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2024/05/25

図体だけ大きく稼ぎ出せぬ福祉と健康の街「神戸市」は、ポピュリズム政治に翻弄され「生産力」も「哲学芯」をも喪い漂流する「日本」を表徴しているかと

神戸市の凋落が烈しく、かつての「6大都市」も今や「(その他の)政令都市」でしかなく、その維持も難しいとされ始め。


やはりWWⅡで徹底破壊された「神戸市」を復興させたのは、基本的に原口忠治郎(元)神戸市長ではなかろうかと。


改めて原口さんが指揮した市政を眺め見回すと、都市機能を維持し発展させるために描いた構想の的確さと雄大さが光り輝いています。


何よりも「都市としての経済圏」を維持拡大する上で欠かせないと考えたのが、

①「明石海峡大橋」の架橋提言で、世間をアッと言わせ「何を寝言の夢見か!」と敵視さえされましたが。

次に、
②神戸市内の私鉄ターミナルを結ぶ「神戸高速鉄道」の実現に向けた建設でした。

③それに先行する形の「都市計画」として、
a)「三宮地下街(さんちかタウン)」の開発設置と、
b)「三宮センター街」の街区復興開発ビル整備を上げておきます。

そして何よりも、
④人工島「ポートアイランド(港島)」建設による巨大コンテナターミナル建設でしょう。
(工法も埋め立て土砂の運搬も一般的な思考常識を超え画期的でした)

更に、
⑤戦災復興計画としての「神戸空港」の設置建設でした。
(海港、空港、陸運を一体的に整備する事で「物流」「金融」「人流」の整備を)

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⑥大都市としての今日に至る「神戸都市圏」の構想を整えたのは偉大な成果です。


'70年代の半ば以降の神戸市長選挙は「空港の設置」か「空港反対」かで二分され「海・陸・空」の一体化を理解しない「コミーとリベ珍(チャビン)」の勢力が煽り続けたヒステリーに屈した後継市長の宮崎辰雄が押さえ込まれ反対派に寝返った事で頓挫し、今日に至る低迷が始まりました。
★結果は、神戸の沖合に「国際空港」ではなく、泉南の沖合に「関西国際空港」が建設され開港し、後に神戸空港を建設し開港しましたが「二重投資」の弊害を烈しく指弾され、今も苦しんでいます。
(コミーとリベ珍が手を組み、無知な市民を工作しポピュリズムを高めると肚の座らない政治は歪む典型です)


それからの脱却を80年代に笹山市長は図ったものの果たせず、後継の矢田市長も脱け出せず取込みからの脱け出しは無理な話です。


現在の久木元市長は対立軸の形成に努めているように見えますが、所詮は天下りの小粒な自治官僚に過ぎず、戦略的構想力などナンの事やらに終わると眺めています。

という事で以降は延々と、
健康と福祉の都市造り」という「投資・生産」より「消費」に政策の重点が移り、既に半世紀が過ぎました。


この間に市長選挙は何度も繰り返されましたが、巧妙なコミーとチャビンの市民党を打破できぬまま1995年の大震災もあり、その復興計画も基本は大胆な都市計画を軸にした産業政策や経済政策ではなく、安価で安逸で小粒な寄り合い所帯の握り合いで全党全会派一致の談合政策に終始し、見た目の復旧に終始したワケです。


この間に「神戸市というか都市としての神戸」の魅力は減退し、ただただ大阪市の隣にある人口の多い大きな隣町に堕しまいました。


大都市を経営していくには、都市圏(形成を含め)を大きく構想する「戦略眼」を欠いて、地域全体に波及する大都市の市長は無理で、行政の長として号令するのは不可能だと考えています。


況んや、先進工業国の一国を統治する政治リーダーとしての首相など、戦略眼もなく構想力もなく肚も座らずでは、以ての外と言いたいワケです。


いま、JR三宮駅を軸に都心部を再開発しているが、根源的な周辺地域との産業分担や流通機能の分担あるいは情報通信や金融機能の政策もなく整備を示せず欠いたまま、ボヤァ~っとした「神戸市」では、その活気ある再生は難しいのではないかと考えています。


「都市ビジネス」で「都市のマーケティング」を論じ、あるいは「社会の経済発展に伴う対内投資政策」を論じた側として、
中途半端な大都市にも都市としてのマーケティングが不可欠ですが。
先日、神戸市のOB人材と交わした雑談で述べた事を残すための記述。

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