2024年の「メーデー」に思う事。急激な円安も日本社会全体が基礎的な生産力の喪失だ。「生産性」の回復には「社会の構造改革」断行こそ不可避だろ
今日(5/01)は、メーデーですが。
それは「労働者」と「資本家」という階級間の線引きがあり、利害対立が明確で、労働時間と労働対価の評価を引き合うのが軸の象徴ですが。
しかしながら、日本は「中間層」の形成に取り組む「政策課題」に優先的に取り組み、社会は1960年代からの30年ほどの間に、流通サービス分野の生産性や充実に取組み、付加価値生産の向上とその配分に務めました。
(GDPの成長推移グラフは2019年までの変化/日本経済新聞)
それに組み入れられない製造現場の反発は「メーデー」で2次産業に従事する民の要求を明らかに示しました。
製造現場の労働従事者(労働時間提供者)を「中間層」へ組み入れるよう求めたのです。
それに対し、政治は政策で積極的に応えた事もあり、民の夢や希望を背景に安定充実させ、「1億総中流社会」を実現し、世界的にも稀な階級対立のない「(超)社会主義社会(国家)」を出現させたのです。
概念(共同幻想)上で幅広く共有され確立された事は、①平和主義、②平等主義、③人権主義、④国際譲歩、⑤周辺支援、などが挙げられます。
この間に伸びた業は、数々の「教育サービス」提供であり、後期高等教育による「高学歴化(社会)」の推進形成で、まるで「雨後の竹の子」と揶揄される「私立大学」の増設でした。
一県一大学から、現在では、沿線大学を経てコンビニ大学とされるまで、その数を増やし、国の金を喰い続けるが根源での競争力を欠く無用の成長した限界産業です。
それらを背景に、確かに「平和主義、平等主義、人権主義」は根強く社会に定着し、限りない「混沌」を産みました。
そして民は、より高い「生活志向」を明らかにしたのですが、日本の生産システム/時間軸の「労働提供と労働評価」及び「資本増」という、社会主義的傾向(思考)の労働成果主義では、殆ど次を切り拓く「知識」や「創造」が産む「付加価値生産」ができずに混沌が続いています。
そのような状況で、国際社会は「冷戦の終結」による「市場開放」を受け、単純生産品の消費価格を抑える目的優先と周辺国支援(具体的には中国支援)を求める流れが声高になり、製造業の多くが資本と技術を中国へ生産拠点を移し、労働(人)は不要と切り捨て(失業)を多くの賃金労働(労働提供)の喪失を招きました。
同じ頃、市場の統合と自由貿易の推進が喧しく議論されるようになり、日本の事業社は北米自由貿易(NAFTA)市場を念頭に、賃金格差を利用して「メキシコ」で生産し、北米市場(米国とカナダ)へ製品供給する事により、メキシコへ進出した事業社は莫大な利益を得ました。
このような競争環境の一方で、周辺に目をやると、同様の単純労働による製品製造では周辺(中国)が消費財の生産と供給でチカラを付け、日本が北米市場で利益を得るように、中国の側は日本への供給で、日本の消費者物価を低下させ、生活苦を幾分助ける結果も生みました。
日本は、この頃から、労働時間単価の低い大量生産品を大量に捌く「知恵」を軸に「流通消費のネットワーク」を競い合い形成し、仕組みで稼ぐ事業社が経済社会の枢要な部分を担うようになり、量を捌けない零細な事業者を淘汰廃業させました。
つまり「時間労働の提供」から「知恵と創造の提供」による方法への思考へ転じるよう示唆したとも言えます。
この頃から、メーデーは「労働組合員」の産業別格差(付加価値の生産力格差)に直面していますが、基本は大規模製造業の「労組員の絶対多数」を守るために、「中間層」の防衛を打ち出したわけで「中間層」も産業により「上位層」と「下位層」で構成上の違いが明らかに生じ混乱を収拾できないまま今に至っています。
その状況でも、手堅い行政職の公務員労組は現業職を中心に、社会主義傾向の思想性と時間労働対価の向上を目指す要求を強めています。
同時に「下位層」を支える調整弁の「単純作業者の賃金労働階層」として、21世紀に入る頃から「派遣労働」と「外国人労働」を明確に位置づけし、極めて便利な低賃金による綴じ込めと使い棄てを政策推進しましたが、メーデーを主催する幾つかの側は、気付いても自組織内での対立を抱え、全く有効な手を打ち出せず「芽も出ず」と眺めています。
先にも触れましたが、社会には「最後の1マイル」とされる様々な層を含め、社会の基礎的生産に従事し支える低賃金単純労働は、派遣労働(全体の20%と指摘され)や外国人技能実習生に委ねられている実態もあります。
不幸にして、選別により単純(作業生産)業務の派遣労働へ追い込まれた側は、不満を溜め「社会的に報復しない層」への口(攻)撃を加え、ガス抜きしているとも言われています。
日本社会が、世界の中心で発言し続けたいなら、労働と生産の構造を根源から変えるべきで、それに直面しても避け続けている間は無理な相談だろうと眺め考えています。
現代社会の労働の生産性評価は「知恵」を基盤に「創造性」を高め、評価を得る「付加価値生産力」なので、可能な限り「タスク・フォース・チーム」も含む、その組織能力なのです。
相も変わらず、時間労働と時間賃金の関係性も重要ですが、それに拘っている限り「社会経済」の発展的な建設や形成はできないと見ています。
社会経済の基本政策に「社会主義政策」を重要視し「平等社会」への「政策配分」を繰り返す限り、
①社会全体の「生産性」は伸びず、
②経済成長は抑制され「生産力」は停滞し、
③新しい(成長可能な)「労働市場」も創出できず、
④貧困層の「救済政策」への政策資金が増加し、
⑤税収は停滞するため「財政赤字」は肥大化する。
これが、日本の社会が抱え込まされた現実の問題です。
メーデーに際し、
「芽、出ぇ~よ」と、改めて考えた事です。
本当に考えた方が良いですよ!
(本文は一部3年前の再掲載です)
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