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2022/03/20

プーチンは強大なソ連邦で生まれ、その最大の権力機関で育ち、ソ連邦を喪い、スターリンが築いた恐怖支配を手にピョートル大帝のロシアを再び夢見て

ウクライナとロシア:


以前、何方かに何度か説明しましたが、ウクライナはキエフを中心にロシアを形成した原点なのです。
日本が日露戦争で主に戦ったロシアの「コサック兵」は、実は帝政ロシアに併合され動員されたウクライナの兵力です。


日本の社会や歴史に置き換えるなら、
例えば、モスクワは東京のポジションで、キエフは京都に当たります。
多くの露西亜の社会文化は、ウクライナ特にキエフ公国が正当に形成し華開かせた社会文化といえます。


その兄弟姉妹というか親子の関係でもあるウクライナが、とにかくロシアの強欲な支配欲の軛を断ち切り、ソ連邦の解体を機に独立国家共同体の一員としても共存するが、どちらかと言えば同じく兄弟姉妹の関係ともいえるポーランドなどと一緒に、欧州社会の一員になりたいと願い、ソ連邦の一員としての一角から踏み出し明確な独立宣言をしてから30年だ。


ロシアは、スターリンを生んだ「グルジア(現在のジョージア)」の独立にも、軍を送り介入し、嵩に着て様々な妨害を企てた。
ウクライナは、グルジアと異なり、自らの親であり兄弟姉妹なのだから、何があっても手放すワケにはいかない。
これがプーチンの基本的な路線であり、激しい性格からしても、踏み潰しても逃がさない決意なのだろう。


従って、可愛さ余って憎さ百倍、いや憎さ千倍なのだろう。
ウクライナとロシアの民族的関係について、分かり易い解説です。
ご一読され、ウクライナへのロシアの一方的な侵略侵攻の原点とも言える民族国家、あるいは社会文化について、ご一考を頂ければと存じます。
東欧各国の都市は小国家(都市国家)で、実際に地域や民族を代表する主権国家は、その地域に散らばり棲む少数民族を含む集団の広汎な連合ともいえる。


引用の記事は、”とらえもん” や ” まるでのうそまろバカセ ” の見解とは一部で異なる点もありますが、ロシアとウクライナを俯瞰し通暁する上では、大いに理解の参考になると考えます。

引用開始→ロシアとウクライナが「こじれた」複雑すぎる経緯 歴史で紐解く「ウクライナは民族国家なのか」

的場 昭弘 : 哲学者、経済学者、神奈川大学副学長
(東洋経済新報社 2022/02/25 15:00)

「ウクライナはヨーロッパだ!」

2022年2月24日、アメリカ・ニューヨーク、国連本部近くでロシアによるウクライナ侵攻に抗議するウクライナ人(写真・Bloomberg Finance LP)
ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。一方で、これまでのロシアとウクライナの対立の起源はわかりにくい。日本を代表するマルクス研究者で欧州史、欧州思想にも詳しい神奈川大学副学長の的場昭弘氏が、今回の問題と対立の起源を歴史的文脈から解説する。

ウクライナに住む当事者の立場を見ること
今にもウクライナで戦争が起きそうだと大手メディアはかき立てている。残念ながら、すでに、ロシアは独立を求めるウクライナの親ロシアのドンバスの2つの共和国に侵攻してしまった。首都キエフなどでも戦闘が行われている。ロシアとウクライナの対立の小さな火を、扇で仰いでしまったようである。コロナ禍によって世界で多くの人が亡くなっている最中、むしろ世界の協力と平和を求めるべきなのに、第三次大戦になりそうな戦争の可能性をマスコミも大国の外交もあおってしまったのだ。いったい、世界はどうなってしまったのか。

ウクライナ問題は根の深い問題である。歴史をさかのぼればさかのぼるほど、一筋縄ではいかない問題であることが見えるはずだ。この問題を考える際に、まず考えねばならないのは、ロシアの主張は本当に不当なのかどうかである。思考停止は、最初から偏見を持つことにある。相手の立場に立って見ることも重要だ。さらにはウクライナの人々、ウクライナのロシア人、ポーランド人、そのほか普通の人々の立場に立って冷静に見ることも重要だ。

もちろん、ここでロシア政府とロシア人を同じものだと考えてはいけない。またウクライナ政府とウクライナ人(大半はロシア人だが)を同じものだと考えてはならない。ウクライナ問題の中でまったく見えてこないのは、ウクライナに住む人々の声だ。とりわけ問題のドンバス地域に住む人々の声だ。当事者抜きで、アメリカ、ロシア、ウクライナといった国家レベルだけで考えれば、住民の望むところは理解できない。

帝政ロシア時代の哲学者、作家で、『向こう岸から』を書いたアレクサンドル・ゲルツェン(1812~1870年)は、西欧の向こう岸から世界を見ればどうなるかについて書いた人物だが、彼のいう「向こう岸」は東欧にあるロシア政府ではなく、ロシアの農民であった。彼は当時のヨーロッパの良識の代表でもあった歴史家のミシュレによる、ロシア人は野蛮であるという一方的な評価に対して、彼への書簡の中でこう述べている。

「人がロシアについて語る場合にはもはや、その場にいないもの、答えることのできないもの、耳が聞こえないでかつ口がきけないものについてのように語るわけにはいかないのだということをヨーロッパに明かにするときがきたのである」(「ロシヤ民族と社会主義 ミシュレへの手紙」金子幸彦訳、世界大思想全集、哲学文芸思想篇、27巻、河出書房、1954年、155ページ)。

彼は、当事者であるロシア人の声を聞けといっているのだ。当事者とは、フランス政府でも、ロシア政府でもなく、そこに住むロシア人の農民のことである。

どこまで歴史をさかのぼるかによって、その国家も民族も、その存在を正当化することも、また否定することも可能だ。どの国家や民族も昔からずっと存在してきているわけではなく、想像されたものであることは、疑いない。国民国家とは「想像の共同体」にすぎない。

19世紀の半ばから歴史を始めれば、なるほどウクライナは独立した民族であり、独立した言語をもつ、国家である。しかし、それ以前にさかのぼれば、小ロシアにしかすぎない、いやさらにローマ帝国崩壊後、北方から侵入したルーシ族が創設したキエフ公国までさかのぼればロシア人の起源はウクライナだといえないこともない。

小ロシアとなったウクライナ
しかし、歴史は残酷だ。このキエフ公国はモンゴルに潰され、やがて隣のリトアニア=ポーランド王国に潰されていく。そしてウクライナのロシア人を奪回したのがロシアだ。ヨーロッパに接近することで力をもったロシアが大国になるのは、ピョートル大帝(1682~1725年)からだ。その後ロシアの拡張は進み、ウクライナはロシア本体の辺境である小ロシアになる。それが辺境を意味するウクライナということばとなって現れる。

今の大国ロシアから見れば不思議な話だが、ロシアはつねに西に位置するスウェーデンやポーランドの侵入を恐れてきた。とりわけカトリックの宗教騎士団の侵攻である。ロシアは正教会であり、13世紀のアレクサンドル・ネフスキーの名前はカトリックの侵入を阻止した人物としてロシアの歴史に刻まれている。だからこそ、ロシアにとってスウェーデンとの間に横たわるフィンランドは重要で、この国を親ロにすることが重要であった。フィンランドもスウェーデンを恐れていたからある。

スウェーデンとポーランドの侵攻を抑えるために重要なのが、プロイセンである。18世紀に起きたプロセイン、ロシア、オーストリアによるポーランド分割は、ロシアにとってリトアニア=ポーランド王国の残滓を消すことであった。

しかし、状況は19世紀に一変する。そのきっかけをつくったのが、ナポレオンである。今のリトアニアのヴィリヌスに入ったナポレオンは、1812年初夏ロシアへと侵攻する。ロシア侵攻は、結局ナポレオンの敗走によって幕を閉じるのだが、ヨーロッパに民族独立の火をつけ、その後進展する国民国家独立運動を引き起こしてしまう。

それがギリシアのオスマントルコからの独立運動である。英仏の支援を受けたギリシアは独立に成功するが、これがポーランド独立運動の高まりを生み出し、若者たちの独立運動を引き起こす(青年ドイツ、青年イタリアなど)。こうした独立運動は、当然ながら絶対王政による支配に対する抵抗運動として、社会主義者や共産主義者も巻き込み、ポーランド独立運動支援を生み出す。そんな中、1853年イギリス・フランスとロシアが戦ったクリミア戦争(~1856年)が起き、ウクライナの民族独立運動が生まれる。この頃生まれたのが、ウクライナ民族は存在し、ウクライナは独立国であるべきだという主張である。

ウクライナ民族主義がロシアのツァー体制に向けられたことで、ソ連共産党となるボリシェヴィキもウクライナ独立を支援するようになる。ソビエトが成立して、レーニンはウクライナを連邦共和国の一員として迎えることで、ウクライナをロシアとは別の民族だと認めることになる。一方、第一次大戦が終わると同時にこの地域に西欧が軍事介入し、赤軍と戦うことになる。一方、レーニンの主張に対して、マルクス主義の革命家・哲学者であるローザ・ルクセンブルク(1871~1919年)は、ウクライナ民族の創設について、民族は恣意的に創られるものではないと批判する。この問題が、ウクライナには重くのしかかることになる。

親米政権の発足が問題の発端に
第二次世界大戦では、ソ連はヒトラーのバルバロッサ作戦(1941年)によるソ連侵入によって、大きな被害を受ける。連合軍の勝利の後、ロシアはウクライナ共和国を拡大し、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、チェコスロバキアと直接接するように国境地域を拡大する。結果的にウクライナにロシア人以外が住むようになる。とはいえ、ウクライナの人口の多くはロシア語を話すロシア人であった。

1991年のソビエト崩壊によって、ソ連の共和国が独立していく。その中にウクライナもあったが、ロシアはこれらの地域がNATO(北大西洋条約機構)に入らないという条件付きで、独立を認めた。

ウクライナは、2014年の「マイダン」のクーデターで、ロシアと対立する資産家ポロシェンコが、大統領ヤヌコヴィッチをロシアに追放し、親米政権を創る。ここからウクライナ問題が起こる。ロシアは東部に軍隊を送り、その結果、ウクライナの中にロシアに近いルガンスク共和国とドネツク共和国が生まれたが、これをウクライナも西側も国として承認していない。一方クリミアは、ロシアに編入された。もちろんこれも承認されてはいないが。

ウクライナにとって不幸なことは、エネルギー資源を含め最も豊かなのが、この東部であることである。だからウクライナはこれらの地域の分離独立を認めることはできない。こうした問題は、何もウクライナだけではない。ボスニア・ヘルツェゴビナの北にあるスルプスカヤ共和国も同じような状態が続き、ユーゴでの紛争を長期化させた。またスペインのカタロニア独立を求める運動を、スペイン政府が認めていないという問題もある。要するに近代国民国家の独立には、認められるものと認められないものがあるということだ。

ここに当然、大国が介入する余地がある。そもそもウクライナはヨーロッパに属するのだが、EUには軍事組織がない。あるのはNATOである。ソ連時代はワルシャワ条約機構があり、それが東欧を束ねていたのだが、今ではNATOが束ねている。しかし、ウクライナがこれに入るとなると、ロシアはNATOに包囲されることになる。

EUは独自の軍事組織を持つということを課題にしていたのだが、実際にはNATOの傘下に入ることになる。これがウクライナ問題をこじらせている最大の原因である。EUに参加すると、結果的にNATOに入ることになり、ロシアと敵対することになるからだ。もちろんEU独自の軍事組織をもてば、ロシアの近隣にアメリカ中心のNATOが軍事組織を持つことはない。しかし、EUの中でそうした軍事組織をアメリカが認めるはずはない。この問題がウクライナ問題を袋小路に導いているといえる。

地理的にも不幸なウクライナ
ウクライナにとって不幸なのは、地理的問題だ。ウクライナは今のロシアにとってEUとの緩衝地帯である。さらに、ウクライナを流れるドニエプル川そしてドネツ川(ドン川)が、ロシアへつながっていることだ。北の海しか持たないロシアの重要な輸送路は、黒海である。黒海に入った船はロシアに向かってこれらの川を上る。これと良く似た不幸な地理的地域がドナウ川流域だ。ドナウ川はルーマニア、ブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロバキア、オーストリア、ドイツ(流域を含めるとウクライナも通る)を流れる。これらの国は、一蓮托生であり、勝手な行動を取ると紛争に発展する。

ましてウクライナの東部の天然ガスが、西欧へ流れていく点で、ウクライナは重要な地点である。しかし、一方でロシアとドイツとのノルドストリーム1、2が建設され、さらにはトルコからブルガリア、そしてドイツへと流れる天然ガスのパイプラインができれば、ウクライナは取り残される。それはロシアとドイツの協力による、戦後のヨーロッパ体制の崩壊であり、またEUの崩壊であり、アメリカとフランスにとっても傍観はできない。

だからこそ、この地域はバルカンと並んで重要な地域であり、アメリカの軍事戦略とロシアの軍事戦略が真っ向から対立する地域でもある。巻き込まれているのは、ウクライナだけではない。ルーマニア、ブルガリア、セルビア、ポーランド、バルト3国など周辺諸国も巻き込まれている。NATOとEUの拡大は、これらの地域をロシアとの対立へ誘うことになる。不幸な話である。

ウクライナは歴史に翻弄されてきた地域である。オスマントルコの時代には黒海沿岸部はオスマントルコの支配を受け、ロシアの南下によってロシアの支配を受け、つねにいずれかの強国の支配を受けざるをえなかった地域である。それはバルカンに極めて似ている。今ウクライナに似ているのは、バルカンのセルビアだ。セルビアは、EUとロシアの狭間に立っている。セルビア大統領ヴチッチは、アメリカとロシアの2つの大国を天秤にかけながら外交しているが、場合によってはセルビアの大統領だったスロボダン・ミロシェヴィッチ(1941~2006年)のように大国によって失脚させられるかもしれない。

最初にあげたゲルツェンの書簡は、こうした地域にとっての1つの示唆を与えてくれるかもしれない。彼はこう述べている。

「中央集権化はスラブ精神と相容れない。連邦組織の方がその性格にとってはるかに固有のものである。自由な独立的な諸国民の同盟として結集することによってのみ、スラブ世界はついに真の歴史的存在となるだろう」(前掲書、163ページ)。
中立的な連邦国家としてのウクライナ ロシアは、それがスラブ精神と相容れないのならば、望むべくは巨大な中央集権的国家であることを辞めるべきであろう。それと同時に、ウクライナも小さなルガンスクやドネツク共和国を認めるべきであろう。ソビエト連邦は少なくともそれを目指したはずだが、実際にはロシア支配になってしまっていた。バルカンでは、バルカン同盟という構想があったが、連邦制という考えはどうであろう。

長い間東欧地域はオスマントルコ帝国、オーストリア帝国、ロシア帝国の絶対主義体制が支配的であったのだが、それを打ち破る連邦制を追求したのが、ロシア革命であったとすれば、今プーチンがやろうとしていることは、ロシアのツアー体制に逆戻りすることにもなりかねない。それを受けて立つウクライナも、ロシア人地域を自国に引き留めておけば、同じ穴の狢だ。

厳しいことをいえば、ウクライナはEUに入るよりも、中立な連邦国家として存在したほうがいい。EUの拡大がNATOの拡大なら、ロシアとの対立は避けられないだろう。EUが独自の軍事機構を持ち、なおかつロシアもその仲間に入れるようになれば、状況は変わるだろうが、それは今のところ無理であろう。ならば、やはり、歴史的にも、地理的にもウクライナは、ロシア=スラブという環境の中で生きていくしかないだろう。もちろん、ウクライナに住む少数民族のルテニア人、ベッサラビア人、ガリツィア人なども小さな国を創り、連邦化するべきかもしれない。←引用終わり

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