悩める米国:チャーチルは「民主主義は未成熟で欠陥の多い仕組みだが、しかし他の仕組みより優れている点は多い」との言葉を遺しているのだ・・・
2024年に、米国で「内戦」が興きるか?
これは、非常に興味深い提議と言えます。
先ずは、2021年1月に、その傾向は姿を現し連邦議会議事堂占拠という形で爆発し、全世界に衝撃を与えた。
これを窺わせる兆候は、既に2020年の11月に大統領選挙投票をピークに高まりを見せていた。
民主主義が過度に発達した米国社会も避けられない難問を抱え込み手付かずに遣り過ごしてきたのだった。
前任の「オバマ」はシカゴから出て「チェンジ!」「We can!」と煽り続けホワイトハウスの座に就いた。
しかし、4年を経て更に合計8年を経て、シカゴもインディアナもラストベルトが再び脚光を浴び米国のモノ造りの軸に還り咲く事はなく悲惨は今も続いている。
トランプは、文字どおりジョーカーでも魔術師でもないが、その煽り弁舌は巧みだ。
中西部に拡がるラストベルトと呼ばれる地域への「経済政策」も「産業政策」も「金融政策」もなく、
ただただ、「Great American again!」と叫び続けた。
それはドイツ系移民の子孫トランプが用いた弁舌は、ヒトラーと同じ種類の見事な煽り手法だ。
純粋にして単純な中西部の民は熱狂し続けた。
そして結果は、米国の世論分裂を象徴するように僅差ながらも、バイデンがホワイトハウスへの途を得て座を占めた。
勝利を疑わないトランプは、怒鳴る怒花札爺の本性を現し、ホワイトハウスでの居座りを決め込み徹底的に大統領選挙の投票結果を認めずに抗戦した。
米国の世論分裂を象徴する出来事として「連邦議会議事堂占拠」へも発展した。
一躍「Qアノン」が脚光を浴びた。
そこに蝟集するバカヅラを観て、またそれに共感するバカヅラの多さに、思わず閉口したのだが。
何よりも驚きは、日本でも、汚調子者や汚馬鹿を軸に「Qアノン」や「怒鳴る怒花札爺」の主張を信じ込み熱狂するのが現れた事だった。
2024年に執念を燃やす「怒鳴る怒花札爺」は、いまなお怒鳴り続け「Great American again!」を主張している事だ。
移民で成り立つ米国は、欧州大陸からの移民が銃で開拓した国だ。
そこへ、移民で成立する事を著した Principal に、自由を求め様々な「思想」「価値観」「主張」が入り乱れ、統合すら拒否する現代の「米国社会」が形成されている。
現代米国の基本は、社会的価値観も政治も「Liberalism」が基軸だ。
(これを強要されている日本も従順に慣らされ既に70年だ)
「リベラル」ゆえに、
強硬な①「保守派」から、攻撃される。
極端な②「左派側」から、攻撃される。
それに③「不満層(Complain)」からは、過激な攻撃を受け続ける。
そのため「揺れ動く」のを抑制できないまま、時に判断できず「漂流」してしまう。
この政権の隙や弱体を巧妙に衝けば「内戦」が勃発する事になる。
米国の場合は、米国を形成した比較的穏やかな「東部13州」でも、火が着けば爆発する。
中西部のラストベルトでは、③と②が、①を襲う形で手が付けられなくなる。
西部のカリフォルニアでは、おそらく③が相身互いに①と②を遅う事になるかも。
南部のマイアミでは、おそらく②と③から、①が徹底的に襲われるのではないか。
色付け区分けというか区分すら難しい、各戸に銃があるワケで、地域毎にゲリラ戦のような展開になる事は否定できない。
いま、米国が最も必要としている事は、
トランプに象徴される③の「不満層(Complain)」を如何に上手く抑制し放擲できるかではないか。
その上で、移民の流入規制、銃の抑制、雇用増する産業の基礎を形成する経済政策の採用だろうと。
いつも懸念している事を記述記録しています。
日本の政治も、細川護熙による「日本新党」で、小池百合子が政策の中身もなく煽りに煽って今を得続けているが、東京都民もメディアも日本国民も批判すらしない。
次には、大阪維新の会から日本維新の会を組織した、橋下徹が煽りに煽って今も猶それを続け平気だ。
それに倣った、令珍の山本太郎、政女を率いる立花孝志、ゴミでも「不満層(Complain)」を煽れば票を得る事を実証していますから。
日本も、この30年は彷徨しつつ全く同じ途筋を歩んでいますので笑ってられず、懸念しながらの毎日です。
引用開始→ 2024年に「アメリカで内戦」が発生しかねない理由
「格下げ」された人々の癒やしがたい怨嗟や憎悪
(東洋経済 オンライン 井坂 康志 : ものつくり大学教養教育センター教授 2023/03/25 9:00)次期大統領選への出馬を表明しているトランプ氏の動向次第では、2度目の「南北戦争」を招いてしまうのか(写真:ミリアム・アラルコン・アビラ/Bloomberg) アメリカ、そして世界に衝撃を与えた「Qアノン」扇動による2021年1月に発生した前代未聞の連邦議会襲撃事件。次期大統領選への出馬を表明しているトランプ氏の動向次第では、再びこのような事態を招くのか。さらには2度目の「南北戦争」を招いてしまうのか。 世界中で「内戦」が急増している現状とその原因、アメリカでも内戦が勃発する潜在性が高まっている状況について、アメリカを代表する政治学者が読み解き、警告した『アメリカは内戦に向かうのか』(バーバラ・F・ウォルター著)を翻訳した井坂康志氏が同書のポイントを紹介する。 それはある日突然やってくる 「川一つで仕切られる滑稽な正義よ。ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬である」(パスカル『パンセ』)『アメリカは内戦に向かうのか』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら)
内戦はある時突然火を噴く。少なくともそのように見える。しかし、内戦研究の蓄積を用いれば、その兆候を事前に知ることは可能である。なぜなら、内戦にはパターンがあるからだ。誰もが目にしているのに、誰も認識していない「急所」はどこにあるのか。
バーバラ・ウォルターは、名医がいくつかのポイントから病状全体を割り出すように、世界で日々起こっている事象から、戦慄すべきアメリカ内戦危機への診断を行っています。
この本には尋常ならざるリアリティがあります。その記述の多くは、一人称で書かれています。通常の学者の作法からすれば、きわめて「野心的」です。本書の魅力として最初に指摘すべき点かもしれません。
『ニューヨーク・タイムズ』等の主要メディアでの賞を多数受賞していることや、Amazonの原書に1200という驚異的な数のコメントが寄せられ、高評価を得ていることは、きわめて広汎にそのリアリティが共有された証しとも言えるでしょう。
そのためのアプローチとして、多くの専門研究者が長年にわたって蓄積してきた叡智の粋を垣間見ることができます。それは読み手に巨人の肩の上から現代世界を俯瞰する感覚を与えてくれます。
その一つに、「アノクラシー」があります。アノクラシーとは、専制支配と民主主義の中間概念なのですが、複数の信頼度の高いデータ・セットと「ポリティ・インデックス」という指標を用いて、内戦の危険水域(魔の中間地帯)の所在が示されています。
もちろん、危険水域に至ったからと言って、すべての国や社会が内戦に突入するわけではありません。それは、河川の水位が一定以上に達したからと言って、常に洪水の被害がもたらされるわけではないのと同じです。
けれども、そこには内戦勃発を予期するうえで顕著なパターンが見出せると主張されています。これは、内戦危機の「急所」と言ってもよいポイントなのですが、いくつかあるうちの一つにあえて目を向けるならば、「格下げ」があります。
フィリピンやユーゴ、インド、ジョージアなどの例が取り上げられていますが、格下げとはある階層の政治社会的地位が、何の合理的理由もなく喪失される状態を指します。長い年月その土地に暮らしてきて、しかるべき地位や尊敬、権威のようなものを培ってきたのに、気づけば国外から異なる民族や宗教の人々が徐々に流入し、やがて人口比が逆転して孤立し、二級市民に甘んじるようになっていく。簡単に言えばそのようなことです。その状態が、内戦の発火点になる可能性がきわめて高いというのです。そのような人々を著者は「土着の民」と呼んでいます。
このような、内戦パターンにおける急所が、アメリカにおいても著しく見られるようになった。この点が著者の危惧の際たるポイントだと思います。実は、民主主義先進国においても、「土着の民」は多数存在しています。この観点からすれば、トランプがなぜあれほどまでに熱狂的支持を集めたのかが見えてきます。「格下げ」された人々の癒やしがたい怨嗟や憎悪は容易に暴力に転ずるからです。
危険な「仕掛人」たち
もう一つ、現代の特徴は、内戦への展開スピードのすさまじさです。現れてわずか数年で議席獲得はおろか、時には政治権力中枢にまで一挙になだれ込んでいくこともめずらしくはない。その典型を著者はトランプ旋風の中に見出すわけですが、彼のような存在は、あらゆる内戦に一貫して作用していると指摘します。彼らは「暴力対決仕掛人」あるは「民族主義仕掛人」と呼ばれています。内戦の総合プロデューサーです。
彼らは、分極の綻びを見つけ出し、そこに憎悪の固いバールをねじ込んで、SNS等をフル活用して巧みに怒りを拡散することで、政治権力を掌中に収める。要は「われわれ」と「あいつら」を仲違いさせる「心理的壁」を見つけ出し、対立を作り出すのです。
仕掛人は、政治家ばかりとは限りません。ビジネスパーソンであることもあるし、メディアのパーソナリティ、ネット上のオピニオン・リーダー、さらにはタレント、あるいはこれといった肩書を持たない人。要は、どんな人であっても仕掛人にはなりうるのです。
「捏造された」現実はもはやなじみの光景
ちなみに、分極の諸相は見かけほど単純なものではありません。イデオロギー、民族、宗教・宗派などは後付けの口実みたいなもので、それらはあくまでも人為的です。一例として、おそらくYouTubeやTwitter、TikTokなどを日常的に見ている方は、選挙や国会論戦の時期に、実にきわどい切り取られ方や編集を施された動画・投稿を目にしたことがあるはずです。時には解説の形式をとった激烈なテロップの類も目にしたことがあるでしょう。それら「編集済み」、悪くすると「捏造された」現実はもはやなじみの光景になっている。
これは全世界的傾向ですから、誰もが内戦や暴動と無縁だなどとはゆめゆめ思わない方がいい根拠ともなっています。著者は、この状況を「パンドラの箱」と古典的に表現しています。
パンドラの白眉とも言えるのが、「第7章 内戦――真実の姿」です。この章は翻訳していて思わず戦慄が走りました。冒頭から速射砲のように、アメリカの近未来が「見てきたように」刺激的に描写されている。フィクションと気づくまでに少しページを繰らなければならない。このあたり、著者の筆力は怖いくらいに冴えわたっています。ちょっと予言的でさえある。
そこで語られる、死、憎悪、破壊の物語は、正確に言えば、単純なフィクションと割り切れないものがあります。ジョージ・オーウェルの小説が20世紀を経た今日、フィクションでなかったと判明したのと同じ意味合いにおいてです。
では、パンドラの箱が開け放たれたのはいつか。著者は2012~2014年あたりと考えています。すなわち誰もがスマホを手にし、常時SNSにアクセスするようになった頃です。以後の状況は、浄水場を経由していない細菌まみれの生水が、美しくパッケージされて世にあまねく流通する状態に似ています。偽ともプロパガンダともつかぬ情報が、ほぼそれと知られることなく、人々の行動を呪縛してしまう。それは見方によれば、政治的イノベーションとも言えるのかもしれません。
しかし、著者は、それらが全世界を暴力の流砂に引きずり込む現実がある以上、一般のインフラ企業同様に、SNSもまた、規制を受け入れるべきと主張しています。問題はSNS企業が、固有のアルゴリズムを介して、途方もない権力を行使しているにもかかわらず、私企業であるがゆえに、ほぼ自主規制に委ねられている点です。著者はその点に激しい危機感を募らせ、警鐘を鳴らしています。
希望の物語はどこに
著者の語る世界およびアメリカの観察のほとんどは、控えめに言って心温まるものではありません。しかし、注意深く語られている希望の物語が一つあります。これはパンドラの箱の底から聞こえる「希望の声」に相当すると言ってよいでしょう。1980年代末、南アフリカのアパルトヘイト克服がそれです。ノーベル平和賞を受賞したマンデラとデクラーク2人の例をあげ、とりわけ相対的に注目されることの少ないデクラークの下した大英断に最上級の評価を与えています。よく知られる通り、南アフリカは少数の白人が、多数の黒人を政治的に抑圧支配してきた体制でした。この構図からすれば、デクラークは抑圧を推進する権力サイドに身を置いてきたわけですから、かたやマンデラが「英雄」と称賛されるのに比して、デクラークは影が薄くならざるをえませんでした。
しかし、南アフリカを内戦の崩壊から救ったデクラークの現実主義を、マンデラにも劣ることのない傑出したリーダー像として見出しています。支配層の側から、反対勢力との協働のもとに新国家を形成する選択は、国家の破滅を避けるうえでの理想的モデルと見るわけです。実はこの南アフリカの事例は、混乱を極めるアメリカにおける一つの希望の雛形として作用していることにも気づかされます。
最終章では、民主主義の再建に伴う種々の活動が内戦を阻むために今なすべきこととして紹介されているのですが、そう聞くと、「なんだ、そんなことか」と拍子抜けするかもしれません。実際にAmazonのレヴューを見ると、それはあまりにもナイーヴだし、それができたら誰も苦労しないだろうというものも散見されます。しかし、それ以外に方法はないのだから仕方がない。私たちは白紙から世界を始めることなどできないからです。←引用終わり
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