低賃金に埋没した社会悪を払拭し社会全体が「生産性」を高める事が必要で、現代にも根を延ばす宿痾の「社会構造の改革」もせず避けては得られない
賃金を上げ続けるには、社会も事業者も個人も、
生産性の合理的な向上を欠いては不可能です。
国全体の生産力を回復させる事です。
トライ・アンド・エラーは付きものです。
それを懼れずヒット・エンド・ランを成功させ、社会全体の得点に結びつけましょう。
国が、政府が、幾ら「カネ」を撒いても、国の経済力が回復するワケじゃナイ。
国の「生産力」が回復するワケじゃナイ。
撒いた「カネ」は、総て退蔵されるか「消費」されてオシマイだ。
生産力を上げ、所得を上げると、社会全体に「投資」と「消費」で「カネ」が廻り、社会経済は「善循環」するという古典的な理屈が生きる。
「賃金」を上げる『生産力』の重要性を指摘すると、基本的な「賃加工」の業務に就く方から質問を受けました。
打破できない強い「価格キャップ」があり、どうしろと言うのですか?
「タマゴとニワトリの関係」ですが、
①市場全体の消費価格上昇が生じるのは「賃金上昇」でコストプッシュが起きるワケで。
②その「賃金上昇」を支えるのが「生産力」であり「生産性」なのです。
それを上昇させるチカラがなければ、持続的な「賃金上昇」は不可能で、一過性で終わりますから、それはマスマス生産に従事する側の首を絞めます。
③「生産力」を強化するには「生産性」の改善を図る事が不可欠です。
④「生産性」を高めるためには「社会改革」を避ける事はできません。
⑤全体の流れを変え、上昇機運を得る事で、市場は「より良いモノを、適正な価格で」求める傾向を強めます。
*その市場がないため、適正価格を求め「より良いモノ」が海外市場へ流出しているのです。
*北海道は「オホーツク海沿岸の " ホタテ貝 " が、中国市場から閉め出され危機に瀕する事態」に象徴されています。
日本の国内市場では買い叩かれ利益を得られないため、適正価格を得られる中国市場を開拓し安定しかけた処だったと・・・
中国市場に全面依存しようとし陥穽に嵌まった事は悲しい話ですが、これは日本の海産物(工業製品も、観光での訪日者へのサービス提供も)同様に、国際的な市場価格から完全に安価へ外れている事を示しています。
日本の国内市場は、閉鎖された島国市場で、WWⅡ以降は、とりわけ80年代半ばに「日米経済戦争」を経て、日本の中で完結させようとしてきたワケですが、それゆえ小さく縮まってしまいました。
いま、160年前の「幕末」の状況と全く同じです。
国内市場で売る、国内市場が買える価格を、それが最良と刷り込まれ、それに慣らされ、結局は大きな「内外価格差」を生み出しながら、日本国内に閉じ込められた大半の人には理解できないまま、更に低価、安価を求める声に圧され、それを正義とし、その正義を守るため堂々と「労働収奪」する事が罷り通っている事にあり、その傷口を舐め合い「苦しい、苦しい」と言い合っているのが実際です。
政治は、付け焼き刃の見える政策を、モグラ叩きの如くに繰り返すだけです。
最大の原因は、
顔も心も思想・思考も歪んだ「竹中平蔵」が、無知の小泉純一郎を嗾け「非正規労働」を法制化した事に象徴されます。
それを期に、日本の賃金抑制(労働収奪)が正当化され、足りない部分はより低廉な「外国人労働」を導入する政策を恥も無く採用したのです。
以降、低賃金は定着し、それにつられるように日本の市場価格は低迷し始めました。
同時に、その低価格の維持を「市場」を守るためと称する最終的な供給社の声(要求)だと、あらゆる製品の「価格キャップ」を強要する傾向が定着したワケで、いまやそれは「市民権」を得たように誤解してしまったのです。
それが大きな要因となり、徐々に「低価で安価な商品」以外には売れなくなり、低価安価をウリにする「安物市場」が日本全国を席巻してしまいました。
これは真に「経済政策」「社会政策」の失敗(見本)です。
より競争力のある分野から、生産性の向上を図り、生産力を高めると共に「市場価格」を変え「労働所得」を変える事です。
徐々に取り組み全体がチカラを育む事が必要です。
よいですか、日本人が採用できないのは「賃金と労働」が均衡していないからで、それを外国人労働に頼り、いまは採用できても「国際的な労働賃金平価」と比べ、均衡しないと考える側は応募しなくなり、外国人労働者も採用できなくなります。
その時が、尾羽を打ち枯らし市場からの退場時期とも言えますが。
それは真に悲しいワケです。
市場価格と、労働賃金と、生産力に生産性の関係は、
真にタマゴとニワトリの関係なのです。
質問者の事業環境を冷静に冷徹に分析し考える必要があり、
一概に論じる事はできませんが、考え方や捉え方を切り替えるポイントにして頂ければとの願いです。
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