「社会悪」や「迷惑行為」には、懼れず毅然とした態度で厳しく注意し「社会の安寧」を維持しよう。自身の身の安全は第一義的には協働し自らが護る事だ
マチバで出会い観た光景:
「ガザの安寧破壊者」「北九州の平穏破壊者」「電車内の静粛破壊者」これらは、最初に「警告せず」次に「開き直られ」やがて「屈し暴圧され」「支配され」る事で、止め処なく「不幸の連鎖」を受け続けるのです。
それは鉄道の車両で突然に生じました。
「上品」「静粛」などに浸るには、何よりもそこに「厳然」とした「秩序」が必要です。
到着のターミナルまで全体の2/3ほど進んだ車内で、それは突然に生じました。
ロングシートに座った「若い女」が、床を蹴り座位のまま飛び上がるのです。ドシン・ドシン・ドシンと3回連続で「空中浮遊」を求める如くに。
初めは、何が起きたのかと音のする方向を見ると、目鼻立ちの整った若い女が、着席した自席で「床を蹴り、自身を浮かそうとしているワケ」様子です。当然ながら重力で落ちます。不思議な人だなぁと収めたのですが。
間を置く事なく、またその行為を繰り返したのです。
両横の隣にも、前にも、他の乗客が座っているのです。下校時間に乗り合わせた小学低学年の児童も車内にはいるのです。
皆さん、上品に「関わりたくない」と素知らぬ態度で、(内心では困った事になったと)観て見ぬフリをしています。
次の停車駅に着くまで2回のパフォーマンスがありました。
降車する事もなくそのままでした。
発車すると、三度、空中浮遊を求めるかの「床を蹴り、自身を浮かそうとしたワケ」で、この時はドシン・ドシン・ドシンと大きな音でシート上に座った姿勢で落ちました。
ヨガのやり過ぎの幻夢か、オウム真理教の残党が行う空中浮遊かと・・・
今度は、腹が立ったので、
「静かにしろ、電車の中だ、体育館やジムじゃないぞ!」と一喝しました。
すると、睨み付けるのでしたが静かになりました。
やがて、一駅が過ぎる頃、異様な視線を感じた事もあり、その方向を見ると件の女が睨み付けている事が分かりました。
「何か文句があるのか?ハッキリ言え!」と、大音声を発しますと、別の前方車両に移っていきました。
小学生の低学年児童も件の女が去った事で、安心を取り返したのかと安心表情の変化を観る事ができました。
これで一件落着かと思いきや、ターミナルの下車駅で、親切な中年女性が「一言ご注意を申し上げます」と絡んできました。
いわく、
「もし、反撃されたらどうするのですか?私はハラハラしました」と。
「反撃されたら、正当防衛を引き出した上で、正拳でで受け、戦い制圧します」と応えますと。
「刃物でも持っていて、切りつけられたら、どうするのですか?」と。
「その瞬間に、叩き落とし、捻じ上げます!」と応えました。
「放っておいたらヨイでしょう!」と(自分は巻き込まれたくない)。
「そりゃぁそうかも知れないけれど、車内には下校時間の小学児童が乗っていたし、何よりも怖がっていたでしょ。それを観て、原因者に厳しく注意するのは当然じゃないですか。あの人の親御さんも躾や問題行動では可哀想ですよ」と返すと。
「私は、そうは思いません。静かにしていればヨイのです」ときた。
(これは、オマエが問題を大きくしたのだ。自分は事件化され、その被害を受ける事に巻き込まれたくはない/なら逃げればヨイのだけの事)
「申し訳ナイですが、その姿勢こそ、現代日本の腰抜け姿勢で、米軍が後ろに控え、一緒に行動する事を背景に、(脅威者へ)強硬な姿勢で厳重に抗議するという腰抜けと同じで話になりません」と断言しました。
すると、
「私の主人は米国人です!」と、ナンの関係もない事を言い始め。
「それがどうしたのですか?それと、(懸案の)これと何の関係があるのですか?」(何を言っているのだ!)
「米国では、あのような不適切な行為は発見され次第、直ちに降ろされます」と、観てきたような事をシタリ顔(馬脚を表し)で言うのだった。
(それならNYもLAも安全な地下鉄だろうヨ)
これは無知の無恥で相手にしたくない典型で・・・
「あなたの御意見は、よく承りました。急ぎますので、此方の時間を拘束しないで下さい」と。
「イエ、ハッキリとあなたに、ご注意を申し上げておきます」と。
(平穏を乱した第一原因者を非難せず、注意を与えた側を非難するのだ)
「はい、ご趣旨は承りましたので」と返すと。
「また、お目にかかりたいですね]というので、
はっきりと、
「二度と、お目にかかりたくはありません!」として切り上げた。
(この間、約5分を超える無用な無駄時間を盗られた)
その後、
所与の案件を片付け、ターミナル駅の駅長で、概要を説明し乗客からの報告として業務記録しておく事を求めた。
最近は、その種の行為をする不審者が多く、鉄道としても対処や対策に困っているのです。お客様にお怪我がなければ、申し訳ないものの不幸中の幸いです。業務報告に記録しておきますと。
社会の平穏な安全は、国の平穏な安全に直結している。
最初の小さな芽を摘み取らないために、後々に問題を大きくし、尋常な方法では対処も対応もできない事になるワケで。
「オウム真理教」の事件から、日本の社会は何を学び取ったのか?
「(旧)統一教会」は、何をどう初期の段階で対処対応すべきだったのか?
北九州に根を張る暴力団の「工藤会」をここまで無法に付け上がらせた原因は何か?
パレスチナのガザを武力制圧し不幸な実効支配をする「ハマス」を肥大化させたのは何処の誰か?
韓国に占領されたままの「竹島」は、なぜそれを許したのか?
ロシアの占領されたままの「北方領土」も同じ種類の問題だ!
豚の中国が狙い続ける「尖閣諸島」への毅然とした態度を最初に示さなかった事で、いまも言い掛かりを肥大化させ、付け入られ問題を大きくしてしまったのは何が原因か?
腰抜けが、何もせず手を拱き、揉み手を繰り広げた事が全ての要因だろうが? 違うのか?
基本は、最初の勇気を持たなかったからだろう。
上品で、静粛で、それを保つには「警察力」が重要だろうが、
その時、その場、そこに居合わせた人等が、一義的には共同して対処しなければ「安寧も安全も安心も」保持できるワケがナイ。
他人は、誰も護ってくれない。
ナンと、日本の「お上品」な社会は腰抜けである事か。
子供の頃に育った郷の地域は、誇り高い文化や伝統を今も大切に地域としての紐帯を「共同と協働」し合う事で守り抜いている。
先人たちは、それを守り合い「日本社会」の基盤を形成したのだが。
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