日本の社会はWWⅡの敗戦後に敷き詰められた「戦後民主主義」が跋扈し、今は国の宗教になり崇め奉り支えるのは「リベ珍」が固める珍人どもだ
「タツケン・タチミン」に象徴される「リベ珍」は、WWⅡの敗戦を機に刷り込まれたいわゆる「(戦後)民主主義」という「全能の神」が社会的支配者として知的(痴適)な市民を形成し「合議制」により君臨するとの思想に充たされている。
彼らの特徴は「(夢想的)理想」を掲げ、それを原理の基本原則に一歩も退かず。
何よりも「問題提起」をするが、それへの解決策は固より、対処のために基本課題として整理する事の検討もない。
いわば「言い放し」で「対案」など勿論なく。
一定の「成案」を示すと、些細で些末な弱点を探し出し「オオゴト」であるかの如く騒ぎ立て感情的な批判を浴びせ、後は反批判を怖れ形勢が悪ければ「穴熊囲い」へ逃げ込み、素知らぬ顔で身を守る。
アートで芸術表現に熱を上げる人達の多くもこの傾向にある。
ある「新劇」出身の嵩高い人物が逝去した事が報じられ、
然したる社会的な仕事もしない(できない)クソ野郎などが、惜しい惜しい悲しい悲しいと・・・
「新劇」の劇団に集った人物は、その多くが無責任の言い放しの「リベ珍(教)」だ。
社会は巧妙に忌避してきたが、「痴情波メディア(TV)」が普及し、クソ野郎でもゼニ儲けで、其奴らを起用しドラマ番組を仕立て上げ放映し、巧妙に「リベ珍(教)」を刷り込みゼニを掻っ払ってきた。
「新劇」では喰えないので「痴情波メディア(TV)」だ。
汚バカには分からないのだろうが、件のクソ野郎は「夢想の理想」という「リベ珍(教)」を普及刷り込みを図るための工作員として居たのだろう・・・
仕事の空きは高級車に乗り「ゴルフ三昧」に浸りきっていた野郎だ。
それが、口先で「下層」の厳しさ「底辺」の苦しさを、口先で述べたて、メディアを使い正義の味方を臭い演技で演じ笑わすのは「ヘソ茶」でしかない。
騙されるヤツが悪い。
WWⅡを経ての戦後民主主義は、思わぬ処で息をし口を開け待ち構え、批判の虫としての本領発揮で「批判」し具体的な「対案」を保たず、解決策には具体的な「案」もなく批判を重ねながら転がっているのだ。
思わぬ「落とし穴」に落ちないように気をつけよう!
人生の落伍家でもある「づるべ」を嗤っているが、
コヤツはテメェ~勝手な「リベ珍」で巧妙な夢想を撒き散らす怒汚い政治批判者でもある。
釣り上げられる汚男も汚女もヤロウドモで、全体を考えない「珍興宗教づるべ教」の怒阿呆でバカ信者ドモだ。
仕事のできないクソ野郎ドモは、巧妙に行政組織を動かし、自ら「リベ珍(教)」の落とし穴を「穴熊囲い」にするから厄介だ。
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