引用開始→ 国会のレベルの低さが日本経済の危機招く 田中秀臣
(2023/5/1 11:00 月刊正論オンライン)
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国会のレベルが低すぎる。一月に召集された通常国会は本来、新年度の予算案やウクライナ戦争で緊迫する安全保障・外交問題などを議論する重要な場であるはずだ。だが、テレビのワイドショーやニュース番組では、政治家女子48党(旧NHK党)のガーシー参議院議員(当時)の国会欠席を理由にした懲罰・除名処分や、放送法の解釈に関する「行政文書」をめぐる小西洋之議員(立憲民主党)ら野党と高市早苗・経済安全保障担当大臣の言い争いが話題の中心だ。
両方の問題のファンの皆さんには申し訳ないが、正直、国益レベルではどうでもいい話だ。前者は少数政党が国民の注目を集める手段としては成功しただろうが、ガーシー氏の議員の不逮捕特権がなくなった今は、単なる刑事事件でしかない。
後者は、不正確な内容の「行政文書」が、国会の場で政治利用されているだけの話だ。そもそも国民にとって、なにか実害が生じた問題なのだろうか。取り立てて政府に媚びたテレビ番組はないし、その「行政文書」で安倍晋三政権が問題視したとされるTBSのサンデーモーニングも変化はない。昔から現在まで「日本が嫌い」な出演者が多いなあ、と筆者は思うだけだ。高橋洋一教授(嘉悦大学)が指摘するように、総務省内部の通信・放送行政をめぐる派閥の争いがその「行政文書」の背景にあるのだろう。だが公務員のちんけな暗闘に、国会の貴重な時間が割かれるのは実に情けない。
慣例踏襲のムラ社会
この国会の低レベルは、時に国益を大きく損ねる。例えば、どうでもいい慣習に縛られてしまい、外交の汚点を生じさせたのが林芳正外相のG20外相会合への出席見送り問題だ。G20外相会合ではロシアのウクライナ侵攻や中国が関わる安全保障上の問題が討議された。特に米欧とロシアが、出席した外相らが批難の声を強め、対立をいっそう鮮明にした。さらにはグローバルサウス(南半球の途上国)をいかに取り込めるかが、米欧、そして日本の課題でもある。グローバルサウスは、中国の影響も強く、ロシアに対する制裁では欧米とは一線を画す傾向がある。日本外交が、ぼーっとしている余裕はない。
国会の慣例にしばられて、林外相は出席することができなかったが、それでも国会で意義のある答弁をしたのならまだいい。だが参院予算委員会の場で林外相の答弁は一回だけ、五十三秒でしかなかった。もちろん副大臣でも対応できた。というか、副大臣・政務官制度が機能していない証拠でもある。与党議員の安易な「箔付け」に利用されているだけかもしれない。立憲民主党からは、「会合がバッティングしないようにすべきだった」という意見がでているが、G20外相会合を日本のムラ社会(=国会)の都合で思う通りにできると考える外交センスがそもそもダメすぎる。
また岸田政権は対韓外交にも論点豊富なのだが、なぜか国会では活発な議論はない。「韓国と仲良くなって良かったね」みたいな幼稚な反応が多い。韓国の尹錫悦大統領は、国内の人気が低迷し、また経済状況も半導体産業を中心にして不振だ。その打開策として、いわゆる元徴用工問題を利用しようとしているのは明白だった。だが、元徴用工問題は、韓国の国内問題でしかない。日韓請求権協定を無視した蛮行なのだ。
日本側はこの件では明白に被害者であるにすぎない。今回、韓国政府傘下の財団が日本企業に不当要求された賠償金を「肩代わり」するからと、尹政権側が提起してきた。もちろん日本側に賠償責任はないので、そもそも「肩代わり」ではない。そして尹政権の狙いは、元徴用工問題の解決にあるのではない。韓国側の狙いは、フッ化水素・レジスト・フッ化ポリイミドといった半導体の素材に関する輸出管理の緩和だろう。
安倍政権の時に、安全保障上の懸念があるとして、それまで企業が一括して許可をとれば韓国への輸出が継続して可能だったのを、厳格な個別審査に切り替えた。この輸出管理の厳格化を、日本政府は一貫して元徴用工問題とは切り離した問題だと主張してきた。それがただ単に韓国側がWTO(世界貿易機関)への提訴を「中断」しただけで、関係当局が対話を再開、そして数日後には緩和が決まってしまった。いわゆる元徴用工問題と輸出管理などをまとめて解決してしまおうという韓国の「パッケージ」外交に、岸田政権が安易に乗ったことを示している。
どう考えてもこれまでの政府の対応とつじつまが合わない。対韓外交は、何度も何度もいわゆる「歴史問題」を蒸し返され、約束を反故にされてきた。韓国側が、この「歴史問題」を持ち出したり持ち出してこなかったりするのは、すべて国内の政治的事情による。そのため日本との約束がコロコロ変わるのである。
このため、安倍政権は韓国に対して「歴史問題を蒸し返さない」という毅然とした姿勢を採用した。過去の問題で、現在から将来世代に対して「歴史問題」などという負の遺産を継承させないためだ。ところが、韓国に対して、日本政府まで付き合ってコロコロ態度を変えてどうするのか。だが、国会では与野党ともにこの点への突っ込みは乏しい。
与野党とも増税志向
重要法案である令和五年度予算案についての審議はどうだろうか。私見では、最大の論点は「財政再建問題をどうとらえるか」である。コロナ禍をほぼ脱し、経済が本格的に稼働している段階で、政府が財政をどう考えているのか、どう考えるべきなのか熱い論戦があってしかるべきだ。もちろん私の意見は、日本経済はまだ十分に回復していないので、財政政策は減税や公共支出など積極的に打ち出す必要がある、という意見だ。だが、国会の論調はそうではない。与党は相変わらず、財務省の顔色をうかがってしまい、消費減税など確実に効果がある政策を打ち出すことはない。
野党では、立憲民主党の野田佳彦元首相(同党最高顧問)が防衛費について国会質問に立った。宇宙やサイバー部隊の人員不足について指摘し、自衛隊員の給与など待遇面の貧弱さを指摘した。生活の安定がなければ、自衛隊の拡充など絵に描いた餅である、とした。これは正論だ。だが、野田氏が同時に、財政再建論者であることを忘れてはいけない。財政再建論者の特徴は、景気を無視した増税志向にある。いわゆる緊縮主義だ。
実際に野田氏が首相だった民主党政権で、東日本大震災やデフレ不況の影響から脱していないタイミングで、消費税一〇%への引き上げが決まった。今回の質疑でも野田氏は、増税の選択肢をあえて持ち出してもいた。自衛隊員の生活面での改善は必要だが、その財源でまた増税を目指すならば、またもや日本は停滞し、その結果、防衛費も伸びなくなる。相変わらず、民主党政権時代の反省が微塵もないのだろう。
だが、防衛増税を前提にする点では、岸田政権も同じだ。コロナ禍から脱するタイミングで、与党と野党第一党が増税を意識した国会質疑を続けるのは、経済政策のセンスとしては最低レベルの展開である。なぜなら国民目線でいえば、いま政府がするべきなのは国民の経済的負担の軽減であって、間違っても負担が増える増税の話ではないからだ。そんなことは小学生にも十分に理解できる。
経済が完全に復活していないときに増税の話を持ち出すことは、将来への不安や負担感を増すことになり景気の先行きに冷水を浴びせることを、与野党ともに理解できていない議員が大半だ。防衛費については、この点からも経済成長による税収増で対応すべきだ。当面は、長期国債を発行して防衛費にあてることも行うべきだ。防衛費拡充基金を創設するのも一案となろう。
ガラパゴス的予算編成を疑え
ここでさらに国会で討論すべき問題がある。財務省の「財政危機神話」だ。財務省は旧大蔵省時代から、半世紀近く、ずっと「財政危機」を喧伝してきた。あの手この手で増税や緊縮財政を唱えて、そのために日本経済は本格的な回復を遅らせてしまった。まさに亡国の組織が財務省である。
なぜ財務省がここまで「財政危機神話」を喧伝するのだろうか。ふたつの有力な見解がある。ひとつは、単に自分たちの先輩・上司が言ってきたのを考えもなしに踏襲しているだけだ。もうひとつの方が、多少は頭を使う。予算を絞った方が、自分たちの予算配分の権限が増す、それが財務官僚の権威を高め、官僚をやめた後の再就職(天下りなど)に役立つからだ。要するに財務省のムラ意識とその利害関係に日本国民が巻き込まれているのだ。その意味では、冒頭に書いた総務省の「行政文書」の背後にある官僚たちのどーでもいい派閥争いと次元が一緒だ。
ところで、「ワニの口」という言葉がある。財務省が持ち出した話で、政府の予算である一般会計歳出と税収の差がどんどん拡大し、その差がまるで「ワニの口」のようだ、と表現するものだ。税収よりも歳出の方が大きいので、その差は「政府の借金」である国債の発行で埋め合わせることになる。しかもこの「ワニの口」は拡大を続けている。つまり財務省は、この「ワニの口」の開き具合が大きければ大きいほど、借金漬けで日本は「財政危機だ」、といいたいわけである。
ところが本当にそうだろうか? まずおかしな点は、日本の政府予算が国際標準とはいえない仕組みになっていることに注意が必要だ。政府が行うさまざまな活動の金銭的な裏付けを示す一般会計歳出は、百七兆五千億円(令和四年度)で、その財源となる一般会計歳入も同額になる。この一般会計歳出は、大きく三つの部分からなる(以下の数字は末尾の数字を四捨五入)。医療や年金などの社会保障、教育、防衛、公共事業などからなる一般歳出(六十七兆三千億円)、赤字財政に悩む地方財政を支える地方交付税交付金(十五兆九千億円)、そして国債費(二十四兆三千億円)である。この最後の国債費が国際標準から見ると曲者である。
国債はそもそも税収で不足する歳入を補うために政府が発行する借用証書だ。借りたものだから、利子と元本払い(償還)が伴う。さきほどの日本の予算では、この国債の利子支払い分(八兆三千億円)と元本支払い分に相当する債務償還費(十六兆円)が計上されている。だが、国際標準では、後者の債務償還費は計上されていない。利子支払い分だけが計上されているのが通常だ。米国、イギリス、フランス、ドイツなどの主要国は、単に利払いしか計上していない。
なぜだろうか? 簡単にいえば、国債を返す必要が特段ないからだ。多くの国は国債の償還期限がくれば、借換え債を発行して、それですませている。言葉は悪いが、借金をまた借金で返済するわけだ。だが日本はガラパゴス的な予算編成ルールを採用している。それが「国債償還六十年ルール」だ。
これは法律で決められているわけではなく、単に慣例である。どんなルールかというと、既発行の国債残高をすべて六十年後にはなくなるようにするルールである。もちろん借換え債も含めてすべての国債を支払うのである。
この「国債償還六十年ルール」を採用しているために、毎年度の予算に巨額の債務償還費が計上されているのだ。この巨額な債務償還費を含めて、歳出と税収の開きを「ワニの口」と財務省は表現して、それがどんどん拡大していることで、「財政危機だ!」「将来の世代に負担を負わすのはいけない」などと国民を煽っているのである。
ちなみに利払い費と日本経済の規模(名目GDP)を比較すると、先進国の中でも日本はそのウェイトはきわめて低い。令和五年度の利払い費の名目GDP比は、一・五%でしかない。また政府は保有する金融資産などから金利収入も得ているので、それを引いた純利払い費でみてみる必要もある。
エコノミストの永濱利廣氏によれば、米国、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、日本の中で、日本は下から三番目であり、その比率は現状でも〇・五%程度と推定できる。この数字は、財政危機的水準といわれる二%よりも格段に低く、また安定している。例えば利払い費や純利払い費が、今後、上昇しても同時に分母のGDPも拡大しているので、ほとんどこの水準に有意な変化はみられないだろう。
さらにエコノミストの会田卓司氏が試算するところによれば、財務省が試算した令和八年度の想定金利一・六%では、利払い費とGDPの比率はたかだか一・八%の微増である。純利払い費とGDPの比率でも、〇・七%にしかならない。このような日本経済の規模からいえば些細な数字をしきりに「財政危機」だと煽るのが財務省とその洗脳をうけた国会議員の手口なのである。
さすがに最近では、この「財政危機神話」や「ワニの口」を信じていない国会議員も多い。だが、この「ワニの口」を否定し、また国際的に異様な「国債償還六十年ルール」を見直す機運は、いまの国会には乏しい。財務省の公式見解を岸田文雄総理や鈴木俊一財務大臣は繰り返すだけである。
度し難い立民・共産
予算案の審議も重要だが、同じように日本の金融政策に関わる重大な案件が、今回の通常国会で審議された。日本銀行の新しい正副総裁人事だ。特にアベノミクスの中核を担ってきた黒田東彦総裁に代わって、植田和男新日銀総裁に関する人事案が注目された。
候補者は国会で与野党からの質疑に答える必要があった。だが、ここでも国会議員たちのレベルの低さが問題だった。特に立憲民主党や日本共産党は、そもそも金融緩和政策に否定的であった。植田氏は、黒田日銀の金融緩和政策を修正して、早期に緩和を取りやめるのではないか、とマスコミなどが喧伝していた。そのためか、野党議員からの質問の多くは、生ぬるく、想定の範囲内の質問ばかりであった。
結局、立憲民主党は、黒田日銀で金融緩和政策を立案していた内田眞一副総裁に反対し、金融緩和を止めると期待した植田総裁には賛成するという、実にトンデモな態度をみせた。当たり前だが、景気の悪いときには、金融緩和と積極財政が王道だ。なぜ立憲民主党は金融緩和にも否定的で、なおかつ野田氏の発言からも明らかなように積極財政よりも財政再建的なのか。これで景気がよくなると思う方が不思議だ。もちろん日本共産党に至っては候補全員を否定していた。
この日銀正副総裁人事案で、ただひとり植田氏にするどい質問を投げかけていたのが、自民党の世耕弘成参議院議員(同党参院幹事長)だ。植田氏が今後もアベノミクスの継承を目指すのかどうか、そして長期国債の利回りをコントロールする政策を続けるのかどうか、執拗に質問を繰り返した。
長期国債の利回りをコントロールする政策は重要だ。植田氏の持論は、昔から金利のコントロールは短期金利だけにすべきだ、というものだった。だが、不景気のときには、長期金利は実に重要だ。不景気というのは消費や投資が低迷していることである。そのため耐久消費財や自動車や住宅などの長期のローンをたてる際に、長期金利が低い方が消費を盛り上げる効果がある。また金融機関からの融資が低い長期金利ならば、企業の長期的な投資がしやすくなるのは自明だ。
だが、植田氏は、日銀が長期国債の利回りをコントロールすることは、日本の金融機関に不利になる、と常々否定的だった。簡単にいうと、銀行の金利収入が低いからだ。だが、それでは銀行の目先の利益のためだけに、日本経済を不況のままにしてしまうだろう。植田氏の銀行寄りの姿勢は、日銀総裁として不適格だ。この論点を追及したのは、ほぼ世耕氏だけだったのが、今の国会の金融政策についての認識を表している。
他方で、植田氏は、インフレ目標二%を安定的に達成するまでは金融緩和を続けると表明もした。今後、この姿勢が単に国会での言い逃れにならないように、国会は常に日銀の姿勢をチェックする必要がある。
植田氏を日銀総裁に任命したからといって、政府や国会を無視していいわけではない。特に欧米で金融機関の破たんや経営不安が相次いでいる。リーマンショックの再来を指摘する声もある。この時に、財政政策と金融政策をフル回転させて対応することが必要だ。この当たり前の認識を、国会議員が共通してもつことが重要である。←引用終わり
(月刊「正論」5月号より)
たなか・ひでとみ
上武大学教授。昭和三十六年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。夕刊フジで毎週「ニュース裏表」を連載中。著書に『脱GHQ史観の経済学』(PHP新書)、『日本経済再起動』(高橋洋一氏との共著、かや書房)など。