ある夏の日の記憶・・・
ある夏の日に、そこを訪ねた。
国道のバイパスを出ると、そこはやや複雑な事情を抱え置き去りにされた隣接地域で、社会的にも文化的にも明確に異なる集落だ。
そこから僅かな道程で、八幡宮の宮元とされる北東の村が南へ大きく拡がりを見せる。
その村の軸を占める細い道筋を行けば、更に南側に小さな村が南北に拡がり、更にその南にはこの地域が産出した「製塩」を始め、様々な生活雑貨や関連工業品を積み出す港を持つ邑が拡がる。
その道筋を選ばず、旧い時代から、この地域の7村の人が交換や交流に行き交った道を進み、自らの紐帯を断ち切れぬ地を貫き続く道筋の入口に立つ。
東の村から見覚えがある懐かしい参道を進む。
参道は、緩やかな弧を描き、時にクランクが現れ容易に見通せない。
それを過ぎると暫く直線が続き、次の村落を分ける川の手前で再びクランクが現れる。
そして中の村も参道は緩い弓なりに続き、この村の道沿いは中心を過ぎた辺りで、またもやクランクが現れ、そこからこの地域全体の中心を成す八幡宮へ到る。
神域は広大で、八幡宮が設立した小学校や役所を始め交番に消防署に診療所などがあり、この地域から帝国の兵士として出征し図らずも戦没した兵を鎮魂する慰霊碑もあり、文字どおり物心共に地域の中心を成している。
更に、西の村へ足を踏み入れる。そこも中や東の村と同じく、参道は緩やかな弓なりの姿を見せるが、この村にはクランクがない。
小高い山の麓を過ぎると隣の小さな町との境を成す坂を経て、いきなりクランクの入口が待ち受ける。この小さな町は、クランクを交わし過ぎると適度な距離で、この地域(七村)全体に恵みをもたらす川に突き当たる。
その川の向こうは、社会構成も文化構成は似通いながらも全く異質の地で、謂わば外国なのだ。
見慣れた顔が消えた地は、如何に紐帯を保とうが、それは外国であり、訪れる側は単なる異邦人に過ぎぬのだ。
ある年の夏、遠縁を名乗る人物が偶々の滞在中に訪ね来た。
丁寧に「名刺」を携え「ふるさと」を訪ね来たが、
「既に誰も知らず、ただ記憶が懐かしさを呼ぶのだ」と言い。
その話は、繋がっているようで、繋がりがなく、
いくつか微かな記憶を刺激はしたのだが、思い出すことも適わず、ただただ話の節々で相槌を打つ程度でしかなく、礼を失したのかも知れぬ。
名刺は、ある大都市の地域にある「個人タクシー協会の支部長」と記しされていた記憶がある。
そこでは夏の光が白く輝き、過ぎゆく参道には人陰もなく、誰をも寄せず拒むかのように、眩しい光が強い意志を示していた。
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