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2022/06/06

生涯のヨットマン 堀江謙一さん太平洋単独横断8700キロ余りを最高齢で達成する! 支援チームの皆さんも含め素晴らしい勇気と技術の快挙だ

生涯冒険家の堀江謙一氏は、
ヨットで最高齢の太平洋単独横断8700キロを成す!


この為す成すは、誰がナント言おうが、やはり素晴らしい偉業です!


150年前に岩倉使節団は咸臨丸で太平洋を越えた。
そして1962年に、堀江謙一青年は、小型ヨット「マーメイド」を操り、
単身で太平洋を越えた。


その後、
東回り単独無寄港の世界一周、西回り 単独無寄港の世界一周、縦回り単独無寄港の世界一周、足こぎボート、ソーラーパネルヨットでの太平洋横断、などなどを為す成すの積み上げが続く。


機材の発達、支援チームの協力や知恵の提供、
何よりも堀江謙一氏の勇気や体力。それらを結集し、壮大無辺な自然を相手に格闘するオーケストラだ。
最初の「マーメイド号」が、日本橋高島屋の玄関ホールに展示されていたのを目にしたのは、確か、1965年の4月だったと記憶するが。
「生涯にわたり自分の為したい事を、夢を持ち描き続け、その実現に向け考え体を鍛え続ける事ですよ」と・・・


引用開始→【速報】堀江謙一さん、新西宮ヨットハーバーに上陸 日焼けした笑顔で手を振り
(2022/6/5 13:26 神戸新聞NEXT)

 ヨットによる単独無寄港の太平洋横断を世界最高齢で果たした海洋冒険家の堀江謙一さん(83)=兵庫県芦屋市=が5日午後1時過ぎ、同県西宮市の新西宮ヨットハーバーに上陸した。日本時間の3月27日午前に米サンフランシスコを出発し、ゴール地点の和歌山県沖まで約8700キロを69日間かけて航海。洋上では神戸新聞社を通じて地元・阪神間の子どもたちからメールなどで応援や質問を受け、嵐や黒潮を乗り越える様子を伝えてきた。(村上貴浩)

 「サントリーマーメイド3号」に乗って新西宮ヨットハーバーに姿を現した堀江さんは、真っ黒に日焼けし、集まった関係者らに笑顔で大きく手を振った。

 1962(昭和37)年、23歳で世界初の小型ヨットによる単独無寄港の太平洋横断を達成した。パスポートを持たない「密出国」で物議を醸したが、帰国後は英雄とたたえられ、その冒険譚は「太平洋ひとりぼっち」として書籍化や映画化された。

 その後、74年には単独無寄港の世界西回り一周、82年には世界初の縦回りの世界一周を成功させるなど、ヨットマンとして数々の偉業を成し遂げてきた。

 今回は60年前の太平洋横断とは逆のルートをたどり、出航直後から嵐に見舞われた。神戸新聞社を介して堀江さんは「出だししょっぱなから、やられました。外は真っ暗。風と波の音ばかりでした」と海上からメールなどで子どもらに伝えた。

 その後は風に乗るとスピードを上げて順調に航海を続け、予定より1週間早い4月16日にハワイのオアフ島沖を通過。「沖合から見るダイヤモンドヘッドは意外にきれいでしたが、船も多く、ゆっくりと眺めている暇はありませんでした」「風と波が強く、まるで暴れ馬に乗っているよう」などとつづった。

 日本列島に近づくと黒潮や梅雨前線などに行く手を阻まれ、ベテランヨットマンも苦戦を強いられた。

 出航から53日後の5月19日。「午前1時ごろ、スコールが来ました。波は比較的小さいものの、風向きは東西南北と安定せず、午前3時ごろまで振り回されました」

 5月23日。「昨夜はスコールのでっかいのが何個も来て大変でした。ヨットは、右へ行っても左へ行ってもバックする始末。寝ずに頑張ったのですがダメでした」

 5月28日。「黒潮から逃れるために南へ逃げています。自然現象には勝てません。仕方ないです。我慢です」←引用終わり

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