知識創造の基「データサイエンス」を深化させる事こそが日本の社会経済を建て直す上での必須だろう!
日本が生産性を低下させている事を懸念し、その指摘を続け約20年。
徐々に回復させる分野がある一方で、大きく低下させる分野が生じ、全体では停滞を余儀なくされ続け苦しんでいるワケです。
「生産性」は「投資」と密接な「資本ストック」との関係性を示します。
勿論、一人ひとり、事業者一社ごとの「生産力」や「生産性」を高める事は不可欠ですが。
基本は「成長分野」を見出せないため、
「投資」を見出す事ができないともいわれ。
それを見出し、あるいは創出しない限り難しいとも一般論としては言われます。
ボリューム市場は満杯で、それを容易く超える事は困難ですから、確かにそうです。
「投資」というと大きくなり過ぎると反論を受けますが、
しかし例えば、身の回りで見逃している「対象」を見出し、
それに新たな「付加価値」を与える事で「利益創出」する事もできます。
戊辰戦争を経た明治の近代化は、
西欧列強から日本を防衛するために、知恵を総動員し競い合い、埋もれた「財」や「技術」を見出し、それを「付加価値」として外国人に、あるいは「海外市場」へ輸出し「外貨」を得て、それを「再投資」し、更に「資本ストック」を豊かにし、全体が一丸となり造り上げたのが現代の日本です。
消費財の生産と外国市場への供給を軸に、経済を立て国を豊かにしてきました。
WWⅡの敗戦後も、同じような手法で「身を粉にして」国土を経済を再建してきました。
特に、敗戦後は「米国市場」への輸出供給で外貨を獲得し続けGDPを拡大し続けました。
しかし、80年代には米国との間で深刻な貿易摩擦を産み出し、50年前の1930年代と同様に日本を排斥する動きに発展し追い詰められました。
それでも有頂天だった日本は、米国市場を嘲笑うかの如くでしたが、中国が鄧小平の手で「開放改革経済」に踏み切り米国を含め日米欧から積極的な資本投資を受け入れ、技術移転を成し単純な「消費財」の生産を請け負うようになりました。
日本で、消費財を生産する事業者は、バブル経済崩壊後の価格崩壊を目の当たりにし、単純製品の中国生産シフトを強め、生産拠点の移転を進めました。
単純生産に従事するだけで生計を営んでいた単純労働は切り捨てられ失業を余儀なくされました。
国内生産に踏み止まった側も、国際生産価格を求められ「賃金抑制」を続け「付加価値生産」を棄てました。
そのまま、1980年代からは40年、具体的な生産移転が始まってから30年、完全に付加価値生産を捨て去ってから20年。
日本の経済は停滞と下降を繰り返し、喰えぬ側には「カネをバラ撒き」黙らせる繰り返しです。
先ず、現在の日本は投資より、個人資産(2000兆円)に偏りがあります。
しかしながらインフレに対し「資本ストック」は生産に寄与しますが、「現預金」はインフレが10%進み上昇すれば、保有金額の価値は10%少なくなり90%になります。
それは政治の責任ではなく、市場の自由な変化であり、政治がそれを規制する事は自ずと限界があります。
やはり、適切に生産設備に投資し強い「付加価値」の供給で全体の生産性を高め、正常な経済成長を安定的に目指す事が大切なのではと。
現在は、過去の幻想に浸り「何もせず」涎を垂らし、立件狂惨を軸に、ソウカガッカリィも含め「ナベカマを叩き喰いモノ寄越せ」と騒いでいるに過ぎません。
マァ、ゆっくり考えてみてください。
ようやく目覚めたか「文部科学省」
旧弊な学術大系を後生大事にシガミツキ続ける「赤門閥(バカモン✕)」のロートル。
それに導かれる事で、ポジションと生活のカネを喜々として得て喜び、100年以上にわたりヒエラルキーを形成支配し君臨する呆気ドモ。
「都の西北」も「見た怪」も大局的には変わらず、在野を誇るがヒエラルキーにシガミツキ。
オマィらの「陳腐文系悩」優先が、どれだけ日本の足を引っ張っている事か。
権威主義を生み、諦観を生み、怯懦を形成させ、卑怯を刺激し、社会の創造を阻み、逃げ道は夢想を延々と。
この際、次は、①研究型大学院大学、②高度専門職大学院大学、③教養型大学、④専門職大学、⑤中堅専門職業大学、⑥名目学位記販売大学、⑦芸術系技能大学、⑧その他収容大学。
これらへ分類再編すりゃ良いじゃないか。
その上で、⑨技能職業専門学校、⑩技能専修学校へ再編し付けておけば良いじゃないか。
そのためには自浄能力を欠く「私立大学協会」や「私立大学連盟」は解体すべき対象だ。
データサイエンスを、50万人の大学・高専生に必修化させると。
①初級と②応用の2段階に、エキスパートだと。
基本は、①入門に、②初級に、③応用の3段階で、エキスパートだろう。
「情報工学」と読み替え、その重要性を主張してきた側としては、
取り敢えず遅まきながら歓迎する。
出でよ、ゲイツ、ジョブス、ペゾス!
データサイエンスに挑もうとする記事を、
80年前、データサイエンスを喪い「気力・精神力」を鼓舞した日に見出したのは、自虐的皮肉ともいえるが。
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