Twitter のアカウントの停止また凍結解除で考える:言論表現は原則自由だ! 哀れで孤独な裸の低能に過ぎぬ怒鳴る怒・花札爺だけの問題ではない
Twitter でのアカウントの停止また凍結解除は、近日中に実施されるそうですが、基本的に表現は「法の規定に触れない」範囲でとの事で、その則を超える対象は解除にならずとか・・・
以前から気になっている事ですが「法規」を持ち出すと、必ず「法規」以前の「倫理」を問うとの提議が持ち出されます。
それが、既に混乱の基ではないかと、多くは「人権」「人格」を以ち、一律に議論し誘導しようとしますが、その根底に流れる思想を成すのは「西欧社会を軸にして欧米社会が形成した『民主主義』という徳目」に基づいた強要でしかありません。
この世界には、様々な価値観があり、様々な見解が存在するワケで、欧米社会が掲げる欧米中心主義の「民主主義」が絶対的に正しいワケではありません。
日頃から受ける社会的な理不尽や、不都合や、困難に対し抗うにも抗えず不満や焦燥は溜まり続け、どこかで上手くガス抜きしたいと考えるのは、真に人間的であると言える。
まるで、中・下層・底辺層が「公営ギャンブル」に吸い寄せられるが如きだ。
いわば必然の「社会悪」とも言え、制裁し処罰する対象には馴染まない。
それを放置すると、これこそが言論の理想で「言論民主主義」だと頑なに信じ込み都合良く吹聴し統治手段に用いる側には、甚だ都合が悪く具合の悪いことになった。
それは建前の蓋をして覆い隠してきた都合の悪い「真実」が白昼の光りの下に曝され突きつけられるからだ。
そんな言論表現を見逃し赦す事はできないとして、建前社会の理想を護るため「アカウントの停止」や「永久追放」に都合良く踏み切るのだ。
欧米社会が理想を追求する過程で構築した現代の民主主義は、崩壊させてはならぬのであり、絶対に死守する建前で、冒す者をも排除できぬならと、その反省もあり、追究から逃れるために「少数者の保全保護」を都合良く掲げ、遂には「SDGs」だと言い。その前には「LGBT」を持ち出し、更にその異論を排除し彼らの目的実現のために恥もなく堂々と「Diversity(ダイバシティ)」を掲げ体裁を整えました。
ダイバシティを追求すれば、欧米型の価値観や民主主義なんて「屁」でもなくなるワケですが、そこは実に巧妙な使い分けで、欧米型民主主義が形成した「(人類に対する)価値観」を広め強要し続けています。
そこで批判と反批判また反反批判の嵐が、SNS上で戦わされていると言っても過言ではありません。
しかしながら、欧米型民主主義が生み出した「文明のツール」としてのSNSで、彼らに都合の悪い「言論・表現」は徹底的に排撃され、執拗な制裁を受け、アカウントの停止また永久凍結を受け続けています。
要は、立ち向かわず、非難されたくないために、排撃し排除し停止し永久凍結しているワケで。
5年前の議論/論争の要点を、短投稿しました。
参考のため掲げておきます。
欧米中心主義の「民主主義」を押し付ける過程で、それに反発する欧米の勝手な解離性障害被害妄想が互いに言葉を究め激突し合っているワケで、哀れで孤独な裸の低能に過ぎぬドナルド・トランプ氏だけの問題ではないのです。
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