老害も労咳も、関わり絡め付かれると実に厄介で面倒な事だ!
人として、一定の知見や技術を保持され、いまも家族経営の事業所を率いておられる事が自慢の御仁があります。
口を突いて出るのは、老齢に居たる前に一線を退き後継に委ねる」で、その心意気に関心しておりました。
ところが、譲った筈の事業所には、毎日まいにち出かけ、アレコレ取組みをされるようで。
地域のミニFMに出演枠を持ち、週に一度「ITに懸かる話」を開陳しておられるとか。
いやまた、国内は元より海外の取引先へも何度か顔を出し、アレコレと・・・
そんな自信家の御仁ゆえに「SNS」も熱心で、何かにつけ「自慢の記録」を投稿されておりまして、何かの切っ掛けで「意見」を交わすようになりました。
「押し付けがましい高邁なモノ言い」や「意見が似通うと万全の持ち上げや賛意の嵐」になり、些か異常なと警戒をしているのですが。
事件は起きました。
「自らの文法や表現言語にない言葉を用いていると」厳しい指摘を。
此方は「AI監視」を交わすため、幾つかの条件で「言葉を編み」「文字使用を変化」させ用いまる事で「AI」の規制検索を牽制しているのですが・・・
そんな事には考えも及ばず、言葉の使用や用法が間違っている。
自らの言葉にはないのでと、激しい指摘をされまして、あからさまに厄介で面倒な老害を露呈し「ユーモア」や「オモシロ噺」などは眼中にも思考にも存在しないと厳しい指摘を。
まぁ、このクッソ暑い最中に、ネチネチと「老害」を撒き散らし。
「労咳」は万病の元ゆえ、想起に治療される事をお勧めしておきましょう。
まぁ、自信満々の老害の厄介な誤塵は、自ら「害」を撒き散らし!
そこで、チョイとひと言
マジメに捉え考えるべく覚醒を促し問題提起をする事案と、チョイと「フッフ」と笑える話を紹介投稿するのは、当然ながら考え分別しています。
例えば、落語は「枕噺」で客席の空気を読み、本筋の「噺」に入ります。
でもまぁ、よくよく考えてみて下さい。
「落語」は、高座を設え、座布団を敷き、着物を身に着けて座り、扇子と手拭いを小道具に、架空の空間を仕立て上げ、一人の演者が物語を展開し、寄席に詰めかけた人を惹き付け進めるのです。
「落語」の世界は、そんなコトなかろうが、とか、バカバカしいコトが、よりデフォルメされた世界を纏めた「噺」です。
「SNS」の投稿も、ハッキリ言えば「ウソ」と「マコト」に「程良い中間」もあります。
実際の話(経験)も、ヨイものもあれば、マズイものもあります。それは人の常です。
言語表現は、日本語でなく各国で交わされる言語は、日常的に価値観の変化に合わせ、どんどん変化し続けています。
そこを見分け、鼻で笑い、時に悲しみ、時に腹立たしく思うのが、普通ではなかろうかと考えています。
しかしながら、2017年を期に2020年以降は「AIポリス」が巡回し、使用する言葉を表現上での一方的な規範に照らし、見出すや直ちに「制裁」を課す事を鮮明にしています。
当然ながら「対抗手段」を考え、日常的に講じる必要があります。
それは日常的に文法的に用いない「同音異語(=連想同語)」を編み出し、連想伝達を目指します。
それは重要なテーマで、対象を揶揄する時には実に大きな効果があります。
しかし、文字から連想させても、文字自体は空っぽで意味などありません。
従って「AIポリス」は手の出しようがない事を狙っていますから、制裁を課しようもありません。
日常的に、それを諒解する皆さんは、笑って過ごされますが、
そうではなく、言葉の意味や表記を厳密に捉え考えられる人には堪え難いのかも知れません。
まぁ、笑いの価値観や、言葉を綯い創造創出する事を否定される価値観とは相容れぬと受け止めますが。
マジメに、生真面目に、厳密に生きるだけでは「息が詰まります」ので、たまには「フフッ」と笑えるゆとりや空間を形成したいものです。
一つひとつ、
「ご自身の思考や価値観や用法にない」と、されるのも分かりますが、どうなんでしょうねぇ・・・
シンドクないですかね!?
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