京都は「西陣」の中心「千本通」は西の繁華街で、東の「河原町通」と覇を争い「千本中立売」は、その中心だったと懐かしむ夕刊の記事を見て思い考え
半世紀以上前の学生の頃、千本中立売のボンを相手にナンのカノと揶揄っていた。
いつも「僕とこは、京都の老舗なんや」からと威張っていた。
更に、東京は銀座4丁目や、京都は「千中」言いまして「千本中立売」やと自慢していた。
京都の時計屋は「喜多山」ハンとこの出が多い。
「寺内」かて「喜多山」ハンとこで修行してはったんや。
(と、聞かされているとか)
そんなこんなの話を思い出したのが、昨日(1/17)の日経夕刊紙面だった。
いわく「千ブラ」。
京都の経済で「西陣」が勢力を張っていた頃(1975年)までは、西の千本通は東の河原町通に負けぬ賑わいだったと・・・
そうか!?
三宅時計舗は、今も「千中」に120年を超え位置して、それは東京・銀座を睥睨する「服部時計店」と同格だったのだと、夕刊の記事を見て思いを致し。
ところで、千中のボンは、いまどうしているのだろう。
チョイとした出会いで、進む道も違えば、その後の交流もないため分からない。
わざわざ訪ねて行く程の事でもないし、記事に出てくる人物とは歳が離れすぎているし。
都市(地域)は、その大中小に関係なく居住者の動向や推移により盛衰が現れます。
居住者の推移は、都市(地域)の経済に影響を受け左右されるのです。
都市(地域)は、周辺域も含め生活も経済も文化の中心で輝きます。
(それは、国の社会経済や文化も同じで)
一つの産業が都市や地域経済を担い領導する間は、当該地域の社会や経済を牽引するが、一度でも相対的な競争力を失うと、都市(地域)全体へ波及し、何もしなければ地域全体を巻き込み競争力を低下させます。
何よりも、都市(地域)を代表し、社会構造的にも象徴性の高い産業が衰退し、代替する産業を育成し定着させなければ、都市(地域)の雇用は喪われ居住者は徐々に「職(食)」を求めて他地域へ移住します。
それらの複合作用で、都市(地域)は衰退し忘れられ、過去の栄光を偲ぶ事になるのです。
現在は、そのまま時代の変化による放置された環境を「レトロ」な都市の文化景観に仕上げる事も可能ですが、それで往事の賑わいや経済的繁栄を回復できるかは不明です。
これは都市(地域)に的を当てた記事を見ての感想ですが、国という社会も基本の構図は全く同じです。
産業の相対的な競争力を衰退させる。人口を減少させ続けると全体には影の薄い魅力の少ない黄昏れた国になるワケです。
それを、京都の「千本通」の記事で考えた事といえます。
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