「September 11」で改めて考える事は文明は都市の象徴ながら、様々な内部矛盾を合理的に克服できず、やがて内部から崩壊する途を歩むのが歴史だ
夏が終わり秋に繋がる入口で、
21世紀の幕開けにNYを襲った「大きな衝撃」と「強い怒りと悲しみ」の「September 11」が巡りくる。
USが勝手に理想と描く「自由な社会」は激しく揺さぶられ、怒りで「立ち上がる」も、勝ちを得ず敗けもなくモヤっとじたまま時は流れ過ぎ。
USの圧倒的な無自覚により、与しなかった側や人には「無限の不幸」が襲いかかり続ける。
しかし、悲しい事に脳天気でお気楽で無自覚なまま無責任なUSを構成形成する側は、それを痛痒にも感じず殊更「US原理主義」を強要する。
「September 11」は、起こるべくして生じたとも言える。
文明(civilization)について考えたいと思います。
固より「都市や国家」を意味しており、都市化や国家化が文明の要素と考えているのですが。
「文明」は衝突により崩壊する事よりも、
その内側に抱え込んだ「矛盾」を合理的に対処し克服できず、浸食され「内部から崩壊」する歴史を繰り返しています。
衝突により崩壊させられたと考えるのは、地中海の覇権を巡り軍事国家の「ローマ帝国」と衝突した事で、敗戦し崩壊させられ塩を撒かれ根絶やしにされた交易国家の「カルタゴ」です。
その「ローマ帝国」も、周辺からの侵入により崩壊します。
何を原因に都市化や国家化は生まれるのでしょうか、何よりも人は「生命」の安全と安定した暮らしが可能な地形や環境を求め、自然に安定した土地へ移動し特定の地には人口が集中します。
それにより食糧の供給も消費がある事で、自然に市場が形成され充実するようになり、その市場をコントロールするために、これまた自然に階級と職能が分化され明確化される事になります。
それを有効に機能させるために、十分な対応力が求められるのは当然の事で、先ず何よりも人としての役割に応じた「教養力」や「道徳力」が求められる事になります。
やがて「市場」は、それらの機能を人としての倫理的な規範の下に統合する事で、社会的な「安全性や利便性また豊かさ」を享受し、その発展により文明力を形成するわけです。
更に、それらの作用で周辺域へも交易力が拡大し、得た利益(利潤)により、公益の市場を整備し、公共建造物を提供し街として機能が高められ定着し発展するわけです。
やがて維持のために必要不可欠な言語的記録力(現代社会ならITシステム)の発達発展を促し、支配的な規範を文書化し憲章化するなどで都市としての体裁を整え全体を整備します。
それにより「安全性や利便性また豊かさ」を求め、周辺から公益や人の流入なども増加し、表現や言語が交じり合い混沌とする状況でも、表現・理解様式の統一などが必要不可欠な方法で並行的に起き、これらを巧妙に抱摂し克服する事により「都市としての文明」は更に大きく発展し、周囲からの流入を更に促進する事になり、均衡が崩れるまで創出形成した「都市文明の利益」を享受し続けます。
いま、世界の大都市、ニューヨークも、ロサンゼルスも、シカゴも、ロンドンも、パリも、ベルリンも、東京首都圏も、北京も、上海も、香港も、シンガポールも、自らが招いた野放図な肥大化により、自らを支えられず喘いでいます。
世界の先頭を切り発展した大都市で、世紀を超えて先頭で存在し生き残るのは極めて困難である事を世界の歴史は示しています。
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