フランスの歴史学者 エレーヌ・カレールダンコース女史、ウクライナ戦争を評すも、欧州社会の狭い狭い欧州社会中心の損得や利害得失中心でしかなく
「プーチンの終わりの始まり」と、
フランスの歴史学者 エレーヌ・カレールダンコース女史を、
10月5日に、NHKヨーロッパ総局 田村銀河記者がインタビューした内容だそうです。
中々、興味深い分析と、従前事案との比較で「プーチンのロシアは終焉するだろう」との指摘です。
指摘では、ウクライナがロシアに戦時賠償を過大に要求する事は、
WWⅠとロシア革命、またヴェルサイユ条約とドイツとの関係が、
その20年後にWWⅡが勃発する事になった事を想起すべきとも。
しかしながら、
フランスの歴史学者 エレーヌ・カレールダンコース女史も、欧米の思考「西欧中心主義」という優越感に浸りきった思想を象徴していますね。
基本的に世界は、主に、
① 欧州社会(東欧を含む=キリスト教社会)
② イスラム社会(中東から北アフリカ・アジアを含む)
③ ユーラシア農牧社会(シベリア+モンゴル社会)
④ 東洋社会(漢字文化圏)
⑤ インド亞社会
⑥ アフリカ・プリミティブ社会 が存在し、時に交流し交易しそれぞれの社会を尊重してきた。
しかしながら、基本的に豊かで富裕な地と貧困に苦しむ地がある。
貧困な地で苦しむ側は、富裕な地を識ると、そこへ移住する事を考える。
常に、ヒトは相争い、滅ぼしあい、生命を繋いできた。
欧米社会とは、
欧州のキリスト教社会が、北米や南米の地を進出し選挙し支配した事で、彼らにとり未開の地を原始信仰から開明(キリスト教社会へ)させ転換させ支配した事を示す、侵略侵攻の歴史が築いた結果でしかない。
比較的、機械文明と社会的文明が拓けた(他に比べマシだった)側に移住開拓された北米は、支配された先住民は抹殺されながらも混淆させられ、結果的には比較論では被害が少なかったのでは(とも言える)。
欧州社会の特に東側の更に東に位置した、ウクライナやベラルーシを含むロシア社会は、ウラルの山に遮られ、その東に拡がるシベリアの地やアラスカの地を得たものの、そこから得られる直接的な利益はなかった。
そこでロシアが執った事は、徹底的な農奴化という奴隷化でしかなかった。これがロシアの思考・思想の原点だ。
基本的には、
カトリックも、プロテスタントも、東方正教会も、
大司教の司祭を軸に徹底したピラミッド状のマインドコントロール社会でしかない。
そんなヤツラが、自らの冒した事を反省するワケもなく、巧妙に世界へ拡げようと、例えば「ダイバシティ志向」を強制するなど笑わしちゃイケナイ。
引用開始→「プーチン氏の終わりの始まり」 ソビエト崩壊予見の学者の言葉 (NHK国際ニュース 2022年11月14日)ウクライナの反転攻勢を受けるロシア。ここにきて、一方的に併合に踏み切った南部の要衝であるヘルソン州からの撤退が伝えられるなど、苦境に立たされています。
「プーチン政権の終わりの始まりだ」
今回の軍事作戦をこう指摘するのが、かつてソビエトの崩壊を予見したことで知られるロシア研究の大家、エレーヌ・カレールダンコース氏です。その指摘の根拠とは?
(聞き手:ヨーロッパ総局 田村銀河) ※インタビューは10月5日に行いました。
フランスの歴史学者 エレーヌ・カレールダンコース氏とは
1929年、フランス・パリ生まれの歴史学者です。ソルボンヌ大学などで教べんをとり、ヨーロッパにおけるソビエト・ロシア研究の第一人者として知られています。1978年に出版した「崩壊した帝国」では“民族問題で連邦は崩壊する”と指摘し、世界的なベストセラーになりました。2000年には、就任したばかりのプーチン大統領にモスクワに招待され、面会しました。
※以下、カレールダンコース氏の話
かつてソビエト崩壊を予見 いまの状況は?
状況が似ているのは、ソビエトで1980年代半ばまでの「ザストイ」と呼ばれる停滞の時代です。1970年代末にアフガニスタン戦争が始まりましたが、その代償が決定的になったのは1980年代です。当時のブレジネフ書記長やその後継者は基本的に独断的な考え方で、完全に社会がまひしていました。そして1982年から1983年にかけて、まさに兵士の母親たちが立ち上がり、ロシア社会の真の憤りが噴出した様子は、いまの時代に似ています。
もちろん当時のアフガニスタン戦争は、ソビエト国内の民族運動もあったので、もっと複雑ですし、ソビエトの崩壊後に共和国は独立したため、いまのロシアはソビエトほど複雑ではありません。
ただ、いま起こっているのは、ロシアと、もともと属国だったウクライナとの戦争です。
ウクライナはソビエト政権下では兄弟であり、第2の兄弟とも呼ばれていて、ただの国ではないのです。この兄弟間の対立の問題は、誰にとっても非常に苦痛であるといえるでしょう。
ロシアでの部分的動員への抗議運動、どうみた?
まずは「驚かなかった」と言いたいですね。私は、ソビエトのアフガニスタン侵攻の影響を追いかけ、研究していたので、こうした抗議の動きを予見していました。ロシアの母親たちが、自分の子どもが棺おけに入って帰ってくるのを見たら、大ごとになるんじゃないかと思ったんです。ロシアは非常に大きな国ですから、いきなりたがが外れることはないのですが、何かが起こる予感がしていました。そして、このような抗議デモがあちこちで起きました。政府に対して納得がいかないと示した勇気ある人たちです。プーチン大統領がこの動員を発表した時、本当に多くの人たちが相次いで国を去ったのは、とても印象的でした。
ただ、これは始まりにすぎないと思います。というのも、これまでプーチン大統領がウクライナに動員してきたのは、主にモスクワから離れた周辺の地域の戦闘員たちです。いま、ロシアの母親たちは自分の子どもが動員されることを聞かされ、不満に思い始めています。
私が想像もしなかったこの軍事作戦が始まった瞬間から、これはプーチン氏にとって「終わりの始まりになる」と思いました。
プーチン氏をどう見る?
プーチン大統領には、これまで非常に不思議な変化がみられました。彼はKGB(国家保安委員会)の官僚で、40代までソビエトのシステムのなかで訓練された“筋金入りの優等生”でした。大統領になったあとは、外の世界との交渉のなかで、ポスト・ソビエトの時代に適応しようとしました。ところがその後、外の世界に失望し、彼の中ではソビエト的なところが勝るようになったのです。それまでのオープンな考え方は、完全にソビエト的なビジョンに戻ってしまいました。このことは、彼の今回の侵略の方法にこそ表れています。
この侵略は、1968年のチェコスロバキアへの介入の真似ごとです。当時のブレジネフ政権と全く同じことをし、自分に都合の悪い大統領を追い出すために、兵士を送り込みました。そして後任に別の大統領を用意し、ウクライナ人全員が大喜びするか、誰も何も言わずに、自分の選んだ大統領の支配を受け入れると考えていたのでしょう。
さらに、非常に重大なのは、彼は誰もが知っていることにさえ注意を払わなかったのです。2014年からの8年間、ウクライナにはアメリカの存在がありました。アメリカ軍は、ウクライナ人の軍隊を訓練し、装備を与えました。プーチン大統領は、ウクライナの国内事情についてまったくの無知でした。
2000年暮れに、フランスがロシアをどう見ているか知りたいと言われ、彼に初めて会いました。彼は内気で不安そうな男性に見えました。いまとは全然違います。当時は大統領に就任して1年足らずの時期でした。
権力は人を変えます。特に絶対的な権力はそうです。彼は帝国の再構成を望んでいます。ピョートル大帝に憧れているのです。
戦争はいつ終わる?
ある時点で、アメリカがこの戦争を止めなければならないと判断した場合でしょう。アメリカは、当面はウクライナが戦争を継続することを望んでいるように見えます。しかし、彼らがやめると決めれば、止まるでしょう。アメリカが相当な役割を果たす戦争だと言えますから。また、中国のトップは、直接的には戦争に関与していないかもしれませんが、この戦争が彼を悩ませていると言ってよいでしょう。明らかに彼の世界観とは違っていて、彼自身の国際戦略も乱しているといえます。プーチン大統領が、どこまでも突き進み、戦争に完敗することは、彼にとっては耐え難いことでしょう。
国際的にも、中国やインドなど、以前見られなかったような懸念を示している国もあります。非常にゆっくりと風景は変化しているといえます。
プーチン氏の今後は?
本当の問題は、ロシア国内でどんな変化が起きるのかです。ロシアでは、国民が目覚め始めているのは明らかです。私は、ジョージアやフィンランドに向かったロシア人たちのことを忘れてはいません。この人たちはみな家族がいて、家族とコミュニケーションをとっています。それは、国に対する圧力になるでしょう。このような状況で統治を続けることは非常に難しいのです。この国で目を覚ました人たちは、これからも出てくると思います。ロシアでは、変革は底辺の騒乱から始まるということを、歴史は語っています。
戦争の行方と今後のヨーロッパは?
それは100万ドルに値する質問で、答えるのには苦労します。どんな戦争でも終わるのは当然です。ただ、どのように終わるか、です。プーチン大統領のことですから、ロシアの完全な敗北で終わることはあり得ないと思いますが、ロシア側も大きな犠牲を伴うことは明らかです。ヨーロッパは冷戦の終結とソビエトの崩壊の代償を、いま払っているのです。ウクライナ侵攻について、ヨーロッパ諸国がヒトラーに対して妥協を許し、世界大戦を招いたときのことと重ね合わせる人もいますが、二つは同じではありません。私たちは、第1次世界大戦後のつかの間の平和の失敗と同じところにいるのです。
思い出してください。第1次世界大戦後、ドイツに多額の戦後賠償を課し、領土の割譲を求めたベルサイユ条約はすぐに失敗し、ヨーロッパは第2次世界大戦に突入しました。まったく同じなのです。ベルサイユ条約以降、ヨーロッパは何も考えていなかったんです。
ヨーロッパは、いま歴史上初めて、自分たちの安全保障とは何かというビジョンを何も持っていません。
ヨーロッパはかつて世界の地政学の中心でしたが、1990年以降、何も考えてきませんでした。経済的な力はありますが、政治的な存在はとても壊れやすく、中身がありません。
世界はすでにアジアに向けて動いています。アメリカはいま、ヨーロッパを離れ、アジアに完全に舵を切っています。この戦争が終わったら、まさにヨーロッパとは何か、新たな安全保障システムについて考えることが必要です。そうでなければ、20年後に同じようなことが起こるでしょう。←引用終わり
ヨーロッパの知恵というか高いインテリジェンスを保つ研究人材といえども、
所詮は、狭い狭い欧州社会中心の損得や利害得失が中心でしかないのです。
どう、お考えになりますか、ご自由にと申しますか、ご参考に・・・
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