「真正保守」とは何かと質問され、勇ましい言葉遊びではなく、生き方の基本的な態度であると重要な点を述べておきたい
大切な友人が、
とあるSNSの投稿で「ウヨクだ軍事力だ憲法改正だ」と口喧しくハシャギ主張する女史が、何かの投稿で批判された事を契機に、保守層の人材から「真正保守」の立場を奨められたと爆発し、それでは「真正保守」の提議は何かと問うていた。と、伝えてきた。
此方は
「日本の民族的伝統や思考を尊重し国際社会とも連帯を重視し、現実的基盤に軸足を置きながら、必要な改良を追求する思考を重視しています」
決して、言葉巧みな親米売国や熱狂型言辞の勇ましさを是とする者ではありません。
SNSが広く普及し、その過程で「意志」や「思考」を自由自在に表現し伝えやすくなったのは素晴らしくヨイ事だ。
大体は、上滑りの聞き囓りや知ったバカぶりで、お山の大将を激しい言葉を繰り出し悦に入るのが多く、またそれを見聞きした側が、それ以上に勇ましくハシャギ合う事で一種の集団ヒステリーが起こり、そこに身を委ねる事で、渦に巻き込まれ中心を占めようとする側の自己擽りを繰り広げ合い、集団ヒステリーはより倍加する。
SNSは、集団ヒステリーを捲き起こし一定の流れを形成する手段でもあり道具でもある。目立とうと思えば、勇ましい言辞を投げ、目の上の「たん瘤」を罵倒し、それに賛同する者を依り過激に煽り悦に入り浸り、束の間の英雄の座に君臨するともいえる。
しかしながら、そうそう世間は自分の描くようには反応せず、それではと用いる言葉が過激化するのは、左右を問わずこの種の知性を欠く「集団ヒステリー」の為せる技だ。
人の生き様を大河に例え眺めてみよう。
大河も小川も「水」は高い地から低い地へ流れゆく。
時に急流となり、時に蛇行し、時に溜りながら、本流を形成し、あるいは傍流を形成し、また支流を合流させ統合し、右に左に緩やかに激しく、また停滞しながら徐々に大きな渦や流れを形成しながら流れ往き、河口では淡水は表面に近い部分を流れ、河床の流れは比重の重い海水で、満ち潮では表面は海に向かい流れるが、河床では海水に押し戻され浮沈しつつも、やがて大海に注ぐ。
人の人生も同じであり、その時の条件や環境に合わせ生き存え必要な事を伝承できれば、まず真っ当な生き方と考えてよいのではないか。
「真正な保守」とは、如何なる条件や環境の中でも、日本や日本人が受け継いできた伝統や価値観を自身の生活の中で大切に守り心の中心に据え、自らの指針にして生きる事が何よりの態度だろうと。
「真正保守」は、格好の良い「言葉」を並べ立て勇ましく騒ぎ立てる事もなく、静かに余の移ろいを眺め必要に合わせ応じ対処し変化させ、穏やかな生き方の中で決して「芯」が歪み緩む事のない伝統的価値観や文化を大切に生きる人であると。
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