万国津梁はアジアに位置し交易に生きる琉球・沖縄の自律で基本だ! 沖縄県が保持する海域面積は日本列島の陸地面積に匹敵する広大さなのだ
世の中で「正義」を規定するのは難しいが、タカリメディアは「絶対理想」を掲げ「正義主張」を絶やさない。
誰でも自身が築いた名誉や財産は喪いたくない。
それを保持する方法や手段で意見が割れる。
見方を変えれば、どれもが正しく、何れも間違いで、冷静さを欠けば成立などなく。
現代の戦争は、飛び道具の撃ち合いが戦術の基本で、いわゆる接近した白兵戦は闘いの最後だ。
専守防衛を掲げる日本は他国と陸続きではなく、防衛に有利な反面、逃げ場がないのも事実で、攻撃側へ反撃しても押し込まない。
飛び道具を撃つ側は攻め込まず、無差別に遠慮なく撃ち込む。
沖縄の施政権復帰で真剣に考える事。
主権国家として50年「憲法」の改正を怠り、国家の三原則「統治・領土領海領空・国民」防衛を同盟国と云う他国の意図的な戦略組み入れに依存し、多大な基地を提供し「主権なき主権」で自ら対等に動く事もなく、周囲に足元を見られ軽く扱われ。
天皇陛下おことば全文 (以下 引用開始):
沖縄復帰50周年に当たり、本日、沖縄と東京をオンラインでつなぎ、記念式典が開催されることを誠に喜ばしく思います。
先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり、戦後も約27年間にわたり日本国の施政下から外れた沖縄は、日米両国の友好と信頼に基づき、50年前の今日、本土への復帰を果たしました。大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は「ぬちどぅたから」(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます。
本土復帰の日、中学1年生であった私は、両親と一緒にニュースを見たことをよく覚えています。そして、復帰から15年を経た昭和62(1987)年、国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても、沖縄は発展を遂げ、県民生活も向上したと伺います。沖縄県民をはじめとする、多くの人々の長年にわたるたゆみない努力に深く敬意を表します。
一方で、沖縄には、今なおさまざまな課題が残されています。今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています。
美しい海をはじめとする自然に恵まれ、豊かな歴史、伝統、文化を育んできた沖縄は、多くの魅力を有しています。沖縄の一層の発展と人々の幸せを祈り、式典に寄せる言葉といたします。
<以上 引用終わり>
2022年5月15日は、
半世紀(50年)前のこの日と同じ「泪の雨」に濡れています。
しかし、降り続く雨はないのです。必ず晴れる日がきます。
燦々と眩しく輝く太陽の光が沖縄の地に降り注ぐ事を願っています。
沖縄の施政権が日本へ復帰した50周年の祝典での、首相と沖縄県知事が宣べた要旨と、米国大統領のバイデンが宣べたビデオメッセージを記憶しておく必要がある。
如何に、沖縄の米軍が「米国の戦略体系」に基づいた展開であり、日本の防衛は事の序でに過ぎない事を、その本質をよくビデオメッセージは表している。
日本国民は、無自覚な他者依存で喜々とせず、主権国家として必要な手立てを講じ「自律自立」した国防体系を、国力に応じ対等の立場で真の同盟国としての米国と形成構築すべきである。
それもせず、成るが儘に放置し他国に依存し続け平気なら日本は滅ぶ。
それに目を瞑り、如何にも「親米友好」を装うが、実は「親米売国」を平気で貫く腐った政治屋ドモを徹底的に糾し追い落とすべきと思量する。
沖縄は、一貫して基本の精神文化でも、統治の施政権でも日本の一員としてあり続けた。
中国大陸から流れ着き移住した者達も溶け込み琉球化し沖縄の社会文化形成で一翼を担った。
琉球王国を治めた尚氏は、首里城に一族の霊を祀る「円覚寺」を鎌倉の円覚寺様式で建立し、京都から僧を招き開山している。
万国津梁を基本にした沖縄は、交易上の必要から中国へ外交の使節(中国がいう朝貢)を遣わし三跪九叩頭の礼を、あるいは琉球の首里へは冊封使を来着させ「守礼門(守禮之邦であるとして)」外で、儀礼的な三跪九叩頭の礼に及び迎えても、それは隷属を意味せず単なる外交上のプロトコル(儀礼)に過ぎなかった。
沖縄は広大な琉球文化圏を形成し、決して中国文化圏に糾合されず、沖縄の文化を模り日本国の一員であった。
| 固定リンク