「BE KOBE」の誘客キャンペーンは必要ですが、肝いりで開発した各ニュータウンを当代の姥捨て山にし素知らぬ顔で閉じ込めてはイケナイのだ
ニュータウン(NT)開発と神戸の深刻な地域経済を考える:
神戸市のNTを眺め、そこに住宅を求め、膨大な長期ローンを抱え終の棲家を希望し得た人の層は、いずれも一般的には40代を軸に、前後10歳が層をなしたはずです。
すると、子供達も、小学校高学年を軸に幼稚園児から高校生までが集積したのでしょう。
希望とヤル気に充ち満ちており、多少の不便も克服しようとの決意で、当代の「若き姥捨て山」へ移り住んだのです。
しかし都心へ出るのにもの凄い困難を強いられ、社会文化を満喫しようにも交通機関の制約が多すぎ、話にならない事を思い知らされるのです。
「神戸市」の冠は同じですが、山(六甲)の南と北あるいは西では国が違う、社会文化が違うわけで。
公教育(小・中は別に)の整備が行き届かない。
これらは、徐々にやるせない不満に繋がり沈殿してゆくのです。
社会生活上の建前では「誇りを持ち満足の表情」を示すが、内実は「やるせなさ」がそこはかとなく積もっていたわけで。
例えば、良好なNTでもある神戸市北区藤原台(六甲の北山麓)は、早い移住者なら35年、遅い移住者でも25年。
ハッキリ衰退時期を迎えています。
毎日(毎朝毎夕)、神戸電鉄の単線(三田線)の「岡場」駅から六甲の北山麓を西へ向かい、鈴蘭台で山を越え南側へ下降し新開地へ辿り着き、電車を乗り換え、ようやく神戸の中心三宮へ着くのです。
この間、自宅を出て高低差のある丘を下り、座れない4両の各駅停車に乗り込み耐え約70分。電車賃は500円以上を要します。
六甲の南山麓なら自宅から最寄り駅まで15分~20分歩いても、神戸の中心三宮まで40分程で到着します。電車賃も200円台なのですよ。
確かに、土地付きの住宅価格は南側山麓に比べると半分~7割ほどだったでしょうが、日々にかかる後の負担が莫大です。
南側の山麓なら、交通機関もカネもなくなった場合でも、中心地から2~3時間も歩けば自宅まで辿り着けるのです。
北側の山麓は、交通機関もカネもなくなれば、夜陰に紛れ夜露に濡れても野宿する以外に手はなく、山越えのタクシー料金は莫大であり、歩くにも500メートルの急峻な峰を越えるのは容易ではないので仕方がありません。
折から、この30年にわたり景気は低迷し手当ての土地は一向に上昇する気配もなく、寧ろ停滞より下降気味で、売却を考える側には1000万円程の差損が出る事が分かり。
住宅は築年数により減価するし、もぉ「四面楚歌」としか言いようがない状態に追い込まれています。
何より、希望を繋ぐ就業先は様々な経済変動や市場の変化に対応できず、事業の再編や切り捨てを体面もなく始め、平然と早期退職を募るようになっています。
「こんなハズではなかった!」とは、まさしく後の祭りなのでして。
同じ程度の年収を得ようとすると神戸市内にはなく、大阪への就業が求められるワケです。
通勤時間は2時間近くになり、下手に残業でもしようものなら、日付けが変わる事になります。
それなら、多少の損失を覚悟し自宅を売却して神戸市北区藤原台を脱出しようとするワケで、とても分かり易い展開になっています。
これは、神戸市須磨区でも同じ事で、海沿いの須磨区と山の中の須磨区(例えば妙法寺・名谷・総合運動公園)も亦同じで、多少は北区藤原台よりは恵まれているかも程度にすぎません。
つまり、住宅立地と従事する産業労働および賃金が、全く見合っていないのです。
と、いう事で「アァ、ガッカリィ」が連鎖的に生じていると言えます。
格好良く云えば「都市の産業が抱える生産性などの経済的不均衡が従事する労働者に派生し、より適職(適性収入)を求め転出超過を生じさせ」ているとでも言えばよいのでしょうか。
一概に、都市論で解決するには、その道の「知ったバカぶり」の研究者が、恥じる事もなく現地での生活実態を識るワケでもなく、机上の空論になるものと考えます。
(BE KOBE の写真は、メリケンパーク所在。一社・神戸観光局からDL )
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