デジタル技術やIT技術の急激な発展で世の中を大きく変え、たかが自転車に乗れるか否か程度なのだが、悪意を持つ拗ねたヒマジンには攻撃の武器だ
如何に単品のモノ造りが優れ、それを誇ってみても、それは全体を形成するパーツであり部品の一部に過ぎない。
何よりも作品として全体を設計し巧く構成するプロデューサーの意図を汲み従いディテールを整えるディレクターの目に適う必要がある。
それがイヤなら自ら全体を計画し設計し形成する能力を備える事が必要だ。
この基本的な構図が理解できない人物が表面に出て、周囲を従えさせようとする事は羞悪な冗句としか言いようがない。
大切な友人の一人がSNSに投稿する軽妙な近況報告の内容を、悪意ある者(側)から、裏面で「悪口雑言」を言いふらされるという事態を招き、大変な困惑と悲しみに沈んでいる事を識った。
これで2件目だ。
現代社会は、AIの発達でも、その利用者の意図や悪意も含め、その是非が問われるようになった。
コンピューターが十年一日の如く急激に発展深化し、デジタル社会は一気に進化を重ね、僅かな技術を識り使う事ができ、その知見や技術を備えれば一定の水準に到達する事ができる。
従来はなぜか屈折を余儀なくされた自らが自信を取り戻し、世間に号令できるのではないかと錯覚もするようになった。
それは、単に「自転車」に乗れるかどうか程度に過ぎないのだが、もの凄く能力を得たとの誤解を持つのだ。
同時に、然したる裏付けもないまま「彼我の差」を観て感じ、それに対し明らかに敏感で過剰な反応を示すようになる。
その反応の多くは「怨嗟」が遠因する「嫉妬」が発する謂れのない「攻撃」を、相手と考える側へ加える事になる。
最初は、反撃を受けない自身よりも弱者に対し「攻撃」を加える。
次に、反撃の有無を越え周囲で目にする「怨嗟」や「嫉妬」への「悪口雑言」へ発展する。
それは、自身の認識を欠く「幼児の所作」と笑って看過できない事になる。
SNS、例えば
Facebook は、この10年ほどで肥大化し過ぎ、巨大な社会的メディアに成長したが、それゆえ弁えない「軽チャァ~人種」や「スノッブ人種」が自らのポジションを確立しようとして、下らない種類の人種が急増し、より肥大化による急拡大で未曾有の混乱を招いている。
Twitter は、自信満々のヒマジンによる自慢や嘆きまた煽りを競い合い罵り合う場に堕している。
何よりも、巧妙に尻を搔かれ競争を煽られ、より過激に「大笑い開眼」に陥り右往左往するのを観ると、本当にヒマなのだと思うしかない。
部品は有用性や有力性の有無に関わらず部品に過ぎないのだが、その認識すらない人種が「蝟集」し、既に「カオス」状態に陥り、互いに「異臭」を放ち合い、足を引っ張り首を絞め合ったいるのを観ると、実に滑稽こっけいコケコッコ~だ。
2017年に、その「カオス」に巻き込まれ、収拾がつかぬまま以前の肥大化した「板」を無念ではあったが閉鎖し放棄し終止符を打った。
現在は、徒に拡大する事なく「SNS」の本来的な原点に立ち還り、厳密なリンク審査を行い、相互の安全性を保っている。
同じく「 Linked In 」も、諸悪の事態を考慮し放棄撤収し完了した。
「 Twitter 」 への投稿は、殆どせず下らない部品に過ぎぬヒマジンの自慢と手慰みヒステリーを世相観察のため冷ややかに眺めています。
まぁ、皆さん、カリカリなさらず日常茶飯の記録というか備忘録で、話題を交換し理解し合い笑い合う程度がヨロシイのではないですか。
カリカリせずに、受け流し、傍若無人で悪意を保つ嫌味な側はブロックするなどで適切にコミュニティーの健全と安全を護る事ですネ。
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