ゼッタイはケッタイ リベサというかリベ珍が繰り出すテメェ~勝手な青臭い(アホクサイ)小理屈は噴飯物の腐った屁理屈でしかないのは大笑い開眼堕
移動中にバスの車内で耳にした会話:
若男/農業は万能と言うけれど、なんたって「自然破壊」するのだから「有害」だ。
若女/へぇ~、そうなの?
若男/例えば「土壌改良」は、何よりも、その土地での「自然破壊」じゃないか?
若女/そんな事を言い始めたら「何もできない」のじゃないの?
若男/その土地で土壌を活かせばヨイのですよ。
若女/それで必要な「収穫」を得られなきゃ「生きていけない」のじゃないの?
若男/それは仕方がないね。だから人は喰える場へ移動し続ける。
若女/定着定住は無理って事?
若男/いま「農業」を例にした話だけれど、現代社会も同じ事で「喰える仕事」を求め移動し続けるワケですよ。
若女/アナタ、自分の「失業」を巧く言い替えるわねぇ!
若男/そうじゃないヨ!
若女/一定の分野で技術を貯めて高めないと「喰うため」の収入は得られないと私は思うけど。
若男/自然と人間は「共生」できるようで、実は「できない」って話だよ。
若女/それって、都合のヨイ話だわねぇ。
若男/そうは言うけど、世の中に「ゼッタイ」ってあり得ないんだ。
若女/また、そういう風に話を変えちゃうのね。アナタの不思議な処はそこなのよ。巧く話をすり替える「ケッタイ」な人って、、アナタの事よ。
若男/そうじゃないヨ・・・
若女/止めましょ! もぉ聞きたくないワ! サヨナラ!
(若女は降車し去った)
なんだか、リベサやリベ珍が、
繰り出し繰り広げる高邁な「哲学」は「禅問答」というか「小理屈」の応酬でもあったが・・・
人間が生きる反面で、地球環境には負担であり、自然は傷付けられるのだ。その障害行為や負担負荷は少ない方が良いのは言うまでもない。
しかしながら「加害」を少なくしても「ゼロ」にはできないのだ。
何となく聞こえてきたので要点を記憶し記録してみた・・・
自己陶酔というか、自己満足というか、付き合わされる側は骨折りだろうと眺めていた。
これって「原発」の「再稼働」是非論争にも似ているし、
「国の防衛」の「強化」是非論争にも似ているし、
何より「憲法9条」を改正する事の是非を言い争う流れにも似て。
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