« 唖然、呆然、ナンという「言論による破壊テロ」で、日本國の名誉が大きく毀損させ、信用を失墜させられ、オマケに笑い者にされた事実と恥辱は消えず | トップページ | 「SHOW HAY! OH! TANI!」キミは観たか大谷翔平の40&40を! 「オレはスタジアムでこの目で観たんだぜ! スゴイよ、ドラマだよ」との伝説が »

2024/08/24

5月末に半世紀を超え受話した1本の電話で幕が開き、台湾・台北から容姿も衰えぬ大切な友人が訪ね来て、互いに改めて逃した魚の大きさを識る事に

吾われの19の小さな心のメモリー:

236

++台湾から半世紀を超え突然の電話:

235
懐かしい恵珠の声が。
☆「色々と探したんよ」
☆「大阪へ留学してたという " 新竹の黄さん " と知り合って
  " 黄さんはゼミの受講者で指導が厳しかった " と言うさかい " 電話番号 " を教えて貰えたんよ」
☆「そいでなぁ、賭けで電話してみたんよ」と、
大阪育ちだった訛での話が続く。

★「いま、台湾に還ってんのか?」
☆「そやで、台北に住んでる!」
★「亭主のFも一緒かいな?」
☆「いや、あれは死んでもた」
★「なんで!?」
☆「いろいろ、あるのよ、イロイロ」
★「それは聞かんとくわ」
★「でぇ、ナンで電話くれたの?」

☆「夏に、大阪へ行こうと、思ぅてんネ」
☆「時間が、あったら、会えへんかぁ!」
★「今日や、明日やナイやろから、エエで」
☆「よかった!!」
☆「断られたら、どないしょうかと、思ぅてたんヨ」
★「恵珠の願いを聞かんワケないやろ」

☆「堂山も行きたいし、姫島もなぁ、萬里とも会いたいし」
★「ありゃ、アンタと一緒で、啓三と結婚してからは一回も遭うた事ないわ、連絡し合ぅてんの」
☆「してるよ」
★「ナンと言うても、あれから半世紀やなぁ!」
☆「声、変わらへんねぇ」
★「恵珠の大阪訛りも変わらんなぁ」
☆「そらぁ、ウチは、大阪で生まれ、大阪のど真ん中で育ったんやし」
☆「曾根崎小学校の卒業やし、バリバリやでぇ」
☆「大学、萬里から聞いたけど、大きぃに広がったんやてなぁ」

★「家族は、どないしてんの?」
☆「上の子は、台湾へ連れて帰り、いま貿易会社やらしてる」
☆「下の子は、大阪で貿易会社をさせている」
★「立派なもんやなぁ」
★「と、言う事は何遍も、日本へも大阪へも来てるんやろ」
☆「そうや! けどなぁ、アンタの電話番号が分からんさかい、遭えんかったんや」
★「そうかいな。黄さんに、恵珠から連絡の電話があったとメールで伝えとくわ」
☆「電話したげたらエエやないの」
★「そらぁ、アカン。受ける状態が分からんから、急ぎでないならメールがエエよ」
☆「私も、同じか」
★「恵珠は別やがな。この番号はマーク点けて入力しとくさかい」
★「Yに言うて、2本マストのヨット借りとくワ」
☆「嬉しぃわぁ!」
と、いう事で半世紀ぶりに同窓・同級の女史と邂逅を得る事に。
恵珠の父親は、彼女が生まれる少し前まで「日本人」だったのだ。

ナンのテーマが投げられるのか?
「朋友来日、願我協力、不安交錯、智識交易、協働完歩、合力成就」を。

" 黒の舟唄 "

Photo_20240824121801

♪~ 男と女の間には
  暗くて深い河がある
  誰も渡れぬ河なれど
  エヤコラ今夜も舟を出す
  Row & Row Row & Row
  ふりかえるなRow Row

  おまえが17 おれ19
  忘れもしないこの河に
  ふたりの星のひとかけら
  流して泣いた夜もある
  Row & Row Row & Row
  ふりかえるなRow Row

  あれからいくとせ漕ぎ続け
  大波小波 ゆれゆられ
  極楽見えたこともある
  地獄が見えたこともある
  Row & Row Row & Row
  ふりかえるなRow Row

  たとえば男はアホウ鳥
  たとえば女は忘れ貝
  まっかな潮が満ちるとき
  なくしたものを想い出す
  Row & Row Row & Row
  ふりかえるなRow Row

  おまえとおれとの間には
  ふかくて暗い河がある
  それでもやっぱり逢いたくて
  エンヤコラ今夜も舟を出す
  Row & Row Row & Row
  ふりかえるなRow Row

  Row & Row Row & Row
  ふりかえるなRow Row
  Row & Row Row & Row
  ふりかえるなRow Row

***実際には恵珠も共に19歳だった***


++台湾は台北から大切な心の友人「恵珠」が、訪ね来て、凡そ半世紀ぶりの再会を果たした。

様々な日々の出来事が去来し、胸が詰まり最初は言葉にならなかった。
でも、先に電話をくれた事もあり、心がざわつく事はなく、落ち着いた笑顔で迎える事ができた。

子供達の一人は、日本でビジネスとして貿易の仕事をしているという。
しかし「恵珠」は、今回は子供の元を訪ねる事はしないという。
学生として過ごした街で、過ごした場所で、過ごした仲間と会い、昔を想い過ごしたいという。

それは、正しく真実で、裏面に秘めるものは「疵」を癒やす事ではないかと考えた。
(ほぼ、それは正しいようだった)

++KIXへ迎えの車を回し到着口で待った。
++到着口に現れた「恵珠」は、驚いた事に半世紀の「歳」を感じさせず、20代のままの笑顔を見せた。
++開口一番
☆「会いたかったでぇ!ホンマに」と、大阪のオバチャンそのものだった。
☆「何よ、ポカンとして。あんまり綺麗から、ビックリしてるんか」と畳みかける。
★「いや、まぁ、感激してんね」と応えるのがやっとだった。
☆「私、セブンティーンやから」と平然と・・・

★「何をヌカスね。目尻は齢を隠せんゾ」と返してやった。
☆「気分悪い事、堂々と言うなぁ。ホンマに」と。
★「でぇ、何処まで送りゃエエのんや?」と言うと。
☆「ロイヤルへ行って」と返す。
★「ナンでや?子供の処やないのか?」と訊き返すと。
☆「もぉ、自由にしたいから、ロイヤル予約してんのよ」ときた。
☆「心配せんでもエエよ。何も、手籠めにはせんさかいに」と先手を打たれてしまう。

★「何年ぶりや?」と言えば、
☆「ジブンが泣かすさかい、あれから丁度、そやなぁ50年かナァ」と。
★「恵珠は、ホンマに変わらんなぁ」
☆「惚れ惚れするやろ!もぉ遅いけど」
★「互いに、逃した魚は大きぃなぁ」
★「でぇ、どれくらい居るんや?」
☆「まぁ、1ヵ月ほどやろか・・・」
★「そぉかぁ!?」
★「Yに言うて、ヤツのヨット(クルーザー)手当てしてるけど」
☆「それもエエねぇ」


それから「恵珠」は、育った大阪は梅田の「堂山」や「小松原」を懐かしそうに、鮮人の徳山を加えて訪ね歩き、タワマンになった曾根崎小学校の跡地でシンミリしていた。
「ゆかり」では話に華を咲かせていた。

「高校(県尼)」へ府県境を越境した姫島で、徳山とイロイロ話したそうな。
そう言ゃぁ、運転免許証は2国の「尼崎自動車学校」だと言っていたなぁ。
その頃の「県尼」には「Y」先生がおられ、他地域ながらもクラブ活動でお世話になり熱い応援を頂戴した。
それが県大会に続き近畿大会から全国大会へ繋がった。
徳山は、その「Y」先生が担任だった事もあり、「恵珠」を含め一つの輪ができたのだ。

何よりも出会った従来のキャンパスを訪ね、
自らが関わり新しく建設し整えたキャンパスにも行き、その偉容を見せた。

その上で、千里丘陵の大阪万博記念公園に「太陽の塔」を訪ねたのだった。

20240610_20240824124701

1970年の夏に恵珠は、乗せられて森ノ宮は「大阪城公園」で「反博」と銘打つショウモない「日中友好協会」が握るイベントに一枚噛んでいた。

それを人伝に聞いて識り、激しく怒りを爆発させた事があった。
「それを切っ掛けに距離を置くようになった」と恵珠は言う。

「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、
国際社会へ打って出る大勝負だった1970年の「大阪万博」で、
そのテーマと理念を真っ向から批判し否定したのが、
何を隠そう「故・岡本太郎」で、それを具体的な形に造形物として表したのが、実に見事な「太陽の塔」であり、その内部に形成された「生命の樹」の表現であった。

Photo_20240824124801

これこそ強烈な「文明主義」へのアンチテーゼであり、丹下健三らに率いられた「生産効率主義」への人としての原点を踏まえた「反博」表現だったのだ。

それを識らずして、それを観ずして、考えずして、安易な流行モノの「反博」に手を染めた事を識ったから、周囲は異常と思うほど激しく批判し、その軽率に対し怒ったのだと、50年以上を経て改めて説明した。

結局、それが破局というか破綻の原因だろうと受け止めている。
「恵珠」は、それを機に距離をとりFと親密になり婚儀を整えたワケだ。

許容できる事とできない事は明確で一貫しているのだから仕方がない。
そんなこんなで「太陽の塔」を訪ね、内部を見学し、
改めて芸術家としての故・岡本太郎の偉大さ、その人としてのスケールを超えた超然とした思想表現に、またもや頭を打たれた。

目の前に転がる「思想なき事」「思考なき姿勢」「分別なき行動」が、次の地平での行為や行動を規定してしまう。
その事の大切さを恵珠に伝えた。

しかし、半世紀を超え、再び出会い、再び昔のように、他愛なく語り合っている
それでヨイのだ。

「恵珠」との想い出を大切に、
その後の途筋で、台湾からの留学生を特に大切に指導してきた事も伝えた。

その一人が、新竹の黄さんであり、一人が花蓮出身で今は台北に暮らす蔡さんだ。
RCの国際交流で、何度か台北を訪ねたが、音信不通というか、そのままにした事もあり、長い歳月が過ぎ去ってしまった。

写真は、撮らず、撮り合わないようにしよう!
半世紀前の確かな記憶にある良い想い出を互いに大切に仕舞っておこう。

それより、
地底の太陽の顔に迎えられ、
「生命の樹」を仰ぎ見て、シュールな世界観に浸り、静かに考えよう。
これこそ「人類の成長を表す最高の世界的な芸術文化遺産」だ。
「DNAの進化表現を改めて考えよう」
これこそが、1970年の大阪万博で掲げた
「人類の進歩と調和」という工業化一辺倒に対する、
故・岡本太郎の「反博(宣言)」であり、永久不滅の思想と思考だと。

++「恵珠」と互いに「逃した大きな魚」が空けた巨大な空間を埋めるにはそれ相応の努力が要るワケで。

次に、公立高校統合に伴う公聴口述会へ連れて行った。
そして、
☆「ジブンは、ホンマに昔と変わらんネェ」
☆「ナンで、そこまで熱いんやろ」
☆「ジブン、気付いてないやろけど、私、それで大火傷しそうになったモン」
と、いう事になったので。

++お茶々に電話し「恵珠」の来日を告げ、カモデルで、儀式としての「泪橋」をリクエストする。
△「じゃまくさいコト、言うなぁ」
△「ドロドロにせんためにか?」
△「まぁエエわ "恵珠"とも会いたいし、晴れる事を願掛けしときよし」


" 泪橋 ":
234

♪~ 京の日暮れは東山 雨に打たれる疎水辺り
   行きつ戻りつ偲びつつ 昔の友はいま何処
   泪でかすむこの橋は 誰が名づけた泪橋 誰が名づけた泪橋

   一人二人とこの橋を 泪で渡って帰らない
   ともに語ったあの世界 昔話と笑うのか
   きっと帰ると手を握り 友と別れた泪橋 友と別れた泪橋

   川の流れか時は過ぎ 友の便りもすでに絶え
   乾いたこころが残るだけ 死んだ友さえ幻か
   渡りきれずにまた戻る 虚しさだけか泪橋 虚しさだけか泪橋

   独りぽっちが耐えきれず 思わず友の名を呼べば
   泪の顔は雨の中 みんな優しい友なのに
   どこまでつづく悲しみは 独りぽっちの泪橋 独りぽっちの泪橋
  誰が名づけた泪橋 ~


" 十九の春 "
Photo_20240824121501

♪~ 私があなたに 惚れたのは
   ちょうど 十九の春でした
  いまさら 離縁というならば
  もとの十九に しておくれ

   もとの十九に するならば
  庭の枯れ木を 見てごらん
   枯れ木に花が 咲いたなら
  もとの十九も やすけれど

   みすて心が あるならば
   早くお知らせ 下さいね
  年も若く あるうちに
   思い残すな 明日の花

  一銭二銭の 葉書さえ
  千里万里と 旅をする
   同じコザ市に 住みながら
  会えぬ我が身の せつなさよ

   主さん主さんと 呼んだとて
  主さんにゃ 立派な方がある
   いくら主さんと 呼んだとて
  一生忘れぬ 片思い

   奥山住まいの うぐいすは
  梅の小枝で 昼寝して
   春がくるよな 夢を見て
  ホケキョ ホケキョと 鳴いていた ~


++萬里子らを加えた連合群へ、心の友「恵珠」との友情と信頼は厚く深くなり一段と固めた事を。
++半世紀を超える時間、互いに歩んだ途と互いが歩んだ道の乖離が大きい。
++半世紀前の出会いと尊敬や熱情を互いの内側に仕舞っておこう。
++ドロドロにはならず、踏み外し墜ちる事もないので安心してと。

 もぉ、我吾は互いに " 十九の春 " には戻れない。
 (そのメモリーは互いに大切にしよう)

++「恵珠」には、香港/九龍・茘枝角に構えていたオフィスを台北へ移そうかと考えた事もあったが、抱えるクライアントを考えシンガポールへ移した事を伝えた。

++「恵珠」は、終始、明るく振る舞い冗談を連発し、健気に笑い転げていたが・・・
  元気に過ごせよ! また、何時の日にか・・・

++KIXの出国ゲートで手を振り見送る。

|

« 唖然、呆然、ナンという「言論による破壊テロ」で、日本國の名誉が大きく毀損させ、信用を失墜させられ、オマケに笑い者にされた事実と恥辱は消えず | トップページ | 「SHOW HAY! OH! TANI!」キミは観たか大谷翔平の40&40を! 「オレはスタジアムでこの目で観たんだぜ! スゴイよ、ドラマだよ」との伝説が »