国葬の是非や妥当性を問う事など些末に過ぎぬ。大要は国際社会に確固たる意志で「日本國」の旗を堂々と打ち立て混沌とした世界を導く事が重要だ
参議院議員通常選挙の終盤に、街頭演説中の安倍晋三氏が銃撃され帰らぬ人となり、言葉を喪い早や1ヵ月が過ぎました。
事件の背景や直接の理由が明らかとなるにつけ、以前から懸念され胡散臭さを指摘され続けていた塵教団が、銃撃者の直接的な行動になったとされ、関係が取り沙汰される自民党の「清和会」で、より密な関係にあった議員が釈明に追われ、それを以て様々な批判や非難が得手に帆を上げと、実に喧しい限りで。
死者に追い討ちをかける事はありませんが、此方は一貫して安倍晋三氏の立ち位置や在り方、また採用し展開する政策には距離を置き正否を見守り、時に肯定し時に罵倒に近い批判を浴びせてきました。
その一端が、この教団との距離であり、ただただ米国への礼賛と追従であり、それらは3代続けて穏やかな売国であるとし、しかしながら現在の日本を取り巻く国際環境や、国内情勢の上から、止むを得ぬ事と渋々追認してきたのです。
現代社会の制約条件の下で、「日本の保守の真髄」を求めるコrコrコラムの基本的な政治姿勢は、
日米は国力に応じた対等の関係でなければならず、
決して日本が米国の従属的立場を強いられる関係ではないとするためです。
日本国は、1970年に「日米安全保障条約」を改定するに際し、
明確にそれを主張し、必要な「日本国憲法」の改正を行い、真実の独立国としての主権を確立し、国際社会に「日本國」の旗を打ち立てるべきでした。
だが、残念ながら時の佐藤栄作(岸信介の実弟で安倍晋三の祖叔父)政権は、
ただただ米国に追従する途を選択し、今に至る従属的な日米同盟の固定化に至りました。
併せて、交渉を奨めた「沖縄の施政権返還交渉」も、殆ど米国の意のままに真実の独立主権国家としての交渉には至りませんでした。
名目上の「沖縄の施政権返還」を得たものの、その実態は変わらず、日米の距離を縮める事もできず、その後は50年に至る今日まで、従属国家としての地位を押し付けられています。
(極端に愛国者を強調し煽るのは、基本が疚しい売国者かも知れない)
例えば、この度の「台湾」に対する中国の無法な威嚇軍事演習でも、米国の顔色を窺い、主権国家として波風を立てぬ次善の策を採り腰抜けぶりを発揮したワケです。
日頃から、備えをせず(備えをさせて貰えず)、下請けに甘んじ、
都合よく組み込まれる形を推進したのは、安倍晋三氏の祖父岸信介であり、
それを強固な形に固定化し沖縄を売り飛ばしたのは祖叔父の佐藤栄作なのであり、
その完成形を模ったのは安倍晋三なので、その点で日本の一部の保守層や自称ウヨクは、安倍晋三氏を礼賛しますが、
実際には3代にわたる巧妙な売国奴の一族と言えなくもないのです。
米国では、リチャードニクソンの大統領補佐官を務めた、キッシンジャーこそが、今日に至る「米中対立」の基になる、米中国交樹立を為し遂げ、時の人になりましたが、真に短期的な視点で大きな戦略観を欠いたまま、目の前のカネ(市場)欲しさから毛沢東の要求に屈し国連から「台湾」を引き摺り降ろし「一つの中国(論)」に与し、台湾を売り渡そうとしたワケで、ニクソンはその後に政治スキャンダルで米国の政界を追放され、キッシンジャーは開き直り生きています。
政治権力を持つ側に立つ「売国奴」や「売国屋」は、目立つ事なく寧ろ歓迎されながら白昼に堂々と売国するのですから、手に負えませんね。
昨今は、不幸な銃撃事件以来、塵教団との関係が喧しいワケですが、塵教団をのさばらせたのも、脇が甘ければ腋臭も臭いのとおりなので、
例え伊勢の神宮を尊崇する姿勢を見せようが、靖国に祀られる御霊に頭を垂れ真榊を奉じようが、それをポーズとすることなく、真実から真心を捧げ「日本國」の尊厳を取り戻す行動を求めたのです。
従前までの政治屋にはない血統的な側面からも、十分に「日本國」を取り戻せる傑出した政治家として、時に激しく非難し罵倒しても、その能力や行動力に期待し声援を送り見守ったのです。
それだけに、悲報を耳にし「言葉がない!」としか言えなかったので、
その後の取り巻きや清和会の混乱また市井の自称「保守」や自称「ウヨク」の知性を欠く取り乱しに、
現代社会における「日本の保守の真髄」を模索する側としては落胆させられ余りあります。
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