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2022/02/10

アァ、量販事業の成り上がり屋が「百貨店事業」やら「高級専門店事業」を語るも、所詮は「社会生活文化」の本質を識らず呆気のトホホ~な騙りに過ぎず

かつて「7&I HD」を率いた成り上がり者の鈴木敏文が、然したる経営理念もないまま、事業維持に苦闘する「ミレニアム R(そごう・西武)に目を付け事業買収したが、モノ言う株主に求められ、結局は元値で何処かのファンドに売却すると発表し、世間で大いに笑われている。


そもそも、成り上がり者に過ぎぬダボハゼの鈴木敏文が、そごう・西武に目を付けたのは、そごうの経営破綻で、当時の「奈良そごう」を安直な費用で手に入れた事で、優良立地(ともいえないのだが)を買い叩けると(悪夢に)目覚めたのが始まりだ。


コンビニも基本は定型品の量販に過ぎず、上位の生活文化を形成するほどでもなく、量販店事業者が小売業1位だとか言っても、それがどうしたの世界に過ぎず、高いレベルの社会生活文化を刺激するほどもなく、経済団体の世界では「一目」置かれるワケもなく寂しい話で。


百貨店事業は、付加価値創出提供の知識集約型の典型で。
量販店事業は、定型工業品の量的販売を安値で競う暴力的市場競争に過ぎず。


百貨店事業は、それぞれの流通段階に関わる人材の知恵や知識また技能の総和が産み出す「付加価値集積」で支えられ成立するといえる。
量販店事業は、流通段階を短縮あるいは圧縮する事で、各段階に関与する人材の付加価値を奪い、市場の顧客に還元すると掲げるが、実は収奪利益を自社の利益に置き換えるだけに過ぎない。


「7&I」や「AEON」は、その収奪事業の典型で、悪行を覆い隠すため、様々な「社会的事業」に還元するような「幻想を市場に振り撒き」誤魔化し続ける「悪の収奪者権化」に過ぎない。
つまり、社会生活文化の創造へ与するか?
それとも、定型工業品の安値販売を量的拡大し、自身の獲得利益を最大化し自慢に浸るか?
それが、百貨店事業者と量販店事業者の根源的で本質的な違いと言いたい。


その昔、量販小売業に君臨しダイエーを率いた故・中内 功氏が、ジーンズの専門店に取り組みたいと言い始めたのが「ジョイント」だった。
その際に、ブレーンに招聘したのが「H商品研究所」を率いたH氏で、此方はH氏からの要請を受けMD評価と流通構造の構築に参与した。

『百貨店事業も高度専門店事業も、共通するのは「知識集約型」事業で、その鍵を握る必須条件は当該人材の有無に懸かる。それは引き抜きもできるが、企業価値を生み出す「企業文化」を形成するまで歳月を要し、その間に「資本」と「文化」と「人材」と「経営管理」で、オーナーが根源を理解していなければ成立しない』と、指摘した。
早速、その場で見解の相違が明らかになり、続かない事を予見し、結果は予想どおりに。


何よりも、中内氏は、百貨店事業が欲しく「高島屋」の株式を買い占め、提携を迫る事もあったが、ハッキリ袖にされ「夢はあっけなく潰えた」が、諦めきれない中内氏は、パリの百貨店「プランタン」と提携し、あくまでも「百貨店事業」に拘ったが、その「プランタン ジャパン」は、既存の「ダイエー 大型GMS」と殆ど変わらず散々な結果を招き「量販店に百貨店は、夢のまた夢」で雲散霧消した。
同様に、高級専門店事業を手がけると言い、米国の「マグニン」と提携し「ジョセフマグニン」を展開しようとしたが、同じ原因で日の目を観る事もなく、ドンキホーテの儚い夢は相前後し当然の如く失敗に帰した。


所詮は、量販屋は個人の弱みに付け込み付け入る叩き売り屋に過ぎず、文化面で社会を生活の豊かさを語るのは自由だが、所詮は自身の事業誇示に過ぎず、貧乏人の成り上がりが「呆気の幻夢」を投影したものに過ぎずと、言い切ったところ出入り禁止になったが、故・中内 功氏が好きで始めた「ジョイント」は、早い段階で事業にもならず、語りは騙りに過ぎず、これもまた雲散霧消して果てた。


その後、中内さんは ” 学校法人中内学園・神戸流通科学大学 ” を創設し人材育成に取り組まれた。
開学との差はありますが、現理事長の御子息は、青山学院大学で慶應義塾大学を定年後に移られた村田昭治先生のゼミ生だ。


叩き売り屋に過ぎぬ「量販店事業者」が、成功者と持ち上げられ舞い上がり綺麗事に惹かれ、知識集約ビジネス分野で「社会生活文化」の分野に手を染め名を残そうとするのは、自らを省みない「愚の骨頂」と言い切る事ができる。


「世の中、そんな甘いもんやオマヘンでぇ~」と、言ってやり、
鼻で笑っている。

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