武田信玄は「人は石垣、人は城」と名言を遺しましたが、 ” 優れた「国家」とは、人こそ財産 ” 異能者を排除せず抱える社会や国家は強いと考えます
日本の社会は、
いま現代も人の個性を認めず、尊重せず、伸ばさず、潰し、排除し、型に嵌まった「凡庸」を強いる。
「異能」を認めず徹底的に「排除」し「凡庸」が手を繋ぎ「同じ」を喜ぶ単純で可哀想な社会だ。
従って、際立つ個性は「変わり者」と捨象され片付けられ、個性が「ぶつかり合う」事はナイ。
ナンの面白みもない平凡で競いのない社会に生きる事を当然として、普通に受け入れ、乱す者が出るとメディアを戦闘に一斉に非難し叩き、平然と社会から抹殺してしまう。
変化のない世界が続いている間は、
その平穏も良く、安定を万遍なく享受でき幸せだろうが、
激動する情勢の下では対処できずウロウロするばかりだ。
「狼狽える日本」を捻ってみます。
2020年の今ごろ、
緊急避難と必要な政策あるいは制度改革を分けて考える事ができず,無原則に規律もなく,目の前の困難と不人気を乗り切る事だけに目が行き,言葉は発しても,中身がなく,決意も心もないまま,現実のそれに迎合するだけで無思考,無原則に堕した政権と官僚機構による著しい政治の危機は,真に国家の危機です。
これを生み出した日本人と日本社会が保有する問題の本質を先人の指摘を借り受け提起したいと考えます。
玉川学園を創始された小原國芳先生は,全人教育を掲げ,
基本的な指摘を “ “ で括り引用紹介してみます。
“ 人材と人心が劣化すると国力は落ち国は衰退する。
間違ったテストシステムにより暗記力偏重に陥り過ぎ、記憶力だけが良い人材ばかりが登用されてしまうと、物事を判断したり、対処する時に必要な創造性など問題解決のための能力が低下し、国の中央が硬直化してしまう上に、テスト至上主義の蔓延による競争原理により「真」、「善」、「美」、「聖」を有する調和ある人格が失われ、カンニングをしても良い点を取ろうとしたり、人を蹴落とそうとする心が芽生えたり、人材その物の質が低下し、保身や不正などをする役人が増え、腐敗政治が蔓延するため、自ずと荒廃すると指摘した他、個性を無視したこのように一律的な能力比較による教育は、怠情や虐め、不平不満などを生み、人の心(人心)が歪んでしまう危険性があり、社会にとって害悪である“ ことを指摘され 。
今もなお,日本の教育三傑とされる,大隈重信,福沢諭吉,小原國芳,の先生方が遺された「教育と人材形成が国の基礎」こそが重要だと考えます。
*小原先生は,玉川学園の前に「成城学園」を,玉川学園では玉川大学と千葉工業大学を,更に成城学園から和光学園を,また養子として受け入れられ教育の機会を得た鯵坂家からは甲南女子学園が生み出されています。
成城学園も,何を教育すれば目先だけに追われ対処しようとする,軽量言しか持たない短気で狭量な,あの種の呆れェ人材「アホシンド」を輩出できるのか?
記述しています。
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