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2022/09/18

住宅建設も殆ど工業化が進み、徹底した分業の推進であらゆる「無駄」を排除しマネジメントを確立した事業者が勝ち残り、淘汰を繰り拡げているワケで

モノ造りの根幹に関わるヒトは、クリエイティビティ(困難でも克服し創造する)に満ち溢れ、それぞれ個性的なヒトが多く、いつも驚きや発見があり感動して話し込み時間の経過も忘れ、作品や説明を聞き、その発想やコンセプトに惹き込まれ、挑戦し続ける創造的なパッションに打ちのめされてしまいます。


逆に、ルーチンワーク(安易安逸を熟す)に黙々と従う作業者は、その辛抱強さ丁寧さに感心させられ続けていますが、いつも話が終わるや同時に疲労感というか「ア~ァ、終わったな」と・・・
然したるドキドキ感もなく、さぁ帰ろうか、というのが常です。


先日も、そのような事になりました。
懸命に、ご自身が受託の「課題業務」として取り組まれる案件について、迂遠に意見を求められたワケですが、基本がルーチンなので課題業務の消化でしかなく、その課題業務を用い何かをビジネス面でも創出の切っ掛けにしようという種類のクリエイティビティを感じる事など、全くできませんでした。


「ルーチンワーク」と言えば聞こえが良いかもしれませんが、多少なりともクリエイティビティが必要な業務で、工夫も感じられず与えられ要望を受ける作業を、法令に従い機械的に熟すだけなら「AI」が進捗すれば、人件費を圧縮する対象となり全く不要になるワケです。


創造性のない分野で業務に取組むには「余計]な事など考えず、ただひたすら「丁寧」に「確実」に「迅速」に「低価」で熟す事が評価の対象ですから、早い話が正確な「コピー」でよく、真に創造に欠かせない「パッション」などは不要です。
従って「創造価値」という「付加価値」など見向きもされず、正確で早く安い事が当面の「価値」なのでしょう。
それは、既に工業化され完成領域にある「創造的構造」への、対抗的構造を模索するための「モノマネ的提案作業」を課題として与えられ、竹槍で戦わざるを得なくても、できるだけ近接し上回る提案を形成し、オジェジェを稼ごうとの事であるような、狭い狭い狭小で矮小なモノ凄く遠い世界の話で、マチの景観は、こんな事から破壊されていくのだなぁと・・・


此方の基本マインドには程遠く、止め処ない疲れが「ドット込む」でした。


モノ造り人材について補追しておきます。


一般的に、資格制度が設けられ、その業務に携わるには所定の資格保持が必要なら、何を置いても資格者である事は不可欠です。
車の運転をしたくても「資格条件」を充たす必要があるワケで、誰もが自由にという事にはなりません。


しかしながらです。
車の運転に必要な「自動車運転免許証」を持っていてもですね、運転の上手い人と下手な人は明らかに異なります。
走行中の道路上でも、乗車した際の「快不快」も含め、その技術やセンスの差は明解に表れます。
例えば、加速減速が気が付かないくらいスムーズな人と、加減速の度にゴツゴツ感を受ける人は明らかに違うでしょう。
何方が良いか、それは好みの問題ですが、おそらく多くの人はゴツゴツ感よりスムーズ感を選ぶのじゃないかと。


それは「サービス」についての「感性(センス)」の違いなのでしょう。
モノ造りの場でも、それは明らかに表れます。
統制価格でなければ、いつの間にか「付加価値」が評価され、市場価格に反映されます。


加えて「耐久性」や「利便性」また「保守点検性」の良し悪しなども含め、総合的に評価が定着するともいえます。
そうですね、いま現在「日本車」や「ドイツ車」の持つ高い「総合評価」のようなモノでしょうか。


長い耐久性を問われる「住宅」などは、その昔は、地域密着型で大工の棟梁が配下の作業者や協力人(手伝い者)を指揮し、その対象地域で年に1棟~2棟を手掛け、地域の人はその様子や建築された棟を眺め観ていたワケで、大幅な手抜きや裏切りは、厳しい批判というか「ウワサ」の嵐に遭い、条件次第では居処を喪う事にもなりました。いわば「製造直販」であり「地産地消」であり「地評地揚」ともいえ、基本技術も、基本表現も、ニーズ直結であり、何よりも「責任設計・責任施工」のため逃げられない事情にあったといえます。


現在は、住宅建設のような案件も「工業化」が進み、基本設計、原材料選定、使用部材加工、基礎設備施工、上物現場組み立て、内外装作業、などが作業計画に基づき手順よく流れ作業で措置され、数ヶ月の内に完成させるワケです。
この一連の流れでは、内外装を含む基本設計が標準化されており、完成イメージも標準化され、誰にも分かりやすく視覚的には「パースペクティブ」で説明でき、工業化されているため細部の変更程度で、着手されます。


施主というか発注者は、完成イメージを楽しみに描きつつ信頼を増幅させ、引き渡しの日を待つ事になります。
大切な事は、標準化された完成イメージが施主である建築主のイメージや希望に添うかどうかでしかないのです。


そこで、一人の技術者が、その巨大化したイメージに挑戦するワケですから、それを突き崩す相当程度の構築(技術やセンスまた専業者の組織化)が必要になります。
その段階で、狭小や矮小では「戦術軍団」に果敢で射撃能力が高いとされる狙撃兵が一人で立ち向かうようなもので、兵は善戦し一つの戦闘で戦果を上げても、拠点の陣地は総崩れで占領され陥落するのです。


戦いが無駄とは言いませんが、もっと他に方法があるのではないかと、自らの人生という時間をただ消耗させずに、確実に勝てる方法を形成すべきではないかと。
そこで、自動車の運転免許証の保持者と言っても、車を実にスムーズに快適に違和感なく丁寧に運転できる人の「技術とセンス」に触れたのです。


と、いうことで、かける言葉としては、
「せぇぜぇ、頑張って下さい!」以外にはないワケですね。

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