれにせよ、家計と企業の預金が金融機関を介して国債とそれ以外の政府債務のすべてを支える構図となっている。
「メザシの土光さん」が見たら…
最初に戻るが、金融市場が「矢野論文」を無視したのは、経済低迷、デフレ傾向、預金が国債を消化する資金循環に「変化が生じることは当面ない」(銀行系証券アナリスト)と見ているためだ。日銀は脱デフレを目指して2013年に大規模緩和に踏み切ったが、上がらぬ物価を前に漫然と緩和策を続けるだけだ。財政不安が本物なら金利が上がるはずだが、「今のところ、その気配はない」(債券ファンドマネジャー)との見方が支配的だ。日銀の国債大量購入も金利抑制要因だが、銀行が買うはずの国債を日銀が奪っただけで、金融緩和が低金利の主因ではない。冒頭で「わが国財政は…『深刻』な状態にある」と深刻をかぎかっこで囲ったのは、財政赤字は金額が大きいため深刻なイメージを与えるが、金融市場ではその深刻さに現実味がないからだ。ここで興味深いことを紹介したい。具体的には、わが国は大昔から財政危機を訴えていたということだ。
「(わが国の)最も現実的な問題である財政赤字の現状からみてみよう。…景気回復過程にもかかわらず公債依存度はむしろ逆に上昇の一途をたどり…公債依存度は主要国中最大となっている」
1981年の「経済白書」である。国債発行残高は100兆円未満で、この危機感である。その頃、「メザシの土光さん」で有名な土光敏夫氏の「土光臨調」(第2次臨時行政調査会)が発足し、国鉄民営化など大胆な行財政改革を手掛けたことを記憶する方もいよう。この土光臨調は、強い危機感から「増税なき財政再建」を目指した。その土光氏がタイムマシンで現在の財政事情を見たらまず嘆き、そして驚愕(きょうがく)するだろう。「臨調は失敗だったのか」と。そして、国債発行残が10倍以上にもなって「なぜ金利がゼロに近いのか」と。財務省トップが警告しても金融市場が無反応で、金利が上がらない経済の方が財政よりも深刻な病状を抱えていると言えよう。←引用終わり
【筆者略歴】外国経済部、ロンドン特派員、経済部などを経て、現在は解説委員。1997年から日銀記者クラブに所属。以来、金融政策、経済、マーケットの動向などを取材。
(2021年12月17日掲載)
小林慶一郎と中野剛志の議論も、言葉の遊びでしかない。
自らの負えるリスクではないため、机上の空論でしかない点が哀れに尽きる。
「コラコラコラム」は、一貫して財政出動が止むを得ぬ時は積極的にと考えている。
但し、条件がある「消費に終わらない事」である。
基本的には「生産性を上げる事」が前提で、できる限り国全体で「生産力」を高める事に取り組まなければ評価できないと考えている。
財政出動を批判する、あるいは肯定する、いずれの側も「生産性の向上」や「生産力の向上」について考え触れ指摘し、真剣に取り組むことを喚起する真剣な議論は未だ耳にしない。
分かったような事を、あるいは僅かな違いを述べ立て、批判し非難しているだけに過ぎない。
いま、世界が日本の社会経済に注目しているのは、極めて教科書的に衰退への途筋を間違いなく歩み続け、生産力も生産性も伸び悩みと下降を窺う展開にあるにも関わらず、それを打破しようという政策の試みや戦略的転換が示されないまま、徒に歳月と時間を費やし、財政出動が常に「消費」されるばかりで、一向に社会経済が活気を示さない点を懸念しているのだ。
引用開始→「この程度の認識だったのか」バラマキ批判の“矢野論文”をめぐり財政再建派と反対派が激突!
小林 慶一郎Vs中野 剛志
(2021/12/16 : 文藝春秋 2022年新年特別号)――本誌11月号に掲載された矢野康治財務次官の論文をめぐり、識者の間でも賛否が分かれています。矢野論文のポイントを簡単にまとめると、以下のようになるかと思います。
(1)現在、国の債務は地方と合わせて1166兆円に上り、これはGDPの2.2倍にあたり、先進国でもずば抜けて高い水準にある。
(2)にもかかわらず政治の世界では、数十兆円規模の経済対策や消費税率の引き下げなど「バラマキ合戦」のような政策論が横行している。
(3)このままバラマキを続けて、国の借金がさらに膨らみ続ければ、国家財政はいずれ破綻する。
本日は、矢野氏に近い「財政再建派」の小林さんと、反対の立場をとる中野さんとで議論していただくわけですが、まず論文に対する率直な感想をお聞かせください。
小林 わりと「正統派の財務省の言い分がそのまま書いてある」という印象ですね。ちょっと財政破綻の危機感を煽りすぎている嫌いはありますが、大筋では同意できます。矢野さんがイメージする「財政破綻」とは、国の借金が膨らみ続けることで日本国債の格付けが下がり、金利が暴騰してハイパーインフレを招くシナリオだと思いますが、その懸念は私も共有するところではあります。
「日本の財務次官がいかに間違っているかを示した」
中野 財務省がなぜそこまで財政再建にこだわるのか、実はあまりよく分かっていなかったんですが、この論文を読んで「この程度の認識だったのか」と驚きました。もちろん内容には何一つ賛同できません。日本の財務次官がいかに間違っているかを示したという意味で、歴史的文献としての価値は高いと思いますが(笑)、この論文には少なくとも三つの大きな問題点があると思います。小林 では、ひとつずつうかがいましょう。
中野 第一に日本財政の破綻を懸念するこの論文自体が、日本財政の信認を毀損している点です。矢野さんがご自身で書かれている通り、財務次官は〈財政をあずかり国庫の管理を任された立場〉にあります。学者や評論家ではない。そういう責任ある立場の人が日本の財政について〈タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの〉と書いたわけで、そのこと自体が日本国債の格付けを下げて、日本経済全体に悪影響を及ぼすことになりかねない。日本財政の信認を守るべき財務次官として、あるまじき行為です。
なぜ“矢野論文”に市場が反応しないのか?
小林 しかし例えば90年代の不良債権のときは、誰もがその問題を認識しながらも、そこに触れると「マーケットや国民がパニックになる」という理由で多くの官僚は口を噤んでいたわけです。それが官僚として正しい態度だったのか。私は、大きな問題が存在し、現状で解決の方法が見出されていない場合は、その問題を国民に明らかにしたうえで、「一緒に解決法を考えましょう」と呼びかけるべきだと思う。その意味で矢野さんの行動は評価されていいのではないでしょうか。
中野 そこで私が考える矢野論文の第二の問題点が出てきます。それは財政を掌る財務次官が官僚としてのタブーを破ってまで「このままでは財政破綻する」というメッセージを発したのに、マーケットがほとんど無反応だった点です。矢野さんのメッセージ通り、日本が本当に財政破綻に向かっているのなら、この論文が出た直後に長期金利が上がってもおかしくないのに、実際には0.1%に満たないままです。要するに、日本は財政破綻に向かっていないということです。矢野さんはご自身の主張の間違いを自ら証明した恰好になったんですよ。
小林 私はマーケットが反応しない状況だからこそ、このタイミングで論文を出したんだと思います。つまり今はコロナの影響もあり、日本はデフレ下にあり、日銀が国債を買い支える状況が続いている。だから論文が出ても、金利や物価が急に上がる心配はなかったわけです。問題は日銀が買い支えられなくなったときで、このままならいずれその日が来る。だから今、警鐘を鳴らすんだというのが矢野さんの主張ですよね。
中野 なぜ政府債務がこんなに膨らみ続けているのに金利が低いままなのか。小林先生は「デフレ下だから」「日銀が買い支えているから」と説明されました。まさにそういう理由で、日本は財政危機ではないのです。そもそも、日銀が買い支え続けることの何が問題なのか。中央銀行が金利を抑えられるのだから、金利が暴騰することはあり得ないだけの話です。それに、中央銀行は通貨を創造できる存在なので、国債を買い支えられなくなるなんてことは起き得ません。
小林 いや、「今はない」だけです。将来にわたって「絶対に起きない」とは言い切れません。
国債は“将来へのツケ”なのか
小林 私は矢野論文の背景にあるのは、「将来世代にツケを残してはいけない」ということだと思うんです。国債は将来世代からの前借りで、いずれその金は返さなきゃいけない。これまでのように日銀が買い支えられるうちはいいけど、もし将来において例えば制御できないようなインフレが起きたら、将来世代への大きな負担を残すことになる。それは避けたいという矢野さんの思いは否定すべきではないでしょう。中野 違います。国債は将来の増税で償還しなきゃいけないと思い込んでいるから「将来世代へのツケ」だと誤解するのです。国債の償還は、増税ではなく借換債の発行によって行うべきです。それから、私は制御できないインフレは基本的に「起きない」と考えています。
小林 国債の償還を借換債で出来るなら、国家運営に税は不要という話になり、まったく同意できません。これは後ほど議論しましょう。
中野 矢野論文の三つ目の問題点は、今、私と小林先生の間で議論したようなインフレの問題について、矢野論文はまったく触れていないことです。小林 そこは端折ってますね。
中野 でも人を説得しようとしているのだから、端折ってはダメでしょう。「財政再建か、積極財政か」の議論は国内外含めて山ほどあったのですよ。この論争に関する積極財政派の主張はだいたい次の三つです。
(1)日本政府は自国通貨を発行し、国債は自国通貨建てなので、財政破綻しようがない。
(2)財政赤字の拡大は金利の高騰を招くことはない。
(3)財政赤字が制御不能なインフレを引き起こす可能性は低い。
小林 非常にわかりやすく整理されていると思います。
MMTの議論を無視
中野 与野党の政治家たちは、こうした論点を踏まえた上で積極財政を唱えているわけです。ですから矢野さんが〈やむにやまれぬ大和魂〉で彼らを批判するなら、先ほどの三つの点に論理的に反論すべきなんです。とくに2019年にMMT(現代貨幣理論)が話題となり、「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」と主張して、大論争になったわけです。ところが矢野論文は、自国通貨建て国債の性格についても、金利についても、インフレについても、反論どころか言及さえしていない。それで、政治家を〈バラマキ合戦〉呼ばわりですから、これは相当レベルの低い議論ですよ。←引用終わり
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