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2022/08/15

明治の近代化新政府から77年でWWⅡを敗戦し、その敗戦から77年が経過し、再び捨て置かれ、近代日本は154年で、自らを見失い彷徨い続ける

WWⅡの敗戦から77年。
いまこそ、冷静にして必要な議論を重ね、真実の独立した主権国家「日本國」を取り返そうと、細やかに強く希う。 


無責任な行政府は何もせず、無能な政治家は何もできず、上級の行政官僚は「穴熊囲い」へ逃げ込み周囲を固め。弱き純情な民草は「ウロウロ」させられ「生命」を奪われ、不埒な蟎民は堂々と「禁」を破り「菌」を撒き「金」を得るのは、真に「均」を欠く悪政が悪弊を呼び、実に哀れ!


日本は、明治の近代化の過程で、日清、日露の戦争を避けられず戦い、辛うじて勝利を納めた。
その結果、賠償金を得る事で、その後の経済発展を得たともいえ、それが当時から日本国民に等しく共有される事になり、拡大した占領地の防衛上の必要からも多額の「軍事費」を要する事になり、然して国民生活全体が潤ったワケでもなく、兵隊の「命は安い」まま推移した。
WWⅠでは、幸運にも勝利の凱歌を得た事で、占領地は更に拡がり多くの国民は世界に号令する儚い夢を観た。


相手への侮蔑や超越思考は「神国日本」の思想的根拠を踏み固め強固なモノとなった。
その過程で、冷静な「相対比較」なき「精神論」に依拠する「気合い」が、様々な主張の基軸になり、まるで空気のような幻想に国民の多くが浸り信じるようになった。


占領地の管理を委ねられた当時の陸軍は、
相対する側との冷静な「戦力比較」や「民族としての尊厳(怨念)比較」を都合よく省略し、自分達が勝手に描く「理想」や「桃源郷」を強調し同化させようとした。
通常は「君臨すれども統治せず」が基本だが、日本の場合は「君臨し統治し解明化させる」を基本とした。
朝鮮から満蒙に始まった「理想」の「桃源郷」造りは、やがて、中国内陸へ太平洋を含め東南アジア全体への普及を狙う事になった。
その尖兵として徴兵され動員されたのは、補充が利くとされた「命の単価が安い」兵隊だった。
(これは、習近平の中国、金正恩の北朝鮮、プーチンのロシア、アサドのシリア、集団指導ではあるがイランなどが、同一思考に当たる)


謀略や策略に乗せられ、1941年12月8日に開戦したWWⅡは、停戦目標がないままダラダラと続け、その根幹を見破られ衝かれた事で、1年もせず敗退を繰り返し劣勢に追い込まれるが、「この戦争に勝てば膨大な賠償を得られる」との幻想に支配された幼稚で稚拙な陸軍と彼らを軸に戦争を指導した基本的な思考能力を欠く「大本営」であった。
結果は、相手側の戦力が整わない虚を衝いた当初の戦闘だけは勝利したが、戦備を整え組織的な反撃が始まると、全体の優位性を保つ相手側が巧妙に連繋し占領地へ進出した日本軍を破り続け、最終的には「工業生産力」を破壊し尽くされた事で、1945年8月15日の悲惨な無条件降伏という敗戦(決して終戦ではない)を迎えた。


開戦前から戦争中も、殆ど「外交」はなく、戦闘国は勿論、非戦闘国も、日本の主張や立場に理解を示し共に国際社会で発言する国は皆無に等しかった。


現段階では、日本はWWⅡに嵌められたのだとする主張も多く、いくつかの点ではその指摘や主張も諒とする点はある。
しかし何よりも、重要な事は、戦争は「弾の撃ち合い」や「ミサイルの撃ち合い」だけではなく「精神力」や「気合い」ではなく、国家というか社会のあらゆる経済力であり生産力の有無や優劣にある事を、冷静に識らねばならない。


WWⅡの開戦から、敗戦に至るまでの過程を冷静に考え観ると停戦」を訴求する思考や知恵の無さが悔やまれる。
それを圧殺し続けた当時の陸軍を中心とする特高警察による情報統制や検挙の繰り返しによる民間人の圧殺が、恐怖と従属を強い、その結果は酷いナケナシへ追い込まれ,高貴な清心性も否定され破壊され尽くし、新宗教としての単なる理想に過ぎない米国型の「民主主義」を強要され刷り込まれ、命じられるまま無批判に従順な受け容れで疑問を封印し実に底抜けの身勝手で無責任な言いたい放題の現代社会へ至ったと受け止め考えている。


今日に至る、左右の「宗教論争」とも言える社会制度を含む稚拙で感情的な言い合いの類いは、自称ウヨクが感情マル出しの前77年を全肯定し、自称サヨクは半島鮮罠の定住転換者を含め与えられた(奪われた)過去の日本を全否定し、現状を金科玉条の如く全肯定する。
大の大人がしかも国会議員が、まるで児童や幼児の責任を欠いた喧嘩口論にも劣る。


幕末の戊辰戦争に勝った長州藩の田舎侍ドモが造りだし強制した特異な思考体質:


無理矢理に強制され続けた結果、染みつき変わらぬ日本と日本人の支配組織の硬直化した組織的思考体質として、嘘と「騙りと秘匿隠蔽隠滅による下位への責任転嫁」について、敗戦の日に 77年を顧みつつ考えよう!


世間知らずの侠気が狂気を招き、勝手な夢想で自己正当化を進め、多くに犠牲を強いた。
その思考は、幕末の吉田松陰や久坂玄瑞に始まり、高杉晋作に移染し、遂に独善思考は松岡洋右や妖怪の岸信介に享受され、実弟の佐藤栄作で売国は倍加されたが、亡霊化し今日に至るも受け嗣がれ、それを許さぬとヒダリドンベやリベ珍ドモが跋扈する原因をも形成している。
ゆえに、ヒダリドンベらは、憲法改正を安倍晋三には絶対にやらせないと主張していたとも言える。


まぁ、京都を「蛤御門の変」で焼き尽くした長州の田舎侍を、文化人として許す事はナイ。
同様に、長州の大村益次郎が芯になった日本の陸軍の侠気が狂気を生む無責任構造と、嘘を平気で吐き続け、下部構造へ責任を押し付け、それらの裏切りに痛痒すらも感じない傲岸な安倍晋三は銃弾に斃され死した事で、改憲阻止勢力は、倍加され広められておるワ。何もせぬなら退陣せよ!
陽暦、葉月「8月15日」人は終戦記念日と軽々に口にし言うが「敗戦の日」と認識する。


引用開始→ 77年の歳月に想いを馳せ改めて記述記録する:

皇紀貳仟六百伍年(昭和貳拾年)八月拾伍日 正午の時報に続き、
「只今より重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様ご起立願います」
「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給うことになりました。これより謹みて玉音をお送り申します」

君が代奏楽

朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり
堪え難きを堪え、忍び難きを忍び
以て万世の為に太平を開かんと欲す。朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんい。信頼)し常に爾臣民と共にあり
<要旨のみ>

君が代奏楽
「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」


『大東亜戦争終結ノ詔書』
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現?トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ?幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆?ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス
世界ノ大勢亦我ニ利アラス

加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク
且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル

然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

「裕仁」御名御璽
昭和二十年八月十四日
内閣総理大臣鈴木貫太郎 ←引用終わり

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