無能はポピュリズムに乗り、投票買収を目的とするなら手段を選ばず、口を揃えて夢を撒き「ゼニカネ」を巧妙に撒き散らすが効果なく嗚呼アホシンド
アホシンドが華々しく出てきた時に、胡散臭い意図や演出を感じ取り、しばらく「酸」に浸してみなきゃ「隠し持つ " 本音 " 」は分からないと突き放していた。
爺が軸足を置いた「清和会」そのものが元を正せば胡散臭い「鳩山の(元の)民主党」なのだから、爺の弟である叔父が率いた佐藤派も保守本流ではないが、しかし「清和会」より本流に近く、財政と投資と成長を描き胡散臭くも安定した長期政権だった。
21世紀に入る頃、突如として「清和会」の異端児「小泉純一郎」が番狂わせでの現れ、細川護熙が手がけ、小池百合子が形成した「日本のポピュリズム」は完成に向けて仕上げに入った。
その仕上げを手にしたのが、2012年に復活した無知蒙昧を地で行くアホシンドであった。
小泉を継いだ1回目は、ボンボンのアホ丸出しで凡打凡戦に暴投にエラー続出で「ポンポンが痛い」と放り出し逃げ去った。
しかし人気に目をつけた目敏いドカンリョウドモが、支え吹き込み入念にポイントだけをレクチャーする事で、体の良い「ロボタン・アホシンド」が完成した。
ここで再売り出しするには、国民を熱狂的に煽り揚げるために欠かせないフレーズが必要と・・・
「美しい日本を取り返す」とする、取り巻きがライターを準備し書かせまとめた「本」だった。
そのスローガンの下に様々なロボタン操縦者が現れ、厳正な審査を経て、操縦者が形成され、第2次アホシンドが形成された。
何より、ロボタン操縦者は多くが「大蔵・財務」で主流を成せなかった「リフレ派」の汚馬鹿ドモだった。
そして、この凡そ10年間に渡り「日本の財政は危機に瀕し、ツケは後世に先送りされ、未だに札の刷り増しを続けさせ、国としての国際競争力を一気に低下させるばかりであった。
汚ツムが悪く、ポンポンの痛い「ロボタン・アホシンド」ほど、使い勝手の良いのはいなかった。
アホシンドは考える事ができず、吹き込まれたら吹き込まれたままを口にする。
そして「政策」などは固より無く、ポピュリズムの人気に頼り、都合良く壁を塗り替えただけだった。
それは、橋下徹の口から出任せ「政策」の羅列と同じだった。
ゆえに目敏い橋下徹は、アホシンドの自民党脱走を画策、ロボタンの操縦を自らが担おうと躍起だった。
アホシンドは、苦しくなると「選挙戦」に出た。
その際に掲げるのは「日本国憲法の改正」という幻想と、財務省の官僚叩きで「消費税料率改定」の延期であった。
リフレ派の主張に乗り、大いに花咲爺を演じ盛大に「ゼニカネ」をばら撒いたが、日本の経済は沈みゆくままで国家としての存立順位も個人所得も<日本はstrong>「中所得国」へ転落したのだった。
それでも日本は「アホシンド命」のポピュリズムから目覚めない。
それは大阪が「維新の幻想」ポピュリズムから目覚めず抜け出さないのと同じ構図だ。
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