« クチに優れた誤塵は、自身の空回り論理に酔い、相手に罠を仕掛け自らのクチを自慢し威勢よく相手を追い詰めるが、過ぎたるは猶およばざるが如しで | トップページ | 腐った無知蒙昧の呆痴ブタは、追い立て蹴り続け「豚死」させるまで追い立て「放置」し、追い詰め自爆させよ! 観るな、相手にするな、放棄損失の計算を »

2023/04/03

各地の神社とその祭祀について考えると、地域社会を統率した統治者の業績が高く大きく、それにより崇められる理由を識ることもできるのでは

日本各地に建ち奉られる神社(10万社を超える)の中には、その地を治め民を殖産振興などで領導した偉人の遺徳を偲び恩恵を受けた人の意で創建され、今に至るも尊崇され敬愛され伝わるものもある。


統治される者があり、統治する者がいて地域も国も成立したワケで、有能で有益な統治者は尊崇されたのだろう。
その場合は伝承の神でもいわば首長であった偉人ともいえる。
従って地域に根付き「氏神さま」であったりしながら、地域の生活文化を形成する上でも軸の役割を果たしてきた。


平安時代に形成された「社格」は、近代化も(政治)統治の上で有用とされる「神社」を別格として加えながら、宮内省と政府から官幣社(宮内省)、国幣社(国政府)、府県社(府県庁)、郷社、村社、などの格式を与えられ、一部は保護され統治機構の一部をも為し徐々に刷り込まれたともいえる。


その点では「政(まつりごと)」ともいい、日々の「奉り」を、年の例大祭などで爆発的なエネルギーに変える「祭」は殊に重要でもあった。


「氏神」は、一つの集落単位が「一族」により形成されていた事で自然発生的に始まったとも考えられる。従って「巨大神社」を「氏神」と呼ぶのは無理がある。同様に特定の地域へ明らかに移住してきた側(者)が「氏神」と呼ぶのは自由でも基本的には無理がある。


WWⅡの敗戦により、有力な陰の統治機構でもあった国ぐるみの「国家神道(官幣社・国幣社・府県社・郷社・村社)」は廃止され、格付けは消えた。


「ロシア正教」を眺め観て、その根深さに驚愕するが、それは現代まで連綿と続くロシアを形成する背骨であり「国家宗教」そのものなのだから。
日本は明治の近代化後の80年を含め、1100年近い日本の歩みを考慮する事なく、迂闊に批評し安易に批判する事はできないともいえる。


いまも猶、伊勢の神宮は、社格制度の有無などに関わらず「別格」である。


皇家にとり、政府(内閣)にとり、伊勢の神宮は、極めて重要な祭祀の社として存在している。
皇家には、八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣、そして橿原神宮は最重要の「氏神」であり祭祀の社として大切な尊崇の存在である。

|

« クチに優れた誤塵は、自身の空回り論理に酔い、相手に罠を仕掛け自らのクチを自慢し威勢よく相手を追い詰めるが、過ぎたるは猶およばざるが如しで | トップページ | 腐った無知蒙昧の呆痴ブタは、追い立て蹴り続け「豚死」させるまで追い立て「放置」し、追い詰め自爆させよ! 観るな、相手にするな、放棄損失の計算を »