日本の「ユニコーン」は社会に土台もなければ人材には意欲もないのか? 日本の社会は批判優先の総批評家が跋扈し、護る楯は家族主義で囲い込み
求められて話したオマケの要約:
①中小零細事業者は、基本的に「人財」を持たず、主人や家族が頭脳であり、番頭(職長)であり、お帳場(会計・出納)であり、また丁稚(営業・倉庫係)だ。
②事業規模を拡大できないのは「人財」を得られない事もあるが、財務・経理と事業組織が家計と一体化した関係にあり、適正な組織化による分業また責任体制が曖昧だ。
③小規模な段階で採用した同志的人財も、いつの間にか家族化する傾向があり、事業の拡大を目指し戦力を整え採用人財を含め組織化しても日々が齟齬の連続になる。
④子飼いに位置する人財が、事業担当能力の限界を大きく超え、明確に能力超過であるにも関わらず、人事を一新できない甘さがある。
⑤外部の有識者(コンサルタント)に頼るが、固より経営トップがデータに基づく科学的思考を本質的に嫌う傾向が強く、信頼するコンサルタントが経営基盤能力に基づく「戦略・政策・課題整理・戦術・人財・組織・機能と財務・経理」の目標化を示しても、経営トップが実現できた時のバラ色の夢に酔い、実行への不断の取組みが甘く、目標やスローガンを唱和するだけで自己満足に終わる。
⑥それらの相乗効果が現す結果は、〇〇コンサルタントの指示どおりにはならなかったで言い訳し逃げる。
コンサルタントが辣腕であり、上場事業者なら、明確に経営トップの入れ替えを策を講じ図るが、個人事業の家族経営はそれほどでもないワケで経営の合理化など土台「無理筋」と言う他ないとも。
オマケ話に付け足すオマケ:
ある会社(中小いや中堅か)での話。
東京で採用したのは「慶應義塾で経済」を卒えた人物だ。
この人物は「開成」の出身で、エリートだと周囲はもて囃していた。
確かに、
周囲の採用者より、少しオツムのできは良さそうで、得意技は「批判・批評」だったが、事細かく微に入り細に入りグチグチと念入りに批判・批評するため、他の人物では太刀打ちできないとか。
ある時に、
件の人物と話をする事になった。
早速、社内の人物や事業また市場展開について「批判・批評」を始めた。
黙って聞いてみた。
その多くが「学生の原論」に過ぎず、追い詰められる前に体よく話を「原論」に遷し、ミクロ経済や経営論へ逃げ尻尾を掴まれないように周到な煙幕を張る。
その事業分野に就く学生の大半は、真面に大学で何を学んだのか不明な「層」に過ぎぬため、そんなゼミナールのような研究テーマを、日常の場でいきなり投げられると躊躇し、自身の無学が露呈するから黙ってしまうらしく、件の人物の独断場でもあった。
日柄一日、そのお遊びでは、同期の仲間も近寄らず、然りとて仕事もせぬまま飼い続けるわけにもいかず、経営陣から折り入って相談が寄せられたワケで・・・
要請を受け、面談する事になった。
切り出しは上記(前述)の展開だった。
一区切り着いた処で、
「どうでしょう、これまでお伺いしました、その理論を現実の市場展開で見せてもらえませんか?」と、打診(かなり強圧的に放つ)すると。
次に、マーケティングの上での「広告表現」について持論を述べ始めた。
その骨格は「コマーシャルフォト」や「宣伝会議」に垂れ流されているままで、噴飯物だった。
そして(当時の)「サンアド」ではどうの!?
X社の「電通を用いた広告」ではどうの!?
と、まるで学生の広告研究会の愚痴批評に堕していた。
いずれの2社にも親しい人物を持つ側としては、
「青臭い(あほくさい)学生の無駄話に付き合う程の時間もない」ため
「その分野へ、なぜお進みにならなかったのですか?」
「それほど優秀(有臭)な人材を、袖にしたのは、見る目があったのか、なかったのか、いずれかですが惜しいなぁ」と、持ち上げ畳みかけた。
「まぁ、ここは物販卸売業で、そのような広告業ではないのですから、ここは一つ、先ほども申し上げましたが、市場開発で有能なマーケティング論を実務的に展開され、社に貢献なさっては如何ですか」と、言い放ってやった。
青臭い理屈を捏ね回していた件の人物は、言葉が詰まってしまった。
「お返事がないようですから、今日の処はこれまでにしましょう」
「お返事を頂けなかったと報告しておきます。ゆっくりとお考えになり、経営陣へお返事を為さって下さい」と、締めた。
1ヶ月後、件の人物は「退社願」を提出したと聞いたが、
まぁ、開成から慶應義塾の経済という触れ込みに圧され、無条件に採用した事業者も悪いが、何も考えず自らはエリートだと腐った野郎が偉そうに何をと言いたい。
まず、業種選びも、会社選びも、最初から間違っているだろうが。
採用する側も、もっと考えよと言いたい。
双方が、7年ほど「無駄飯」を与えられるまま喰い合ったワケ堕。
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