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2023/09/27

日本の大学選びは東京大学も早稲田大学も慶應義塾大学も、その出身をひけらかす人は上位社会でヒエラルキーの頂点を目指した結果だと強調する

大学進学批評です:
日本の大学選びは基本的に間違っていると学生と接する度に感じ思ってきました。


従って、大学側の入学者選抜も間違ってしまったままではないかと考えています。
先ず、志願者に最初から「学びたい事(テーマ)」があり、
明確に絞りきり、それを「学ぶには、○○大学で」があり、
二番手に「△△大学も」ではないかと。


文系(社会科学)の選択では、
何よりも「○○大学」が先にあり、序でに「△△大学」であり、
更に「▲▲大学」というような傾向が窺えます。


肝心の専門分野の絞り込み「学び、研鑽し、知見や技量」を磨く事は付け足しでしかないように感じます。


理系(自然科学)の選択はそこまで緩くも酷くもないようですが。


これは、東京大学を頂点とした大学の序列化が成した「悪しき災い」と言えます。
国立大学の序列化は止むを得ないとしても、
私立大学である「早稲田大学」「慶應義塾大学」も私立大学の序列化に参画(否定しても)し、望むと望まざるに関わらず「上智大学」や「国際基督教大学」あるいは「東京理科大学」を巻き込み、全体を歪める構図を推進しているように見受けます。


日本の大学受験は実に熾烈で、

形式的に「18歳の春」に終わるだけで、
実際には「12歳の冬」に終わりの始まりが隠れ(控え)ているのです。
その準備は、8歳~9歳の頃から始まっていると言えます。


現在、親世代の「収入」が実際にはモノを言うワケですが。
この熾烈さが一般化したのは、日本の上位社会構造が明確な「学歴主義」と「出身大学重視」の傾向が強く、例えば「慶応の三田会」に観るように、その人脈に依拠しようとする傾向を強固に形成する事もあながち否定できません。


日本の上位社会は構造を護るために採用時点で「人」重視の傾向があり、結果的に歪みを更に強化しているように見受けます。
人物的には、子供の頃から何はともあれ「目標」を持ち、様々なバリアを突破してきた学生は忍耐力を備えています。


しかし現実の社会は人の採用で「人物」主体から「ジョブ(業能力)」を重視する採用へ変わりつつあります。
「ジョブ型」になる事で、①学びの質が問われ、②事態の展開能力が求められ、③解決能力が不可避になります。
ただ、従来どおり「慶応三田会」のように、彼らが日本社会で一定の君臨を得るために「相互依存・相互扶助」をより強める事もあるでしょうが、22歳~23歳の結果であって「未来をクリエイティブに切り拓く技量」は、その個人が有する能力そのものであろうと考えます。


ここで「慶応三田会」を例に挙げましたが、東京大学も、早稲田大学も、上智大学も、国際基督教大学も、東京理科大学も同様です。
基本は、18歳の春の一発成績は、一つの結果に過ぎません。


その結果に拘泥する事なく、進学者が自らの取り組みで「専門分野の知見と技量」を切り拓き、次の地平に立つ事を確立すべきなので、ただ「ボォ~」っと、時間と歳月を遣り過ごし何か分からぬ間に現実の社会へ出ても、確かな「評価」を得る事は難しいでようね。
憧れても良いですが、名前で選ばず、中身で選びませんと。


「ジョブ型」重視の社会になれば成る程、ただただ「大学」で然したる目的も目標も持たず終えただけの学生は、そこまでの歩みが、9歳~10歳の春に格闘し、12歳の春にも格闘し、15歳の春にやや勝利し、18歳の春に笑っても、22歳~23歳の春に「花」が咲くとは限りません。
ましてや、30歳の春が来るか、45歳で春が終わり突然「黄昏れる」かなど分かるわけがありません。


しかしながら、その時点その時点で確実にバリアを超える取り組みを続ける強く逞しい「人間力」と「知力・技量」を磨き続けるのは必須のテーマではないかと思量いたします。

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