引用開始→ 有事の際に沖縄県民を守るための2つの課題
(WEDGE 2022年5月13日 中林啓修 /国士舘大学防災・救急救助総合研究所准教授)
今年、沖縄県は日本復帰50年を迎える。なぜ、「復帰」なのか。その原点には、県民に対して実に4人に1人が死亡したとされ、生き残った多くの県民に言い尽くせない傷と苦しみを残した沖縄戦と、その結果、終戦以前から米軍の占領下に置かれることになったという歴史的事実がある。
この悲惨な「戦さ世」にはじまる困難な経験ゆえ、日本の中でも特に平和を希求する想いの強い地域の一つである沖縄県が、日本復帰50年の節目を日本の中でも特に厳しい安全保障環境のもとで迎えているという事実に筆者は大きな悲しみをおぼえている。
沖縄が有事に巻き込まれた時の大きな課題
沖縄をめぐる今日の安全保障環境の厳しさは、大まかに言えば、尖閣諸島をめぐる日中間の緊張や台湾のあり方をめぐる中台間の緊張などの近景と、インド・太平洋における米中間の緊張という遠景とで構成されている。この中で、沖縄県をめぐって具体的に懸念されている状況としては、先島地域(宮古海峡以西の諸島、具体的には宮古島を中心とした宮古地域および石垣島を中心とした八重山地域の総称)周辺が武力紛争に巻き込まれる状況や、沖縄本島に点在する米軍基地へのミサイル攻撃等が指摘されている。
特に、先島地域周辺が武力紛争に巻き込まれる状況では、地域社会全体を避難対象とせざるを得ないことから多大な困難が予想されている。かつて筆者が行った試算では、先島地域の住民と入域者ら約13万6000人を民間事業者の輸送力によって避難させた場合、宮古地域で21.5日程度、八重山地域は18日程度必要となった。さまざまな事情を抱えた住民がいる中でこのような時間的余裕を確保し、実際に確実な避難を行うことは大きな政策課題である。
現在の緊張関係を戦争に発展させない努力は極めて重要である一方、私たち自身が「戦争を絶対に発生させない方法」を見つけられていない事実もまた冷静に踏まえる必要がある。つまり、私たちは戦争という社会現象を「制御」する段階には至っていないのである。そうであれば、不幸にして日本が戦争の当事国となってしまった時に、無辜の住民らの生命や身体、財産の安全を確保するための措置を準備しておくことは無意味ではないはずである。
ウクライナ戦争で浮き彫りにした国民保護の重要性と課題
日本が戦争当事国となった際に国民の生命・身体あるいは財産を守るための措置を「国民保護」といい、この内容を定めた法律として2004年に国民保護法が制定されている。法律では、国民保護は国が一義的な責任を担っており、自治体や運輸・ライフラインなどに関わる指定公共機関(あらかじめ指定を受けた事業者や団体)などがその執行の一部を担っている。
国民保護法が成立した04年の防衛白書は、「国民の保護のための措置は、基本的には、国際人道法の主要な条約の一つであるジュネーヴ諸条約第1追加議定書が規定する「文民保護」に該当するもの」(平成16年版防衛白書、170頁)と指摘している。日本の国民保護は一義的には日本が武力紛争に巻き込まれた場合の無辜の住民らの保護を目的としているものと言える。
22年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、改めて文民保護の重要性と課題を浮かび上がらせることとなり、日本国内でも国民保護への関心を高めることとなった。
小さな島々で構成されている先島地域のライフラインは極めて脆弱であり、紛争下で住民を残留させることは極力避ける必要がある。それゆえ、事前避難をいかに円滑に進めるかが重要なテーマとなる。この視点でウクライナ侵攻における文民保護の課題として指摘しておくべきこととして、「取り残されやすい人の優先避難」と「避難をめぐる意思決定の迅速化」という2点を挙げておきたい。
逃げたくても逃げられない人たち
「取り残されやすい人の優先避難」とは、自力での移動が困難な人や移動そのものが生命のリスクになる人の安全な避難を優先的に行うことである。ウクライナ侵攻において、ロシア側の攻勢に直接晒されている地域に残留する住民の中には持病を抱えた高齢者や病院の入院患者らが少なくない。
現在の国際人道法では、文民と軍隊とを分離し、適切に文民保護を行う「軍民分離の原則」は、多分に努力目標的な性格はあるにせよ、紛争当事国の重要な責務となっている。そのため、民間人を直接標的にしたり、彼らの生存に必要なライフライン施設を攻撃したりすることは禁止されているものの、現実には心理的ストレスを含めたさまざまな危険や支障が発生している。そうした中で、状況の悪化に応じて自主的に避難できる人は限られており、結果的に、周囲のサポートが必要な人たちが取り残されていくことになる。
実はこれは災害時の課題として日本社会が直面している課題でもある。東日本大震災では、主要被災地となった岩手県、宮城県、福島県で障碍者の死亡率が健常者よりも有意に高いという研究結果がある。また、福島第一原子力発電所近傍にあった精神科医院の入院患者が、原発事故に伴う避難の途上で多数亡くなった事例は、自力での移動が困難な人や移動そのものが生命のリスクになる人の安全な避難の困難さを改めて突きつけることとなった。
沖縄県について言えば、自力で移動が困難であったり、移動そのものが生命のリスクになったりする可能性が高いと考えられる要介護度3から5の人が、全県で2万7360人、先島地域に限れば2240人所在している(2022年4月1日現在)。実際には難病をかかえる若年者ら、要介護の認定を受けていない人でも上の条件に当てはまる人はおり、それ以上の人数になる可能性が高い。
こうした人たちは移動に伴うリスクのあり方もさまざまであり、一律に航空機等に乗せて避難させるわけにはいかない。その人の持つリスクを見極めながら個別に避難の方法を検討する必要があり、当然、相応の時間やリソースを要する事になる。災害対策の分野で、こうした人たちを含む避難行動要支援者を対象とした個別避難計画の作成が21年5月の災害対策基本法改正によって市町村の努力義務となったことも、こうした人たちを緊急に避難させることの困難さを傍証している。
いかに「避難」のメッセージを出すか
こうした困難があるからこそ、「避難をめぐる意思決定の迅速化」すなわち、「早期の住民避難を計画し決断すること」が重要になる。この決断は政府の判断にかかっている。なぜなら、国民保護措置としての避難の実施は、政府による指示を受けて、国と都道府県および市町村が法律で指定された交通事業者などの協力も得ながら行うことになっているからである。
報道等によれば、ウクライナ政府はロシア側に攻撃の口実を与えることを嫌ってか、2月24日の侵攻開始以前には住民避難について必ずしも積極的ではなかったように見える。キーウ市では、21年12月には市内の避難所を公表するなどしていたようだが、これもあくまで市民が市内に留まることが前提の措置であり、住民を地域から退去させるような措置ではなかった。
22日には、ウクライナ政府は緊急の国家安全保障会議を開催し、住民避難への優先的な対応が決定されているが、これもあくまで東部地域から西部地域への避難であり、ロシアとの国境地域全体や侵攻目標となりやすい首都等からの避難ではなかった。
結果的に、侵攻前に住民らの大規模な避難を決断するタイミングはいくつか存在していたように見える。例えば、多くの西側外国公館がキーウを退去した2月11日(侵攻の約2週間前)や、親ロシア派が自身の実効支配地域から女性や子どもをロシアに「避難」させ始めた18日(同約1週間前)などである。
しかし、一度大規模な避難を打ち出せば、国民の不安を高め、かつ相手側からも侵攻準備(避難させた地域を軍事的に活用する意図がある)と誤解される恐れがあり、躊躇せざるを得ない面があることは否定できない。実際、侵攻前から積極的に「住民避難」を進めたのはロシア側(正確には親ロシア派が実効支配を行なっている地域)であり、侵攻後に包囲下にある民間人の避難経路を一方的に設定するなど、住民避難を軍事的に利用している。
早期避難の実現には、住民避難の必要性を国民に説明するのと同時に、これを相手国の軍事攻撃の口実とさせないために(相手国を含めた)国際社会にも説明することが求められる。そのためには、住民避難だけでなく、政府が軍事的な対応を含めた各種措置について透明性の高いメッセージの発信手法や内容を磨いておく必要がある。
変わりつつある国民保護の訓練
国民保護をめぐっては、21年度から国主導の訓練が大きく改善され、複数県にまたがった広域避難のための具体的な手続きの進め方などについて経験の蓄積が始まっている。九州・沖縄地域では、これに先行する形で、陸上自衛隊西部方面総幹部が主催者となり九州・沖縄各県に政府関係機関や指定公共機関が参加して、武力攻撃事態を想定した大規模・広域での避難をめぐる検討会が16年以降行われてきた。
筆者はこれらの訓練や検討会にさまざまな形で関わっており、これまで挙げた避難の課題なども繰り返し議論してきた。関係者らの真摯な努力により、広域避難で不可欠になる関係機関同士での連携要領や、避難実施を計画する際の前提となる基礎情報(例えば、輸送力や対象者数、避難先で収容可能な住家戸数の把握など)の整理が進んできている。そうした中でも、上に挙げたような課題はまだまだ検討途上にある内容である。
今回のウクライナ侵攻においてロシアの攻勢下におかれた市民たちの犠牲や直面している窮状を見れば、地域住民らをそのような状況に追いやるようなことがないよう国民保護についても、一つ一つの課題にしっかり向き合い、改善に向けた不断の努力を続けていく必要がある。
国民を守れなければ、戦略的には敗北となる
専守防衛を掲げる日本が不幸にして武力紛争の当事国になるとすれば、国土とその上にある社会の防衛こそが唯一許される戦争目的である。それゆえ、社会を構成している国民が十分な国民保護措置が行われなかったがために命を失うようなことがあれば、仮に軍事的に日本が勝利したとしても、戦略的には敗北を意味する。
本稿冒頭では、平和を希求する想いの強い沖縄県が日本復帰50年の節目を日本の中でも特に厳しい安全保障環境のもとで迎えている理不尽を指摘した。究極的には外交努力等を通じて平和裡に安全保障環境が改善されることが望ましいが、そうした努力と並行して、最悪の状況が発生した場合でも少しでも確実に住民らの安全が図れるよう国民保護に関する議論を深めていくこともまた、この理不尽を和らげるための大切な取り組みといえる。
国民保護が国の責任において実行されるべきものである以上、地域的に危機に直面している沖縄の人々だけに議論を押し付けてはいけない。これは本土に居住する私たちを含めた国民全員の問題なのである。←引用終わり