因幡の妖怪「イシバカ」と、ジャンヌダルク事オナラのライトミドルの「サナエッチ」は政策や国家観は両極だが、実際はカシコアホで人の心が読めずは共通し
旧い田舎保守のイシバはんと、
言葉は勇ましいミギ保守のサナエはんは、
国家観や政策的には対極に位置するとも言えますが、党内での嫌われ方では半端なく、共通する処も多いように窺えます。
その一つは、カシコが過ぎて、他人は自分の主張を受け容れ支持し付いて来るべきで、
余計な人付き合いをする必要はナイと、考えるのか、誘ってくれないのか人付き合いが怒下手。
質問されると、丁寧に応じ答える。
その言い回しは極めて尊大で、多少、相手を見下したように挑発する。
それに引っかかると、手厳しく論難され論破されるため、議員仲間は敬遠し寄りつかない。
石破は、それが顔に表れ態度に出るし、
モノ言いの在り方が、既に周囲を退かせてしまう事に気付いていない。
下手な質問をしようモノなら、大所高所の例を引き出し博識を見せ、
事細かに論じ、相手の反論を封じ込めるが、実際はナンらの解決にも至らない。
以前の「地方創生」を国務大臣として担ったものの、カネを隈無く撒いただけで、
ナンの成果も上がらず、遡及も検証もせず、既に素知らぬ顔をしている。
しかし、メディアは昂然と持ち上げ報じるため、
メディアに焚きつけられる国民の間では、何となく期待が生まれ「万年総裁候補」として名が挙がる。
実際は、両者とも実に「与しにくい相手」である事に間違いナイ。
だから、仲間内では無視はされぬが「あぁ~ソォ」として敬遠され続ける。
金魚の糞は、ホンの数人だろう。
高市の場合は、「サナエ去れば、(自分の)明日はナイ」の杉田水脈が草履取りに懸命で勤んでいるが。
「決められた事は、必ず守るべきだ」と主張し、
必要なメンツを保つための根回しも、頭を下げる挨拶回りなど全くしないため、
周囲の顰蹙を買うばかりか徹底的に対抗される。
対立する相手は「論争し押し潰せばヨイ」とするのが高市の基本だ。
あのドデカ顔の「サナエッチ」が征く処、必ず争い事のタネを撒きで、
従って「サナエあれば、憂いを考え、近寄らず」なのだといいまして。
茅ヶ崎の「政経塾での頃から、殆ど変わらず、一層、凝り固まった」印象だ。
世間というか、メディアは、二人の何処を観て報じているのだろうか?
不思議でならない。
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